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〈川俳会〉ブログ

俳句を愛する人、この指とまれ。
四季の変遷を俳句で楽しんでいます。「吟行」もしていますよ。

拾い読み備忘録(18)

2016年01月16日 20時59分19秒 | mini essay
(山陰の愛の放浪者)
昔、鳥取の名がまだできていなかったころ、このあたりは日本海にめんしたいちめんの沼沢地であった。当然、水禽が多い。狩人がむらがりあつまって鳥取場をつくったのが、いつしか住みつくようになっての形ができたとき、鳥取がそのまま地名になったといわれている。
もひとつさかのぼって神代の昔、稲葉、伯々岐(ははき)の両国は、須佐男命および大国主命の両神が相ついで統治なされた地であるが、時代がさがって景行天皇および成務天皇の時代に国造(くにのみやつこ)がおかれた。
下って国造は国府に変化する。稲葉は因幡となり、伯々岐は伯耆に変わった。因幡の国府は岩美郡宮下村、伯耆は東伯郡社村である。
六歌仙で知られた業平の兄在原行平が因幡の国府へおもむく。奨学院の設立や壱岐対馬の治政で知られるように、政治家でもあったが兄弟そろっての歌人である。
 立ちわかれいなばの山の峯に生ふるまつとしきかばいまかへりこむ
中納言行平三十八歳の作である。待つを松にかけて遠方へおもむく心もとなさをよくあらわしている。ほかに大伴家持、和気清麿、伯耆の国司には山上憶良がいる。
大体この程度のことを前もって説明しておかないと、これから登場する奇人の一生はとても理解していただけそうにない。人間は、人間にかぎらないが、しょせん、環境の産物であるらしいから。
「石をして語らしむ」一色次郎著 文化出版局 昭和52年
                                     富翁
コメント (3)
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