先日の叔母の旅館のこと、知ってる人がいるんですね。
この旅館は、昭和21年に造られ、戦後の復興期に地域の一大有名地として名を響かせています。
柱、欄間などには、半端なく立派な材が用いられており、造作の一つ一つが手の込んだ芸術品になっています。
高松宮様が何度もお泊まりなったり、将棋の名人戦が行われたり、映画の舞台になったり、映画俳優や県知事さんたちの常宿になったりした本当に由緒ある料理旅館です。
叔母は、19歳の時、先代の養女になりました。
先代は祖父の義兄弟だったとか。(私にはよく分かりませんが)
旅館を建てた先代には子どもがいなかったので、7人も子どもがいた父の兄弟の中から、ただ一人の女の子であった叔母を養女にしたのです。
養母は養女を迎えてまもなく亡くなり、その後、若くして叔母がおかみとして一人で切り盛りをしてきました。
叔母からは「私は口減らしのためにもらわれていったの。」と聞いたことがありますが、養母と女二人で旅館を切り盛りし、かような名旅館を維持し続けたことは、それなりの才覚が備わっていたからでしょう。
「汗と涙の結晶」というくらい並々ならぬ努力があったからでしょう。
年月の流れの中で、叔母は独り身を通しました。
長良川の氾濫で建物の中に水が入ったこと、経営上のこと、兄弟のこと、交通事故にあったこと、病気のことなど様々な問題を抱えながらも気丈に生き、昨年83歳の生涯を閉じました。
私は、幼い頃とてもかわいがってもらい、旅館をしばしば訪ねました。
舟木一夫や小林旭にお茶を出す役をおおせつかったこともあります。
叔母は、亡くなる6年前に遺言書を書いていました。
土地と建物を市に寄贈すると。
けれども、なにせ、長い間使っていなかったので、あちこちが傷み、築70年、これを維持するには相当な費用がかかるはずです。
付帯金として1000万円寄贈があっても、市の方がどう判断するかは分かりません。
取り壊すことになるかも知れません。
父を含め、7人いた兄弟は2人になりましたが、後継者になれる人はいません。
今は周りにおしゃれな店や新しいホテルができ、人気の町並みになっています。
そんな中で、忘れ去られた古びた旅館。
外からは、誰もそんな由緒ある旅館だとは思わないでしょう。
時代の流れの中で、消えゆくもの、残すもの、一抹の寂しさの中に思いを巡らせます。
長じてからはあまり行き来をしなかった叔母ですが、一人の女性としての生き様に興味を持ち、今一度生きた足跡を辿ってみようと思っています。
この旅館は、昭和21年に造られ、戦後の復興期に地域の一大有名地として名を響かせています。
柱、欄間などには、半端なく立派な材が用いられており、造作の一つ一つが手の込んだ芸術品になっています。
高松宮様が何度もお泊まりなったり、将棋の名人戦が行われたり、映画の舞台になったり、映画俳優や県知事さんたちの常宿になったりした本当に由緒ある料理旅館です。
叔母は、19歳の時、先代の養女になりました。
先代は祖父の義兄弟だったとか。(私にはよく分かりませんが)
旅館を建てた先代には子どもがいなかったので、7人も子どもがいた父の兄弟の中から、ただ一人の女の子であった叔母を養女にしたのです。
養母は養女を迎えてまもなく亡くなり、その後、若くして叔母がおかみとして一人で切り盛りをしてきました。
叔母からは「私は口減らしのためにもらわれていったの。」と聞いたことがありますが、養母と女二人で旅館を切り盛りし、かような名旅館を維持し続けたことは、それなりの才覚が備わっていたからでしょう。
「汗と涙の結晶」というくらい並々ならぬ努力があったからでしょう。
年月の流れの中で、叔母は独り身を通しました。
長良川の氾濫で建物の中に水が入ったこと、経営上のこと、兄弟のこと、交通事故にあったこと、病気のことなど様々な問題を抱えながらも気丈に生き、昨年83歳の生涯を閉じました。
私は、幼い頃とてもかわいがってもらい、旅館をしばしば訪ねました。
舟木一夫や小林旭にお茶を出す役をおおせつかったこともあります。
叔母は、亡くなる6年前に遺言書を書いていました。
土地と建物を市に寄贈すると。
けれども、なにせ、長い間使っていなかったので、あちこちが傷み、築70年、これを維持するには相当な費用がかかるはずです。
付帯金として1000万円寄贈があっても、市の方がどう判断するかは分かりません。
取り壊すことになるかも知れません。
父を含め、7人いた兄弟は2人になりましたが、後継者になれる人はいません。
今は周りにおしゃれな店や新しいホテルができ、人気の町並みになっています。
そんな中で、忘れ去られた古びた旅館。
外からは、誰もそんな由緒ある旅館だとは思わないでしょう。
時代の流れの中で、消えゆくもの、残すもの、一抹の寂しさの中に思いを巡らせます。
長じてからはあまり行き来をしなかった叔母ですが、一人の女性としての生き様に興味を持ち、今一度生きた足跡を辿ってみようと思っています。