とこのへや

とこの雑貨と、とこのお洒落着。とこは樺太に住んでいたことがあります。とこの嫁の体験談、日記、備忘など。

うっかり、そう呼んでしまう!

2017-10-27 23:23:09 | 日記

こんばんは。


とこ がそんな表情をしたのが私にとってはちょっとした「畏れ」になったことは容易に認めうる。

通販のおまけでもらった幼児教育のテープだった。
それをみた とこ は「まさか子でもできたか!」というような、すわ、といった表情だ。


その時は正直、本当に妊娠の気配はなかったのだ。
…。しかし、とこ は私たち夫婦と距離を置こうとするようになる。理由はよくわからない。


結果、ながらく不在だった とこ と、その2年後くらいに本当に妊娠・出産した私と夫は同居することになる。確かに食事のこと、洗濯、いろいろとお世話になり、とてもありがたかった。時に赤ん坊を預かってもらい、近くの商店街へ買い物に行ったり、ランチを楽しんだこともあった。
しかし、感じた違和感もあり、その大元は、生まれた赤ん坊を、生んだ母親かのように見ること、孫である赤ん坊のことを息子の名で呼ぶことだった。

赤ん坊を預かってくれるが、小さな息子はかなりの大音響で泣き続けるのでなすすべなく、とこ はへとへとになってしまうようだった。息子は授乳してもなかなか寝付かない子だった。げっぷをうまくさせられず、よく口から大量に母乳を吐く。今思えば、胃の入り口の締まりが緩いので、単純に飲みすぎて吐いているだけだった。その当時は、良く肥えてむっちむちだった赤ん坊を見ても、不安だった。とこ は、寝ない赤ん坊を「栄養が足りないのでは」「母乳だけではだめなのかも」と、自分も一人しか育てていないからよく分からないけど、と言い添えつつ、明らかに私のやり方を非難していた。

とこ は、悪気はないのだ。授乳していると後ろで息を詰めて見つめていて、赤ん坊がむせると心配そうにし、眉根を寄せて、手を合わせ、息遣いもはぁはぁと辛そう。悪気がないのだが、疲れるんである、マイペースな私でも。

私が産んだ子を違う名で呼ばれることは、実はさほど気にしてはいなかったのだが。
なぜなら私も息子を弟の名で呼んでしまうことがあったから。
今の息子の容姿は、少し同じ年頃の弟の様子と似ているところがある。
とこ は自分が出産した時には、生まれた子が仮死状態だったため、医者から「覚悟してください」と言われたのだという。その時の体験がよみがえってしまうのだろう。心配しているというのは、理解できることだ。

しかし、緊張状態が続き、寝不足で疲れて赤ん坊が夜中に泣く声に反応できず、しばらく泣かせてしまうことになる。泣かせてしまったのは私の責任かと、とこ が起きてしまうことに私はとてもプレッシャーを感じてしまった。搾乳しておいて、夫に対応してもらおうと思ったこともあった。日ごろ睡眠が浅いと言っている とこ には申し訳なく思った。一方で、赤ん坊は泣くのが仕事じゃ!と思いつつ、赤ん坊が2~3時間おきに泣くたびに「大丈夫?また泣いてるの?」という とこ に対し、嫌だなと思う気持ちも募って行った。
ある日、辛くなって、泣くたびに声をかけてくる とこ から逃げ出したことがあった。いつものように声をかけられているが、私は答えず、バスタオルでくるんだだけの息子を抱きかかえて、全くの軽装で、思い余って外へ出た。

あてもなくフラフラと歩いて行った先で、新築マンション売り出しの看板を見た。
言葉にならないけれど、漠然と、引っ越そう、と思った瞬間だった。


放っておいて欲しい、これでは失敗もできない。
自分に立ち返ることができない、という気持ちだった。

夫にそのことを話し、夫はすぐに良さそうなマンションを一緒に見に行こうと言ってくれた。
私はほどなくして とこ の心配顔から逃れることができたのだった。

家のことは完璧にはできてないけど、母乳の育児は上手くいっていたことは間違いない。
ただ、赤ん坊は頻繁に泣きすぎていて、私は疲れてしまっていた。


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