他人たちの中で、自分をどう表現するかは結構な悩みどころかと思う。
複数のひとの中でどう自分を扱ってほしいのか、どのタイプとしてそこに存在するのか。
他人のこちらに対するふるまい方が、こちらの服装やヘアスタイル、顔の表情で変化する。
複数のひとの中でどう自分を扱ってほしいのか、どのタイプとしてそこに存在するのか。
他人のこちらに対するふるまい方が、こちらの服装やヘアスタイル、顔の表情で変化する。
そうなると、下に見られない自分を作りたいのが「普通」ではないだろうか。
誰にも負けないボスとして君臨したいのか、ボスに追随する二番手なのか、
その他大勢なのか、雑用を押し付けられるのか。
下のカテゴリは誰だって嫌だ。
そこに分類されないように振る舞おうとする。
誰にも負けないボスとして君臨したいのか、ボスに追随する二番手なのか、
その他大勢なのか、雑用を押し付けられるのか。
下のカテゴリは誰だって嫌だ。
そこに分類されないように振る舞おうとする。
全員が善良なら心配をしなくていい。
けれども楽をしたい、得をしたい人間の性は、自分だけ清くても是正できない。
そんな社会の中で、自分だけで頑張るのではなく、ひとに上手に甘えるというのは少々スキルが必要であると思う。
甘えさせる側も安心して甘えさせることができるなんらかの条件があるのだ。
甘えていることを責めないけれども、エスカレートさせない何か、ちょうど頃合いのいい条件が。
例えば「あなただからやってあげるよ」の「ひと限定」なのか、「対価を払ってくれたらやってあげるよ」の「かねを払ってくれるなら」なのか。見返りが条件なのはまだ浅はかだと思うけど。
逆に頼まれても、やってあげる理由がなければ、スキルがないことを伝えるだけで断れる。
断ることを怖がる必要はない。そのひとが困っていても、心を痛める必要はない。
甘えてきたひとが未来も善良であることは、容易に証明できないのだから。
しかして。
「俺は逃げない」と言ってくれた元上司の言葉も、
真似てみたい気もする。
相談されたなら「もう上司じゃないと言って断らない」の意味で言ってくれた、その気持ちを尊敬する。
「甘える」と「利用する」は似ている。ほとんど、区別がつかない時もあるかも。
何かしてあげたからお返しを待つなんて気持ちはさらさらないけど、自分も誰かを「利用」しているだけにならないように気をつけなければと思うし、何かをしてあげられる時に、負担にならないよう軽やかに受けられるよう強くありたい。
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