祖母カヨコは、夫であるトメゴロウが始めた店、米と塩以外の食料品、雑貨
も扱う店の、店番を一手に引き受けていた。レジなんて要らないほどの暗算の
速さで、混雑する時間帯は無くてはならない存在だったようだ。
祖父トメゴロウはその名のとおり、五男である。本家の長兄はかなり広い田畑を相続した、あたり一帯でも土地持ちの家であったらしい。
ちなみにトメゴロウはバツイチだった。
嫁入りしたカヨコが最初に聞いたのは、「まぁんだ(また)、オカヨが来た」という周囲の人の「?」な発言だった。
それは、最初の嫁は「おか」という名であったが、さんづけで呼ぶような意味で通常、名前の前に「お」をつけるのが礼儀だが、そうすると「おおか」となってしまい呼びにくい。
そこで、後ろに「よ」をつけて「オカヨ」と呼ばれていたらしい。
曰くその「オカヨ」は短い期間で「まぁダメになって」その後、ほどなくして次の嫁として来たのが「カヨコ」つまり名前の前に「お」をつければ前の嫁と同じ呼び名「オカヨ」になる。当然カヨコにとっては初耳。
農家さんは、田植えの時期は大勢の人が一緒に作業する、その食事を作らなければならず、カヨコは嫁入り直後は苦労だったと云っていた。働くのは苦ではないのだが、その話をするときのカヨコは、少し辛そうだった。
20歳で結婚したカヨコ、すぐ長男を授かったはいいが、頼りの夫トメゴロウはすぐ出征となって不在となり、慣れない農作業と苦手な食事作りで、心もとない想いをしたのではないかと思う。
戦地から帰ってきた夫トメゴロウは家を出る決意をした。
「かまどけし、え。」
正確に言えば、独立して分家となったのだが、「かまどけし」とは秋田・青森
では破産者の意味だそうだが、ものを知らぬ口さがない人がトメゴロウたちのことを揶揄していったものと思う。
まぁ戦前の当時は「家」の資産は長男が一括相続するので、娘は嫁に行き、長男以外の男子は長男一家の手伝いという位置づけになってしまうので、ずっと長男の云う事を聞かなければならない。
長男と五男のトメゴロウとは二回りに近いほど年齢も離れていたことは想像に難くない。だって嫁取りとして様子を見に来た兄嫁たちは「おばあちゃん」といっていい見た目だったそうだから。
トメゴロウは「○○コンクリート」という現在も存在する会社に親方として勤めてもいたそうだ。当時はとにかく「お店」がなく、米と塩以外なんでも扱う店を開業した。
市場から仕入れてくる品はよく売れて、お店は繁盛し、休む間もなかったそうだ。
とこ嫁も9歳になるまで生活したその家は店舗兼自宅で、1階の前半分が店舗だった。古い木造住宅だったが、夏は涼しい風が通る、湿気の溜まらないいい家だった。
その家の基礎もトメゴロウが打ったのだと聞いた。
店の床はコンクリートだったから、その敷設はトメゴロウの指示で職人がしたもの、という意味だろう。
カヨコは直接私たちには云わなかったが、とこ嫁の父や叔母たち曰く、トメゴロウは、学校に行かせてもらえなかったのか、結婚当初は字が読めなかっのだそうだ。
それを理由に、カヨコは年上の夫ながらトメゴロウを下に見ていたというのだ。
「バサマは、親父のごどをよ、読み書きできねぇすけ、
も扱う店の、店番を一手に引き受けていた。レジなんて要らないほどの暗算の
速さで、混雑する時間帯は無くてはならない存在だったようだ。
祖父トメゴロウはその名のとおり、五男である。本家の長兄はかなり広い田畑を相続した、あたり一帯でも土地持ちの家であったらしい。
ちなみにトメゴロウはバツイチだった。
嫁入りしたカヨコが最初に聞いたのは、「まぁんだ(また)、オカヨが来た」という周囲の人の「?」な発言だった。
それは、最初の嫁は「おか」という名であったが、さんづけで呼ぶような意味で通常、名前の前に「お」をつけるのが礼儀だが、そうすると「おおか」となってしまい呼びにくい。
そこで、後ろに「よ」をつけて「オカヨ」と呼ばれていたらしい。
曰くその「オカヨ」は短い期間で「まぁダメになって」その後、ほどなくして次の嫁として来たのが「カヨコ」つまり名前の前に「お」をつければ前の嫁と同じ呼び名「オカヨ」になる。当然カヨコにとっては初耳。
農家さんは、田植えの時期は大勢の人が一緒に作業する、その食事を作らなければならず、カヨコは嫁入り直後は苦労だったと云っていた。働くのは苦ではないのだが、その話をするときのカヨコは、少し辛そうだった。
20歳で結婚したカヨコ、すぐ長男を授かったはいいが、頼りの夫トメゴロウはすぐ出征となって不在となり、慣れない農作業と苦手な食事作りで、心もとない想いをしたのではないかと思う。
戦地から帰ってきた夫トメゴロウは家を出る決意をした。
「かまどけし、え。」
正確に言えば、独立して分家となったのだが、「かまどけし」とは秋田・青森
では破産者の意味だそうだが、ものを知らぬ口さがない人がトメゴロウたちのことを揶揄していったものと思う。
まぁ戦前の当時は「家」の資産は長男が一括相続するので、娘は嫁に行き、長男以外の男子は長男一家の手伝いという位置づけになってしまうので、ずっと長男の云う事を聞かなければならない。
長男と五男のトメゴロウとは二回りに近いほど年齢も離れていたことは想像に難くない。だって嫁取りとして様子を見に来た兄嫁たちは「おばあちゃん」といっていい見た目だったそうだから。
トメゴロウは「○○コンクリート」という現在も存在する会社に親方として勤めてもいたそうだ。当時はとにかく「お店」がなく、米と塩以外なんでも扱う店を開業した。
市場から仕入れてくる品はよく売れて、お店は繁盛し、休む間もなかったそうだ。
とこ嫁も9歳になるまで生活したその家は店舗兼自宅で、1階の前半分が店舗だった。古い木造住宅だったが、夏は涼しい風が通る、湿気の溜まらないいい家だった。
その家の基礎もトメゴロウが打ったのだと聞いた。
店の床はコンクリートだったから、その敷設はトメゴロウの指示で職人がしたもの、という意味だろう。
カヨコは直接私たちには云わなかったが、とこ嫁の父や叔母たち曰く、トメゴロウは、学校に行かせてもらえなかったのか、結婚当初は字が読めなかっのだそうだ。
それを理由に、カヨコは年上の夫ながらトメゴロウを下に見ていたというのだ。
「バサマは、親父のごどをよ、読み書きできねぇすけ、
バガにしでらったっきゃな!」
とこ嫁の父・叔父・叔母たちはカヨコのことを「バサマ(婆様)」と愛情を込めて云う。
とこ嫁はしかし、カヨコから直にトメゴロウのことをこんなふうに聞いた。
「兵役で戦地さ行って、手柄立でだら、位が上がって、
とこ嫁はしかし、カヨコから直にトメゴロウのことをこんなふうに聞いた。
「兵役で戦地さ行って、手柄立でだら、位が上がって、
部下ば持だされるようになって、どんどん偉くなればえ、
字が読めねばバガにされるすけ、教(お)せでくださいって
人さ頼んで…、…おらのようなのさも頼んで、
読み書きでぎるようさなったのさ」
「しても、字を書ぐのだば、あんまり、じょんずでながったな」
くらいの話に聴いていた。
実際にとこ嫁の父が生まれたころの、戦地からのハガキを見せてもらったことがある。
えんぴつ書きで、しかし丁寧に、当時赤ん坊であった父宛てに書いているのだ。
たしかに、「おげんきですか」は「おげんきでしか」とあり、ほかの文末の「です」となるはずの箇所も「でし」となっていた。
学校に行かない子は少数となった時代のとこ嫁としては、実際に会ったことのない祖父が、読み書きできなかったとも俄かには信じがたい。
が、父や叔父・叔母の話の中で、トメゴロウが尊敬の念を込めて語られるのを聞いていると、そんな「ですか」が「でしか」と書いてあっても、大したことではない気がするのだ。
カヨコが夫が出世するのを、夫が亡くなって店が儲からなくなったことも、どこか悔しいと思うからこその強がりではないかと、そんな気がするのである。
実際にとこ嫁の父が生まれたころの、戦地からのハガキを見せてもらったことがある。
えんぴつ書きで、しかし丁寧に、当時赤ん坊であった父宛てに書いているのだ。
たしかに、「おげんきですか」は「おげんきでしか」とあり、ほかの文末の「です」となるはずの箇所も「でし」となっていた。
学校に行かない子は少数となった時代のとこ嫁としては、実際に会ったことのない祖父が、読み書きできなかったとも俄かには信じがたい。
が、父や叔父・叔母の話の中で、トメゴロウが尊敬の念を込めて語られるのを聞いていると、そんな「ですか」が「でしか」と書いてあっても、大したことではない気がするのだ。
カヨコが夫が出世するのを、夫が亡くなって店が儲からなくなったことも、どこか悔しいと思うからこその強がりではないかと、そんな気がするのである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます