とこ嫁の祖母、カヨコの話。
昔の話が聞きたい!そういうと、祖母カヨコは最初はしぶしぶ、しかし話し出すと詳細まで語ってくれた。
おばあさんのお母さんっているの? 兄弟は? いつ結婚したの?
今想えば何でも聞いてたな。
おばあさんのお母さんっているの? 兄弟は? いつ結婚したの?
今想えば何でも聞いてたな。
カヨコの父の名は、キンタロウであった。
まずそこが、喰いつきたくなるところ。
…キンタロウか!
忘れられない名である。
カヨコをたいそう可愛がったとは何度も聞いたこと。
学校の課題の習字。なんて、「こったらの(こんなもの)」と適当に書いたものなのに、なぜか先生が金賞としてくれた。
家に持ち帰ったら、キンタロウは家の一番目立つところにそれを貼り、兄弟みんなの居る前で、カヨコは出来がいい、とほめちぎる。
兄弟たちは面白くない。「こればり可愛がって」とむくれている。
算数のテストは満点で、暗算は速いし間違えないし、体操で徒競走はいつも一番で、高学年になったら市の大会の選抜選手となった。
当時はみな着物を着ていたから、選手に選ばれたらブルマーやシューズを用意しなければいけなかったが、貧乏ながら父キンタロウはお金を工面して買ってくれた。
またまた、兄弟から羨ましがられるわけである。
父キンタロウは「百姓は天候に左右されて儲からない」といい、何の仕事でもよいから国鉄で雇ってくれと、周囲にバカにされても頼み込み、40過ぎてから赤帽に勤めた、当時のその辺りではちょっと変わった人である。
貧乏人は風呂など滅多に入れないが、国鉄の職員なら、官舎の施設を使わせてもらえる。しかしそこは中央から赴任してきたエライ人の家族も使うので、土地の住人が来ると、汚れるとか、シラミがついてくると陰口をたたかれるのだそうな。
実際に、戦後にGHQが来るまで、シラミがたかってる(!)子は結構存在していたみたいだから、仕方ないといえばそうだけれど。
学校帰り、困ったことがあると、父キンタロウの職場である駅に行って、運よく改札のところにいれば、小さい声で「あやぃ(お父さん)」と呼びかける、するとニコニコと、お願いを聞いてくれるのだそうな。
…当時、とこ嫁たちの父はとても厳しかったので、そんな優しいお父さん羨ましい、と思った。
一度だけ、どうしても友達とお菓子を買いたくて、父キンタロウにお願いをしてしまったと、カヨコは悔やんでいた。兄弟たちに悪いなと思う、と。
父キンタロウはその時もニコニコして、内緒でな、と十銭銅貨をくれたのだとか。
お母さんはどんな人だったの?
とこ嫁はなんでも聞いた。
カヨコは母ナツのことはあまり語らなかった。
父の気の良さに比べてしまうのかも。
魚が嫌いな人だったそうだ。(あと多分料理もあまり得意じゃなかったのでは。)ご近所から好意でいただいても、生魚をそのままにしておき、当然臭くなるわけだが、「はぁー(あぁもう)、ダメになった、捨てるべ」と捨ててしまうのだ。子供心に、カヨコはうちは貧乏で食べるものないのに、もったいないことをする、と思っていたそうだ。
しかしおばあちゃんとなったナツは、子どもたち、つまりとこ嫁たちの父や叔父、叔母たちには大人気だったようだ。
年に二回ほどだろうか、かわいい孫たちにと、いろいろとお土産を持ってきてくれたようだ。
どうだろうか、そのころは父キンタロウは亡くなった後だったのかもしれない。
父キンタロウはカヨコ可愛さのあまりか、なかなか結婚相手を決めてこなかった。当時は尋常高等小学校を卒業したら、女の子はだいたい家事手伝いで、早ければ14とか15で結婚してしまうものらしい。
(持参金が用意できなかったとか??その辺りは優しい父なら心配させまいとカヨコに何も聞かせなかったのかもしれない)
「16にもなって嫁さいがねぇのは、いぎおぐれ、え。」
えっ、じゃあばあさん、二十歳で結婚なら「行き遅れ」も「行き遅れ」、じゃん。
カヨコは「ううむむ」と、うなった。
周りの友達はみな結婚していく中で、自分には話がなく。
家の手伝いをして過ごしていたが、国鉄関連の施設で、プールバー(玉突き場っていってたかな?)があったそうで、そこで手伝い(今で言うバイト)をしたそうだ。(1年ほど?)
カヨコはそれを「玉取りの手伝い」と言っていた。
そこに、窓の外からおばあさん二人が覗いてくるので、変だな、と思っていたら、それが結婚相手の兄嫁たちだった。
…いかにも田舎の無作法な感じが丸出しで。。
そして、夫となる人のことは、結婚式当日まで顔も知らない。
そんな結婚なんてあるの??!
…昔はみんなそうだったんだ。(えーーーーっ!)
まさに、絶句、である。
カヨコをたいそう可愛がったとは何度も聞いたこと。
学校の課題の習字。なんて、「こったらの(こんなもの)」と適当に書いたものなのに、なぜか先生が金賞としてくれた。
家に持ち帰ったら、キンタロウは家の一番目立つところにそれを貼り、兄弟みんなの居る前で、カヨコは出来がいい、とほめちぎる。
兄弟たちは面白くない。「こればり可愛がって」とむくれている。
算数のテストは満点で、暗算は速いし間違えないし、体操で徒競走はいつも一番で、高学年になったら市の大会の選抜選手となった。
当時はみな着物を着ていたから、選手に選ばれたらブルマーやシューズを用意しなければいけなかったが、貧乏ながら父キンタロウはお金を工面して買ってくれた。
またまた、兄弟から羨ましがられるわけである。
父キンタロウは「百姓は天候に左右されて儲からない」といい、何の仕事でもよいから国鉄で雇ってくれと、周囲にバカにされても頼み込み、40過ぎてから赤帽に勤めた、当時のその辺りではちょっと変わった人である。
貧乏人は風呂など滅多に入れないが、国鉄の職員なら、官舎の施設を使わせてもらえる。しかしそこは中央から赴任してきたエライ人の家族も使うので、土地の住人が来ると、汚れるとか、シラミがついてくると陰口をたたかれるのだそうな。
実際に、戦後にGHQが来るまで、シラミがたかってる(!)子は結構存在していたみたいだから、仕方ないといえばそうだけれど。
学校帰り、困ったことがあると、父キンタロウの職場である駅に行って、運よく改札のところにいれば、小さい声で「あやぃ(お父さん)」と呼びかける、するとニコニコと、お願いを聞いてくれるのだそうな。
…当時、とこ嫁たちの父はとても厳しかったので、そんな優しいお父さん羨ましい、と思った。
一度だけ、どうしても友達とお菓子を買いたくて、父キンタロウにお願いをしてしまったと、カヨコは悔やんでいた。兄弟たちに悪いなと思う、と。
父キンタロウはその時もニコニコして、内緒でな、と十銭銅貨をくれたのだとか。
お母さんはどんな人だったの?
とこ嫁はなんでも聞いた。
カヨコは母ナツのことはあまり語らなかった。
父の気の良さに比べてしまうのかも。
魚が嫌いな人だったそうだ。(あと多分料理もあまり得意じゃなかったのでは。)ご近所から好意でいただいても、生魚をそのままにしておき、当然臭くなるわけだが、「はぁー(あぁもう)、ダメになった、捨てるべ」と捨ててしまうのだ。子供心に、カヨコはうちは貧乏で食べるものないのに、もったいないことをする、と思っていたそうだ。
しかしおばあちゃんとなったナツは、子どもたち、つまりとこ嫁たちの父や叔父、叔母たちには大人気だったようだ。
年に二回ほどだろうか、かわいい孫たちにと、いろいろとお土産を持ってきてくれたようだ。
どうだろうか、そのころは父キンタロウは亡くなった後だったのかもしれない。
父キンタロウはカヨコ可愛さのあまりか、なかなか結婚相手を決めてこなかった。当時は尋常高等小学校を卒業したら、女の子はだいたい家事手伝いで、早ければ14とか15で結婚してしまうものらしい。
(持参金が用意できなかったとか??その辺りは優しい父なら心配させまいとカヨコに何も聞かせなかったのかもしれない)
「16にもなって嫁さいがねぇのは、いぎおぐれ、え。」
えっ、じゃあばあさん、二十歳で結婚なら「行き遅れ」も「行き遅れ」、じゃん。
カヨコは「ううむむ」と、うなった。
周りの友達はみな結婚していく中で、自分には話がなく。
家の手伝いをして過ごしていたが、国鉄関連の施設で、プールバー(玉突き場っていってたかな?)があったそうで、そこで手伝い(今で言うバイト)をしたそうだ。(1年ほど?)
カヨコはそれを「玉取りの手伝い」と言っていた。
そこに、窓の外からおばあさん二人が覗いてくるので、変だな、と思っていたら、それが結婚相手の兄嫁たちだった。
…いかにも田舎の無作法な感じが丸出しで。。
そして、夫となる人のことは、結婚式当日まで顔も知らない。
そんな結婚なんてあるの??!
…昔はみんなそうだったんだ。(えーーーーっ!)
まさに、絶句、である。
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