鏡よ、鏡。世界で一番、美しいのはだあれ?
と言ったのは白雪姫の継母。
なぜ自分が世界で一番美しいのかを気にするのだろう? 子ども心に説明のできない矛盾を感じていたものだ。結婚してるのに。もう王妃なのに。
もっと愛されたいのか。愛されているという確信を得ずには居られないのか。
そんなに自信がないのか。
そう考えるのは、私が私自身を大好きだからじゃなかろうか。
自慢じゃないけど、自分が好きであることにすごい自信がある。
絶対的に自分が好きだ。しかし、一方で恥ずかしいという気持ちも人一倍強い気がする。
子どものころ、髪を結ってくれるのも、散髪も、母がしてくれていたはずだ。大人しく結ってもらっていたのかどうか記憶はない。4歳のころ母が家を出ていき、父はほどなくして再婚した。
今思うと、私たちの髪を結う手間を省くためかもしれないが、継母に強く勧められて髪を短く切ることになり、いわゆる「段カット」にすることになった。
私の前髪は「ヘルメット」のつばのように中空に向かって立ち上がってしまい、
なんともへんてこな髪型になった。強情な髪質なのだから工夫して切らねばならなかったというだけかとも、今なら思う。
当時、泣きそうだったが、継母には悪気はないと思ったので何も言えない。切った髪はどうもしようもない。伸びるのを待つだけだ。
姉のまっすぐだった髪は、天然なのだろう、うねりが出て、私から言わせれば、「ちんちくりん」になってしまった。7年ごとに体質は変わるそうだし、幼児の毛質から生え変わるタイミングだったのかもしれないけれど、私はなんだか、私にしろ、姉にしろ、切ってしまったことがダメだったのではないかとも思えていた。
私は継母が行っていた美容室へ何度か行ったことがある。
ヘルメットみたいになる度に、私は涙目になってるし、彼女としても負い目を感じていたのだろう。
しかして、ここで問題発生。耳の後ろあたりに手が近づくと、むずむずするのだ。
我慢できないほど。家で散髪するときも多少そういうことがあったが、笑い出しそうなむずむずが唐突にやってくるので、笑って身をよじってしまう。家でなら「これ、動かないでっていってるでしょ!」「だってぇ」で、わりと短い間だけで済むものが、美容室では大変だ。声が出そうになるので、堪える。が、鋏の気配が近づくだけで、どうにも堪えられないむずむずがやってきて、かなり長い時間、歯を食いしばって、お尻をつねる。ドライヤーをあてるときもダメだ。耳の後ろあたりに近づくとむずむずが始まる。
なんとかやり過ごして美容室を出てくると、ホッとする。
最後に鏡を見るのも、いつも嫌なものだった。
前髪の出来で満足したためしがない。
美容師は最初、必ず私の髪を褒める。真っ黒で、いい髪ねと。
しかし、ヘルメットみたいになってしまうほど強い、おでこの左側のつむじからの毛の流れはいつも美容師をてこずらせている感じだ。
私は自分が大好きだから、強がってみせる。「ここにもう一つつむじがあるせいで。」と。
しかし、鏡を見るとなんとも、私の美意識とは合わない、しっくりこない自分の姿。
…恥ずかしい。
美しいということとは別次元だ。もともと、美しいのだ。でも、鋏なんか入れるから、不自然になってしまう。そのままの流れを生かしたほうが美しかったものなのに、なんて、恥ずかしいんだろう!って、別に自分を美人だといいたいわけじゃない。概念の問題だ。
今、私も年月を経て、体質、毛質も変わり、強情な髪ではなくなって、美容室でも「前髪は跳ねるので長めに」と巧く注文するようになって、私の美意識を傷つけなくなってきた。前髪はヘルメットみたいにならなくなったし、子供を産んだ後くらいからか、むずむずもない。
白雪姫の継母は、何をもって自分を美しいと思ったのかな?
私のむずむずは、自分大好きなこころ、つまり自意識過剰だったのかもしれない。
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