黄色いとか白いとかじゃなくてね。
お金にうるさい、とか、人を信用しないとか、「社長」によくある性質を持っている人たちのことや、がめつい、なんでもお金、嘘をつくといった性質が多い業種の人たちのことを揶揄して「人種」と言う、ということを社会に出て学んだものだなと思う。
黄色いとか白いとかに関しては、学校の道徳的教えで実際にそうして差別されていることに憤ったし、社会科の授業の中で「憲法は権利を謳っている」と教わったのに、家で父親に「お前(なんか)には権利はない」とアシらわれ、全くちぐはぐで建前だけの、この世界の端っこに触れただけで言葉にならない怒りが芽生えたのに。
そんな気持ちをひょいと軽くまたぎ越すように、その人の口から割り切ったニュアンスで「そういう、『人種』なんだよ」と語られた時に、ああ、もっと強くならなくちゃ、上回らなくっちゃ、一人で生きてはいけないんだってうっすらと感じることができたんだったな。
そうね。自然と、そういう臭いを嗅ぎつけて、都合のいい同士、集まってくるというか、やがてたどり着くというか、おんなし「人種」があるグループを形成したり、そういうのが向いている商売に定着したりするのだ。
同士、グループ、人種。
出会った時に、なんとなく、居心地いいとか、好ましいとか、分かり合えるとか、なつかしささえ。
家族や運命の恋人とかは自分を構成する要素とその人の構成するものの重なりがかなり大きいんだろう。
重なり合わなければ、こすれ合うんだねえ。ごりごりと。
「合うわけないんだよ、違う人種なんだから!」
そう言いたくなるようなムカつきがあっても、「そんなことは出来ない、だって」とか「自分がひかえてしないようなことを、あっさりやってる人がいる」から羨ましいのかもしれない。
重なり合わない部分は、異文化だ。
取り入れられる余地があるのかもしれないじゃない?
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