とこのへや

とこの雑貨と、とこのお洒落着。とこは樺太に住んでいたことがあります。とこの嫁の体験談、日記、備忘など。

頭の中身

2017-08-31 22:25:21 | 日記

小さいころ、自分にとって「話す」ことは難しいことだった気がする。


父にぶたれたことがあった。柱に頭を打ちつけたらしい。
脳震盪でもおこしたか、意識がなかったのだという。

それ以後、姉のことですらどこかで見た女の子が居る、と思っていた。

父が、ある日、私だけを呼んで、新しいお母さんが来ると言った。「大丈夫か」と。
何が大丈夫か、だ。このおじさん、おかしなこと言ってる。と、私は言葉にせずそう思った。

私の気持ちは姉が作っていたわけじゃなかった。けれど、私に言葉をもたらすのは姉だった。だから姉が居ないと不安だった。
後から聞いた話では、母は出ていき、私たちはしばらく保育園へ通ったのだという。
父が車で送り迎えしたのではないだろうか。
その後、新しい母が来て、幼稚園へ連れて行ってくれた。教会のある幼稚園へ、新しい母が作ったお弁当をもって、姉と二人で通った。
幼稚園では、私はコミュニケーションに難があると見られているようだった。
返事をしない時があったからだ。はっと気づくと、何度も呼んでいるのに反応しない私にイラついている先生の顔が見えた。

年子の姉が小学校に入学すると、私は私でなくなった気がした。幼稚園は休みだったし、時間を持て余してしまったのだ。
祖母のカヨに手を引かれ、小学校の門の前まで行ってみた。
祖母は分かってくれた。私の気持ちを。大事なお店を閉めてまで連れて行ってくれた。

幼稚園に一人徒歩で通うのは心細かった。私は何を話すのか、所在ない自分であった。話しかけられたらどうしようかと心配だった。よその子と、姉は全く別の存在だった。

念願の小学校へ行くと、言葉をほとんど話さなくても笑顔で察してくれる友達ができたが、休み時間になると一緒にはしゃいで笑っているのに、名前を覚えるのに3日ほどかかった。
一方姉は廊下ですれ違うと、こっちを見るなとえらく不機嫌になった。私は幼稚園の時のように同じ部屋で過ごすのかと思っていて、現実は異なっていることにがっかりした。

2年生になってクラス替えがあると、担任の若い女性の先生は、私の行動をきっちり見ているようだった。まつ毛を手の指で表現しようとして(何故?笑)両目に手のひらを当てていると、教室に入ってきて私を見たとたん、「手でそうしたって、目は大きくならない」とみんなの前で言った。なぜそういう必要があるのか分からないが、これは恥ずかしめなのだと感じた。
先生がいつも何くれと構う、おしゃべりが止まらない男の子が居て、落ち着きもなかったが、そんな彼のことが私は少しうらやましかった。あんなにぺらぺらとしゃべれるとは。

物語が大好きな私は、国語の時間、教科書を読みあげるのは得意だった。休み時間に家から持ってきた本で、おまじないのようなセリフのあるところを読み聞かせてくれとせがまれたり、漢字クイズを作ると、もっと作ってと頼まれた。断るということが出来なかったが、自分が姉や母親のように「してあげる」側になったことは面白かった。

小学3年ともなると、個と個のやりとりも本格的になってくるが、私は、なかなか自分の言葉で話せなかった。「はだしのげん」を読みふけっていて、休み時間がおわったことに気がつかず、年配の女性の先生に叱られた。3年の2学期を終えて引っ越しに伴い、隣の学区へ転校した。

いけてない転校生だった。なじめなかったわけではないが、地位が低い感じ。
いつもやり過ごしていた。自分を出そうとは思わなかった。

姉が始めたことで私もいやおうなしにやることになったソフトボール。父の特訓の効果もあってか、姉が卒業すると、私がピッチャーになることに。姉はショートで打順は3番か5番だったが、私はピッチャーで4番をもらうこともあった。
スポーツでは、語る必要はない。投げればいいし、打てばいいのだ。
クラブは4年では裁縫、5年と6年では将棋。裁縫なら課題を与えられて一人黙々と手を動かせばいい。将棋はセオリーともいうべき手順があるので、語らなくていい。

小学校5年の最後に、周囲は男性の先生がえこひいきをすると言って悪口を言って盛り上がっていたが、私はそういう会話に入れなかった。
言葉が出ないから。賛成か反対かを問われると、空気を読んでも、かたくなに、先生を悪く言うことには反対だと言った。周囲は呆れたように私を見ていた。

やり過ごしは、中学校に入るまで続いていた。
中学では、ソフトボール部でいきなり背番号1をもらった。クラスには小学校時代の子があまり居なくて、私にとっては開放的だった。
何も気にせず話せた時だったかもしれない。

だんだん、前の日にシミュレーションするようになった。
感情がないわけではないから、夕食後、テレビを見たら、ああ、明日、これを話そうと思いつき、友達が前にいると想像して、ウキウキと脳内で言葉を紡ぎ出した。
そうすると、少しずつ話すことが苦ではなくなったのだ。

今でも、シミュレーションをしている。
でもいざというときに言葉が出ないことも度々だ。
そしてぐるぐる考えすぎて疲れてしまう。

もっとイージーにいきたい。

難しく考えすぎているかのよう。

あの男の子のように思ったままをぺらぺらとしゃべって。

世間もぺらぺらと渡っていったらいいのかも。


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