カヨコ、カヨコ、ありゃ、カギギシだど?!
直訳すれば「カヨコ、あれは垣根なの?」だ。
このフレーズは、忘れがたい。
とこ嫁、東北出身であり、今でも少し訛ってるかもしれない。
南部弁でも少しバリエーションがあるようだが、自分のことを「わ」(男性的?)とか「おら」(女性的?)とかいう地域であり、
某朝ドラの「じぇじぇじぇ」に近い「じゃいやぃや」という感嘆語なんかも独特と感じる。
カギギシってなんなの?
カヨコとは、とこ嫁の祖母であり、この話を聞いた際に尋ねると、家の周りを囲ってる垣根に使う樹木とのことであるらしい。
直訳すれば「カヨコ、あれは垣根なの?」だ。
このフレーズは、忘れがたい。
とこ嫁、東北出身であり、今でも少し訛ってるかもしれない。
某朝ドラの「じぇじぇじぇ」に近い「じゃいやぃや」という感嘆語なんかも独特と感じる。
カギギシってなんなの?
カヨコとは、とこ嫁の祖母であり、この話を聞いた際に尋ねると、家の周りを囲ってる垣根に使う樹木とのことであるらしい。
当時、「カツドウ」を妹のチヨコと見に行って(チヨコはすぐ泣くし、わけわからん質問するから黙ってろって何度も言い聞かせても、云う事聞かないから嫌々連れてったんだってさ)、エンドロールの時にチヨコが発した言葉だったと聞いた。もちろん、通常なら温厚なカヨコも「そんなくだらないこと聞いてくれちゃってさ」と憤慨だ。
お話が進行している間も、あれは何?あそこにいたのは誰?と見えない・解らない子には全てが疑問、お姉ちゃんには変なこと云わないでだまっとれと言い聞かされているが、終わったんだもん、聞いて良いよねのチヨコの発言だろう。エンドロールは縦書きで、出演者の名前がずらずらと右から左へと流れ続く。黒い背景に白い文字で縦書きだから、目がほとんど見えないチヨコには縦に白い線が並んでいるだけに見えたことだろう。
一体どんな映画を見たやら、祖母カヨコはとにかく、娯楽の少ない時世にやっと田舎にやってきたカツドウを見られるというのに、チヨコなんか連れていきたくなかったのにと忌々し気。何年経ったんだよ、もう。と思うものの、趣味らしい趣味のないカヨコが執着しているのに、不憫だなと感じる。
可哀想に、チヨコは二十歳にならずに亡くなったそうだが、祖母カヨコにとってはいつ何の理由で亡くなったかも思い出せないほど。
しかして、若いころに熱中したものは、年齢を重ねても篤いものらしい。
カツドウと同様、一人っ子の友達が高価な蓄音機で音声のみの劇「金色夜叉」を聞かせてくれたことがあったそうで、これも良く覚えている。
「今晩は、楽しかったな」(標準語のイントネーションでカヨコが言う)
というカルタを楽しんで帰るシーン、男性のセリフから始まるのだという。
最大の盛り上がり、「来年の、今月今夜のこの月を、僕の涙で曇らせてみせる…!!」も朗々とカヨコは再現してのけた。
♪ あたみのぉ海岸ん~散歩ぉするぅ、かんいちぃ、おみやのぉふたりぃづれぇ~
このフレーズも歌ってくれたなぁ。聴いた当時は「あたみってどこ?」と思っていたとこ嫁自身が関東に来て、熱海を初めて旅行で訪れたときに「ここが、あれかぁ、寛一さんがお宮さんを足蹴に」と、とても感慨深かったものだ。
そう。祖母カヨコはお話大好き人間なのだ。
続きが知りたいひとなのだ。
思えば歌にもそういう要素がある。
そして、とりわけ、もう戻らないとか、帰ってこない、会えないとか、切ない奴がお好みのようだ。
秘密、秘密…から始まるカツラコキンジさん司会の「それは秘密です」も泣きながら見ていたし、歌なら、もう息子が帰ってこない「岸壁の母」が大好きだった。
認知症的な様子が見えだしたあのころ、なんでそれを探して見せてあげられなかったんだろう!
そんな切ない感情こそが、生き生きと当時を思い起こさせるだろうに。
昔を懐かしむ、心が潤うだけでも違うかもしれないのに。
なんだか反省して終わるこんにちである。
お話が進行している間も、あれは何?あそこにいたのは誰?と見えない・解らない子には全てが疑問、お姉ちゃんには変なこと云わないでだまっとれと言い聞かされているが、終わったんだもん、聞いて良いよねのチヨコの発言だろう。エンドロールは縦書きで、出演者の名前がずらずらと右から左へと流れ続く。黒い背景に白い文字で縦書きだから、目がほとんど見えないチヨコには縦に白い線が並んでいるだけに見えたことだろう。
一体どんな映画を見たやら、祖母カヨコはとにかく、娯楽の少ない時世にやっと田舎にやってきたカツドウを見られるというのに、チヨコなんか連れていきたくなかったのにと忌々し気。何年経ったんだよ、もう。と思うものの、趣味らしい趣味のないカヨコが執着しているのに、不憫だなと感じる。
可哀想に、チヨコは二十歳にならずに亡くなったそうだが、祖母カヨコにとってはいつ何の理由で亡くなったかも思い出せないほど。
しかして、若いころに熱中したものは、年齢を重ねても篤いものらしい。
カツドウと同様、一人っ子の友達が高価な蓄音機で音声のみの劇「金色夜叉」を聞かせてくれたことがあったそうで、これも良く覚えている。
「今晩は、楽しかったな」(標準語のイントネーションでカヨコが言う)
というカルタを楽しんで帰るシーン、男性のセリフから始まるのだという。
最大の盛り上がり、「来年の、今月今夜のこの月を、僕の涙で曇らせてみせる…!!」も朗々とカヨコは再現してのけた。
♪ あたみのぉ海岸ん~散歩ぉするぅ、かんいちぃ、おみやのぉふたりぃづれぇ~
このフレーズも歌ってくれたなぁ。聴いた当時は「あたみってどこ?」と思っていたとこ嫁自身が関東に来て、熱海を初めて旅行で訪れたときに「ここが、あれかぁ、寛一さんがお宮さんを足蹴に」と、とても感慨深かったものだ。
そう。祖母カヨコはお話大好き人間なのだ。
続きが知りたいひとなのだ。
思えば歌にもそういう要素がある。
そして、とりわけ、もう戻らないとか、帰ってこない、会えないとか、切ない奴がお好みのようだ。
秘密、秘密…から始まるカツラコキンジさん司会の「それは秘密です」も泣きながら見ていたし、歌なら、もう息子が帰ってこない「岸壁の母」が大好きだった。
認知症的な様子が見えだしたあのころ、なんでそれを探して見せてあげられなかったんだろう!
そんな切ない感情こそが、生き生きと当時を思い起こさせるだろうに。
昔を懐かしむ、心が潤うだけでも違うかもしれないのに。
なんだか反省して終わるこんにちである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます