戦禍を生き抜いてきた人々にとっては、そうでない人のごく軽い認識は驚愕すべきものなのかも。
勝ってくるぞといさましく…
あるとき、祖母が口ずさんだ歌は戦時中の歌だった。
祖母カヨコは大正6年生まれ。
太陽暦に変わったことに伴い、生まれ年が大正5年から6年に変わってしまったのだそうな。
新進的で40代という高齢で百姓から国鉄赤帽勤務へと商売替えした父、背が高く歌好きな兄(不在の時に兄の歌の帳面を隠し場所から取り出して、歌詞を書き写していたそうだ。なぜか早稲田大学の校歌もあったらしい。)、女の子なのに父によって清志と名付けられた姉、早世した片目の妹チヨコ。チヨコのことは病気がちで、泣いてばかりいて、面倒を見てないと思われ、年長の自分が責められるので嫌だったと言ってた。
兄弟姉妹の中でも、父から一番に愛されたことが自慢の、祖母カヨコから聞く昔の話は、私にとってどれも興味深い、というか、それこそ驚愕の連続だった。
カヨコは私が高校生のころから認知力が低下し始めた。亡くなった夫が立ち上げたお店を、戦時中も切り盛りしていた、しっかりした女主人だったけれども、古家を引き払って、縮小・移転したお店になってから、計算を間違えることが多くなったり、値段を思い出せなかったりが増えて、弱気になった。
お店も客足はさっぱり。私たちの父が、早く店をやめてしまえばいいと合理主義的発想で言い放つし。
私も社会人となり収入を得るようになって、自信を失いがちな祖母の為に、昔の歌ばかり入ったカセットテープを購入して、一緒に聴いたこともあった。
何度かけても、しばらく黙って聴いたあと、「古い歌ばり、、このカセット、どやしたのえ」と言った。
その中にも軍歌は数曲入っていたけれども、一番聴きたかった歌は入っていなかったかもしれない。
そんなカヨコ、
記憶が混濁するのか、私の成人式が近づいたころ、「男の子は徴兵だけど女はないから(よかったな)」というから、「今は男性は成人しても徴兵されないよ」と私が答えたとき。
「?! どやすのえ!」
と本当に驚いていたので、私も驚いた。カヨコは続けて、
「いっや、軍さ行がねば、ハナたれどもはどうなるって」
「いっや、軍さ行がねば、ハナたれどもはどうなるって」
…私は痛快に思って、笑って受けた。
「だすけ、ハナたれはハナたれのままだっきゃ」
カヨコはあまり表情を変える質(たち)じゃなかったけど、どうしようもない、といった表情をした。
何も言わないけど、最近の若い人たちのことをそう思って眺めているんだなぁ、と。
今想うと、そこにはダメだ、となじるでもなく、事実として、ただ受け止めているというカヨコの姿勢が、ながらく客の対応をしてきた人の、心構えだったのかもな。
私も私の姉もそして腹違いの弟も、カヨコがその人の性質を否定したことは無かったなぁ、と思った。
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