とこのへや

とこの雑貨と、とこのお洒落着。とこは樺太に住んでいたことがあります。とこの嫁の体験談、日記、備忘など。

感想。

2018-06-04 23:57:15 | 日記

日経夕刊の文化面、小説が載ってるけど、その感想。

どうしても、思うところを吐き出したいので。

子どもに暴力を振るう怖い父親が出てくる。
子どもを死なせてしまう母親の、生育環境との関連を紡ぐためにだろう、
怖い父親を子供の目線で語っていく。

どうにも、私の中の何かを掻き立てるのだ。
その父親の描写が。
意地悪で、意地悪で。

そして、意地悪なその男に、好きだと寄り添う女が、子どもの目線でも、
判るものとして描かれた。今日の連載57回目で。

そういう女性が、子の母になっていることが、間違いだと断じたい私がいる。
意地悪をすることがなんの問題もない愛情表現だと思っている男が、
父親として家庭に帰ってくることが嫌だ。

嫌だな、この話。

前の回で、父親が娘の髪をつかんで引き倒す場面があった。
逃げようとする娘を追いかけてくる、分別をなくした父が、
何か発作を起こして、倒れる…娘は父の普段の暴力を憎んでいて、
「死ね!!」と罵倒しながら逃げていたので、父が倒れたことの原因が
自分にあると感じている。
…私の中にある気持ちが、そんなことは断じてない、そんな人間は死んでも仕方ないというか、死ぬべきだ、とすら…

いやいやいや、
これは、おはなしなんだよ、創作なんだよ。

私は暴力を振るう人は許してはいけないと思っている。
もし、付き合った男性がちょっとでも私をぶったりしたら、
即刻、距離を置く。
髪を掴んだだけでも、それは、心を震え上がらせるためにされたこと。
私の心を支配するために使う手段が「暴力」なら、
暴力をふるうことができないよう、離れる。

幸い、私の身に、これまでそんなことはなかったのだが、
時折聞く、DVの話など、あってはならないのに、あるんだな、と思い
哀しくなる。
もともとある男性性のなかの、優位に立つことを求め続けること、
それを、家で女性に対してするなんて。

対等と思っているからすること?
男性が複数集まると、ポジショニングを意識するものだという。
男性同士はそれがふつう、だとしても、
そこに女性が入った時、女性の考え方は「優位を奪い合う」ものとは
真逆の「与えて自分を好ましく思ってもらう」だから、
女性はポジショニングの中でまともに扱われて来なかった。
会社でお茶くみコピー取り、電話応対など補助的な仕事をする女性の立ち位置。

今は、腫れもののように扱われる段階だろうか。
セクハラって言われちゃ敵わない、というところ。

それにしても殴ってそれが愛情だ、なんて言われても全く理解できない。
殴ることが、仲間だと認めている行為だとか?
訳が分からない。動物なのか?言葉を伝えて分かり合える存在ではなく、
暴力をコミュニケーションの手段のメインにしている。

まぁ、とはいえ、世の中、そんな男性ばかりではないし、この小説の中では
その父が「微笑ましさを堪えきれない」表情をほんのたまにするという表現もあり、
私の過剰な反応は、単なる勘違いなのかも。

その、小説に登場した娘も。

おはなしは、ハッピーなほうがいいけどな。


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