こんにちは。
もし、タイムスケジュールの管理や母親として子供の扱いがうまかったら、あんなに毎朝闘わなくてよかったのだろうと思うのだが、30になろうという私は全く親として未熟であった。
そのころよりかは、私はどうだろうか、成長したのだろうか。
息子は、確かに成長した。身体も大きくなったし、気遣いできるようなった。
声変わりしたころは私たちと距離を取ろうとしたなぁ。やっぱりムカついてる感じだったなぁ。
小さかったころの、声を取ってある。
目覚まし時計に録音機能がついていたのだ。その機能を試している息子の声が残っていたのだ。あの声を聞くと、思い出す。
片言でしゃべり出すころが一番かわいかったなー。
「これ」は「こえ」だったし、色の名前の「みどり」のことを「みろり」と言ってた。
「ちいさい」は「ちったい」だった。
私は息子のことを「かわいいちったいむちむち」と呼ぶことがあった。
保育園に行き始めた時は、泣いてばかりだったが、雰囲気に慣れると1週間くらいで別れる時、手を振ってくれるようになった。
その時、言っていたのが、「と、てね~」だった。
しばらくして気がついた。保母さんが言う、「おしごと、がんばってね」を言っていたのだ。それによって、息子は単語の一番最後だけ言うということがわかった。
だから、これがヒントになって、わかったのだが、なんだか息子が怒って言っている時があった。年の暮れのテレビで秋田のなまはげをみてとても怖がっていたのと、ある女の子のことを引き合いにだして「あの子なら泣きそうにないよね」と息子を少しからかったら、「に、ても、ない!」と何度も繰り返す。ああ、「鬼が来ても泣かない」と言っているのだ。
しかも、「ママはぁ、むし、けどぉ」という。ほほぅ、お前、私を泣き虫といいやがったな。しかも人聞きが悪いじゃないか。苦笑したものだ。
幼児の発語は、「あ~」などの発声から、単語1つのみを発する段階、「わんわん、来た」のように2文節で状態を表す文を発するようになると聞いている。
絵本を指して、「こえは?」と尋ね、私に答えさせることがあっても、「パパきた」ということはなかった。息子には、なかなかそういう発達の段階が見られないと内心焦ったが、「と、てね」がそれだったのだ。私が気がつかなかっただけだ。
ちなみに、消防車は「う~かんかん」だったが、さて「う~かんかんきた」と言ったかどうか。まぁ、「と、てね」はしっかり2文節だ。
保育園では実にいろいろな体験をしただろうし、同じ年頃の子の様子を目にすると、親が口で説明しても分からないことが、一目でわかることが多い。
私自身が年子の姉のふるまいを逐一観察していたのだから。
さて、舌たらずは耳のせいでもあるようだ。小さい子は風邪をひくとすぐ耳の炎症につながってしまうそうで、いつもよく聞こえないのだろう。耳鼻科にはよく通ったものだ。4歳ごろにもなると、耳も詰まりにくくなってくるのと、「昨日」や「明日」がわかるようにもなるし、意識がはっきりしている時間が長くなる。
とあるひ、保育園の帰り、小さな手を握って歩きながら私は何気なく息子に語り掛けた。
「…うっとらまんこつもっつ、ねぇ」と言ったら、超真顔で「ウルトラマンコスモス、でしょ」と突っ込まれた。
これも苦笑である。
ちなみに息子の初めての言葉らしい言葉は、「ぱ、ぱ~」だった。
言い訳がましいが、3歳ごろまでは私のことを呼ぶとき「パパ」と呼ぶことがあったことを記しておこう。
最新の画像[もっと見る]
- 熱海旅行 1ヶ月前
- 南伊豆へ7 3年前
- 南伊豆へ7 3年前
- シラス丼! 5年前
- シラス丼! 5年前
- 都内閉鎖か 5年前
- 神田川沿いの小さな花 5年前
- 神田川沿いの小さな花 5年前
- 神田川沿いの小さな花 5年前
- 神田川沿いの小さな花 5年前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます