ようやく晴れた日の皇居
外国人観光客の姿も多い大手門は
皇居東御苑入口(入場無料)
大手門から、番所、百人番所を通って、武道場済寧館の向かいに皇居三の丸尚蔵館がある
皇居三の丸尚蔵館開館記念展
皇室のみやびー受け継ぐ美ー
第3期を鑑賞
第3期のテーマは、近世の御所を
飾った品々
第一会場正面に
不思議な屏風?
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琉球塗板屏風(旧桂宮家伝来)
江戸時代(17〜18世紀)
『油と顔料を混ぜて描く油絵の一種、密陀絵(みつだえ)による屏風です。 表に花鳥や野馬などを描き、裏には山水や人物とともに詩文が記されています。旧桂宮家に伝えられた品で、江戸時代後期には桂離宮において、唐物の茶道具とともに飾られていた ことが記録から知られます。』作品紹介より
旧桂宮家は、一旦、豊臣秀吉の猶子となった智仁親王が鶴丸の誕生で猶子解消となり、秀吉の奏請で八条宮家を創設し、常磐井宮、京極宮、桂宮と称号を受け継ぐ。明治14年まで約290年存続した四親王家の一つ。「桂離宮」は、天正18年(1590)に八条宮家の別荘として造営された。
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![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240502/14/yama-chan1/78/9f/j/o1080108015433320225.jpg?caw=800)
琉球塗料紙箱・硯箱 江戸時代(17世紀)
『琉球王国時代 (1429-1879)の17世紀頃に本土からの求めに応じて琉球で製作されたと考えられます。旧桂宮家に伝来しました。』作品解説より
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修学院焼ふくべ形香炉 江戸時代18世紀
修学院焼は、修学院離宮の御庭焼で現存作品が希少な焼物
ふくべ形はユウガオの実をあらわす
第2会場正面は
衝立
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240502/14/yama-chan1/fa/92/j/o1080108015433320916.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240502/14/yama-chan1/c7/0c/j/o1080108015433320918.jpg?caw=800)
牡丹に蝶 茶に小鳥図衝立
円山応立 江戸時代19世紀
『牡丹と蝶の図と、茶の花と小鳥の図を表裏に張った、親しみやすい画風の衝立です。腰板の蒔絵や縁の裂にも、宮中の美意識が見てとれます。応挙を祖とする円山家を継いだ円山応立は、安政2年(1855)に京都御所の障壁画を描いており、本 図もその頃制作されたのでしょう。』作品解説より
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240502/14/yama-chan1/1e/30/j/o1080108015433322722.jpg?caw=800)
百鳥図 伝銭選 中国明時代16世紀
鳥の王、鳳凰を中心に43種97羽が描かれている
明治時代に京都・妙心寺より献上されたが、それ以前に御所にあった可能性があるらしい
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浜松図屏風 海北友松 桃山時代慶長10年(1605)
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源氏四季図屏風 円山応挙
江戸時代18世紀
雲紙本和漢朗詠集が国宝になったことを解説している
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240502/14/yama-chan1/4b/a6/j/o1080108015433322724.jpg?caw=800)
雲紙本和漢朗詠集 伝藤原行成
平安時代11世紀
『藤原公任撰『和漢明詠集』を書写した完本で、源兼行の筆 と推定されます。名称は藍で染めた雲形のある料紙の 使用に由来します。斜めに雲形が配置される点が本作の特徴です。跋文からは近衛家で旧蔵の後に禁裏御所の所有に期し たことが推測されます。 』作品解説より
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和歌懐紙・詩歌懐紙張交屏風
伏見宮貞敦親王ほか
室町〜江戸時代16〜17世紀
『貞敦親王ほか親王、諸門跡、公卿、殿上人らの詠歌、詩詠した懐紙が、屏風1隻に24名ずつ、48名分が張り交ぜられま す。檀紙などの高級料紙が使用されており、禁裏や宮家主催の詩歌会でしたためられたと思われ、後に屏風に仕立てられて 伝来したと推測されます。』 作品解説より『『源氏物語』の紅葉賀や常標など4場面を、精緻な描写と鮮 やかな色彩で描いた屏風で、京都御所に伝来した作品です。 者の狩野永岳は、19世紀の京都で活躍した狩野派の絵師です。京都御所の障壁画制作に参加したほか、彦根藩の御用絵 師としても活躍しました。』作品解説より
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240502/14/yama-chan1/93/54/j/o1080108015433322757.jpg?caw=800)
六玉川図巻 住吉広守 江戸時代18世紀
『名所として知られた6つの玉川(六玉川)は、平安時代より歌枕として親しまれてきました。本作では和歌に詠まれた玉川の風景が、靄の合間に濃密な色彩と描線によって広がります。 江戸時代中期に活躍した住吉広守が、宮中の依頼により描い たと考えられます。』作品解説より
三の丸尚蔵館を出て東御苑へ