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古今東西のアートのお話をしよう

佐伯祐三展 東京ステーションギャラリー






佐伯祐三(1898〜1928)
ソース顔のイケメン
槐多、関根に比べると顔もアカデミック


大阪市出身で寺の3男、1917年東京川端画学校で藤島武二に師事する、1918年東京美術学校(現東京芸術大学)、在学中に結婚1子、1924年パリ留学、1927年パリ留学、1928年パリに死す(結核)30歳


同世代に村山槐多(1896〜1919)、関根正二(1899〜1918)がいる

村山槐多(1896〜1919)

関根正二(1899〜1918)

村上槐多が22歳、関根正二が20歳の早逝より若干長い30歳で亡くなるが、ほぼ独学で絵を描いた二人に比べると画家としてのキヤリアでは圧倒的にアカデミックである


ヴラマンク 赤い樹のある風景
1906年

パリでフォービズムの画家モーリス・ド・ヴラマンク(1876〜1958)に絵を見せると、「このアカデミックめ!」と一蹴されたという逸話は、日本で正統的絵画を学んだ証ともいえる

20世紀初頭のパリは、フォーヴィズム、キュビスム、表現主義など新しい表現を求める芸術家が世界中から集まるエコール・ド・パリの時代

展覧会の構成は、
プロローグ 自画像
1ー1 大阪と東京:画家になるまで 1ー2 大阪と東京:〈柱〉と坂の日本ー下落合と滞船
2ー1 パリ:自己の作風を模索して
2ー2 パリ:壁のパリ
2ー3 パリ:線のパリ
3  ヴィリエ=シュル=モラン
エピローグ 人物とトビラ

日本とパリでの制作に大別した構成になっている
やはり佐伯祐三がその真価を発揮できたのはパリの風景と時代の熱気だったのだろう
2ー1、2ー2は1924年の1回目の渡仏、2ー3からは1927年の2回目の渡仏から死までの作品が並ぶ


レジュドノエル 1925年

第一回目の渡仏ではパリの街の色々な風景を描くが、絵のフォルム(内容)マチエール(材質)の模索があり、その後の「壁」「線」というモチーフに行き着いたようです


ピコン 1927年

赤い看板?と街路樹の線が印象的


ガス灯と広告 1927年

くすんだ石壁に貼られた広告ポスターの文字の羅列 猥雑な熱気を感じる 大竹伸朗の「貼り紙作品」の原型のようだ



工場 1928年

デフォルメされた建物はキュビスムの影響があるのか?



煉瓦焼 1928年

力強い屋根の三角形の線 強烈な色彩 壁、煉瓦と青い空の対比 ヴラマンクでもマティスでもない佐伯祐三の個性が出ているような気がする



郵便配達夫 1928年

煉瓦焼の人物版と言えるのでは




佐伯祐三の作品は、大阪中之島美術館、和歌山県立近代美術館に収蔵品が多く東京ではなかなか実物を
目にする機会がない
今回の展覧会では、143点の全画業をほぼ網羅する

★★★★☆

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