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古今東西のアートのお話をしよう

東京小石川 散歩

現在の文京区、本郷、小石川周辺は江戸時代には大名屋敷、武家屋敷と寺社が多くあり、街道、門前には商業が発展していた。
そんな江戸の庭園を逍遥してみた。
●小石川植物園
小石川の館林藩下屋敷で育った藩主松平徳松が5代将軍、徳川綱吉(1646〜1709)となり、1684年に小石川御殿内の北側に幕府の「小石川御薬園」を設けた。明治になり東京帝国大学の附属植物園となる。


精子発見のソテツと銀杏

本館 内田祥三設計 1939年
内田祥三(1885〜1972)は建築家で東京帝国大学総長。東大安田講堂などを設計。


日本庭園に下りる

館林藩下屋敷(白山御殿)庭園跡
国指定名勝

旧東京医学校本館(重要文化財)
東大構内にあった建物を移築再建

庭園端から旧東京医学校本館を眺める

公開温室では…
(ネット画像借用)
温室では世界最大の花といわれる※”ショクダイオオコンニャク“小石川植物園では13年ぶりの開花とのことで話題に!!
※ショクダイオオコンニャクはインドネシア西部にあるスマトラ島原産のサトイモ科の植物。花などが集まってできた「花序」と呼ばれる部分が、高さ3メートルを超えるものもあり、最も大きな花の1つと言われている。単独の花では”ラフレシア”が最大。虫をよぶため、どちらも強烈な異臭を放つ。

本館入口のポスター
12月17日まで、付属の柴田記念館で「牧野富太郎と小石川植物園」展もやってます!

植物園を出る🚶

茗荷谷から後楽園へ
●小石川後楽園
水戸徳川家の江戸屋敷の中に造営された庭園で、二代徳川光圀(1628〜1701)の時代に完成した。国指定特別名勝、特別史跡

後楽園とは、漢詩「先天下之憂而憂 後天下之楽而楽」から、忠臣の国を思う情を表す。即ち「天下の憂いに先立ち憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」水戸藩の徳川家に対する忠義を表している。

中国風内庭

初代水戸藩主徳川頼房は、京都、近江、駿河の景勝地を模した日本庭園に、二代徳川光圀が明から亡命していた儒学者「朱舜水」の意見を取り入れ、「西湖の堤」「円月橋」など中国風物を加えた。

(ネット画像借用)
大泉水 蓬莱島 徳大寺石

大泉水周辺

嵐山の風景を模す

通天橋より嵐山を眺める

後楽園から駒込へ

●六義園
5代将軍徳川綱吉(1646〜1709)の側用人で譜代大名の柳沢吉保(1658〜1714)が江戸屋敷として自ら設計・指揮して造営した。
紀州の景勝地「和歌浦」をモデルとした回遊式築山泉水庭園。

妹山・背山
中の島の築山 中央の立石が陽石で左が妹山、右が背山 古代、女性を妹、男性を背と呼んだ 男女の間柄を表す
蓬莱島
明治期六義園を一時所有していた岩崎家により設置された


滝見茶屋

つつじ茶屋付近の紅葉

山陰橋

渡月橋

小石川植物園は、近世の大名庭園、小石川御薬園、小石川療養所、明治の東京大学付属植物園と江戸から明治の歴史に残るユニークな場所で、黄葉した銀杏の巨木が印象深い。
小石川後楽園と六義園は、東京に3ヶ所(あと一つは、浜離宮庭園)ある特別名勝の大名庭園の二つである。今回は特に、六義園の紅葉に心引かれた。

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