古今東西のアートのお話をしよう

日本美術・西洋美術・映画・文学などについて書いています。

ミーナの行進 小川洋子

2023-08-21 19:50:40 | 本(レビュー感想)

かわいい装丁は、イラストレーターの寺田順三
二人の少女は小さいほうが小6のミーナ、となりが中1の朋子

小川洋子は1989年8月、長男を出産

1991年1月『妊娠カレンダー』で芥川賞を受賞

2002年3月、夫の転勤のために兵庫県芦屋市に転居

2004年『博士の愛した数式』で家政婦の母子と老博士を描く

2006年『ミーナの行進』


『ミーナの行進』は岡山の母子家庭に育った”朋子“が、母の姉妹が嫁いだ芦屋の洋館に寄寓した1年を、大人になった“朋子”が回想する物語

美しくて、 かよわくて、本を愛したミーナ。 あなたとの思い出は、損なわれることがない ミュンヘンオリンピックの年に芦屋の洋館で育まれた、ふたりの少女と、家族の物語。 あたたかなイラストとともに小川洋子が贈る新たなる傑作長編小説。」文庫本背表紙より


小説には、当時の芦屋の様子が描かれている
ミーナが暮らす洋館は、ヴォーリズ建築の旧小寺敬一邸がモデル(現存しない)

本好きのミーナ(本好きの小川洋子を代弁)を語る好きな文章

米田さんはミーナのしつけもするお手伝いさん以上の存在
『ただ一つの例外は本だった。 ミーナが読みかけの本を、サンルームのテーブルに開いた まま伏せて置いてあったとしても、 米田さんは決して勝手に片付けたりしなかった。ベージの反対側にはまだ見ぬ世界が隠されており、本はその伏せられた形によって、残りの世界に戻るための入り口を示しているのだから、無闇に触れてはならない。 ミーナが迷子にならないために。そう、米田さんは心得ていた。』

病弱のミーナに頼まれて『本』を借りた芦屋市立図書館打出分室

朋子が恋心を抱く図書館の受付係の青年に、川端康成の『眠れる美女』を勧められ(中1の少女が読む小説ではないが…) 感想を聞かれる

『もちろんです。確かにちょっと奇妙な本だなとは思いました。 老人の他には、眠ってい て一言も口をきかない女の人が出てくるだけですから。でも、分かりました。この老人は 死ぬ練習をしているんです。 薬で眠らされて、半分死んだも同然になっている若い娘さんのそばで一晩過ごすことは、布団の中で死と一緒に眠るのと同じです。そうやって老人は、 死ぬことになじもうとしているのです。いざその時になって、怖くて逃げ出したりしない ために・・・・・・』と朋子が感想を述べる(感想はミーナの受け売り)


訊ねた図書館の青年“とっくりさん”は、

『死を恐れる老人に感情移入できる中学生がいるとは、驚いたなあ』と感心する

小川洋子の解釈なんだろうが、「なるほど!」と感じ入った次第


クリスマスには、六甲山ホテルの料理人が出張して家で作ってくれる

ミーナが入院した甲南病院

もう一人?重要な登場者は”ポチ子“
見てお分かりの通り“カバ”ですが、”コビトカバ“です

『体長150〜175センチメートル。肩高75〜100センチメートル。体重180〜275キログラム。背面の体色は黒灰色で、腹面の体色は灰がかった淡黄色。』


ミーナのお父さん(伯父さん)は、地場大手清涼飲料水『フレッシィー』製造販売会社の社長

伯父さんの愛車メルセデス・ベンツの10台分の値段でアフリカのリベリアから買い入れたコビトカバ

病弱な“ミーナ”は、”ポチ子“に椅子型の鞍を付けて“ポチ子”の背に乗って、先導する”小林さん“と3人で毎日小学校に通学した

それは、象に乗るインドの姫君のようで、朋子は『ミーナの行進』と呼んだ


朋子とミーナには、それぞれに幼い恋心を向ける青年がいる…
芦屋の家族は、ミーナとスイスに留学中の兄の龍一、母親の伯母さんと父親の伯父さん、伯父さんの母親でユダヤ系ドイツ人のローザおばあさん、ローザおばあさんと双子のように仲が良い米田さん、ポチ子の世話をする小林さん、そして伯母さんの姪っ子の朋子

伯父さんはある日突然、洋館に戻ってこない日が続く、伯母さんは毎夜、アラビア風の喫煙室にこもり、趣味の誤植探しをしながら、一人で酒を飲んでいる

なぜか、家族の誰もが消えた伯父さんの事に触れない…


ミュンヘンオリンピック
男子バレー、ジャコビニ流星群と
幼い恋の行方と伯父さんの謎が
交差する…
★★★★★
小川洋子のちょっぴり毒のある
ユーモアとストーリーテラー
ぶりが味わえる、かわいい小説


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ショック・ドクトリン ブッシュ

2023-07-04 17:15:23 | 本(レビュー感想)

ナオミ・クライン(1970〜)


チリ(ピノチェト)、中国(鄧小平)、アメリカ(レーガン)イギリス(サッチャー)、ロシア(エリツィン)などで、フリードマンとシカゴボーイズは新自由主義の“ショック・ドクトリン”を陰に陽に展開してきた。
そして、ジョージ・W・ブッシュが登場する。


ジョージ・W・ブッシュ(1946〜)

左からラムズフェルド国防長官(1932〜2021)、ブッシュ大統領(1946〜)、チェイニー副大統領(1941〜)

「悪の枢軸」ならず「ゼニの枢軸」か!?

アメリカでは、政策決定する政府と民間企業の間の見えない「回転ドア」があると言われる。

「回転ドア」を通じて、民間企業が幹部を政府中枢に送り込み、自分たちに都合のよい政策を法制化し、政府事業をその企業に発注し、再び「回転ドア」を回してその企業に戻り出世する仕組みです。

フリードマンと親交のあるラムズフェルドは、フォード政権で国防長官を努め、退任後現ファイザー社、日本政府が大量に買い上げたタミフルのギリアド・サイエンシズ社の重役を歴任していた。
チェイニーは、フォード政権で大統領補佐官を努め、ブッシュ(父)政権で国防長官時代に軍事関係の民間委託を大幅に増やした。その後、軍の運営も民間委託する官民連携が生まれ、巨額の契約を勝ち取ったが多国籍企業ハリバートン社にチェイニーが「回転ドア」を通じてCEOになり、政府から同社への支払いは倍増した。


代41代大統領 ジョージ・H・W・ブッシュ(パパ ブッシュ)
(1924〜2018)

一方、ジョージ・W・ブッシュ大統領は、ケネディ家、ロックフェラー家と並ぶアメリカの名門ブッシュ家の“お坊ちゃん”で父親は、代41代大統領ジョージ・H・W・ブッシュ。一族は石油産業の実業家、銀行家で財を成した。テキサス州知事時代には、刑務所、セキュリティ関連など州政府業務を積極的に民間委託した。

2001年1月20日、ブッシュが43代大統領になり、チェイニーが副大統領、ラムズフェルドが国防長官になった時から、ナオミ・クラインは、アメリカ政府の「完全空洞化」に向かったと言っている。

2001年9月11日の「同時多発テロ」は世界に衝撃を与えた痛ましい事件でした。
テロの直後、フリードマン理論の三本柱の一つの「民営化」の弊害に、批判が集中した。それは、テロリストが空港のセキュリティ・システムを難なく通過したことに表れた。レーガン政権下で空港組合を叩き、人員削減、規制緩和でセキュリティは契約社員が担っていた。公共インフラも民営化していたため、非常事態の連携が上手く取られなかった。その中で、消防士、警察官など公務員の活躍が称賛された。

この、世論の動きに対して、ブッシュ政権は、

『ふり返ってみれば、 9. 11直後に人々が茫然としていた時期に起きたのは、まさに国内版経済ショック療法だった。 フリードマン主義に徹したブッ シュ・チームは、ただちにこのショック状態につけこみ、戦争から災害対応 に至るすべてを利益追求のベンチャー事業にするという、 急進的な政府の空 洞化構想を推し進めるべく動き出したのだ。


ナオミ・クライン

ここでショック療法は大胆な進化を遂げた。既存の公的企業を民間に売却 する九〇年代の手法とは違い、ブッシュ・チームは、「テロとの戦い」とい う名目のもと、初めから民営化を念頭に置いたまったく新しい枠組みを構築 したのである。(第14章「米国内版ショック療法」)』とナオミ・クラインは書いている。


ウサマ・ビンラディン(1957〜2011)

ブッシュ大統領は、国民がショク状態にある中、2001年9月12日「テロとの戦い」を宣言し、対テロ戦争と位置づけた2001年10月7日「アフガニスタン紛争」を起こした。2001年10月26日「米国愛国者法」がスピード可決され、政府が国の隅々まで監視できるという法律で、国中に監視カメラを設置、国民の通信の傍受し、国民の消費行動データも当局がチェックすることが合法化された。自由と民主主義の国アメリカは、共産党独裁政権の中国と変わらない監視社会になった。「米国愛国者法」は人権に配慮した2015年6月1日「米国自由法」が成立するまで続く。

『9・11以前には存在しなかったに等しいセキュリティー産業は、わずか数年のうちに映画産業や音楽産業をはるかに上回る規模へと驚異的な成長を遂 げた。しかし、もっとも驚くべきなのは、セキュリティー・ブームがひとつ の経済分野として分析されたり議論されたりすることがほとんどないという点だ。 セキュリティー産業とは、抑制のない警察権と抑制のない資本主義が、 いわば秘密刑務所とショッピングモールが結びつくように合体した前代未聞 の産業なのである。(同前)』とナオミ・クラインは書いている。


ブッシュ大統領は、2002年1月29日の一般教書演説で当時の「北朝鮮、イラン、イラク」の3国を大量破壊兵器を開発、保持する『悪の枢軸』と名付けた

サダム・フセイン(1937〜2006)

2003年3月20日、「イラクは大量破壊兵器を保持している。サダム・フセインは民主主義の敵だ」として国民の圧倒的支持を受け「イラク戦争」を起こす
開戦の空爆作戦のコードネームは『衝撃と恐怖』作戦と名付けられた。
しかし、当時のイラクは、国営の石油事業収入を軸に、社会主義的政策で国民は安定していたらしい。欧米メディアのサダム・フセインの圧政下で苦しむ国民とは正反対だった。

イラク戦争で、イラクを占領したアメリカは「侵攻、占領、復興」を一気に行い、惨事便乗型資本主義複合体は大きな利益を得たフリードマン主義の「戦争と再建の民営化モデル」による「新植民地主義」が誕生した。

2005年12月14日、ブッシュは、「イラク戦争開戦以前にイラク国内に大量破壊兵器は無かった」と発表した。

ブッシュ大統領にはいろいろな逸話が多いが、ハーバード大学時代にブッシュ氏の授業を担当した、霍見 芳浩(1935〜)ニューヨーク市立大学教授は、『彼は非常に出来の悪い生徒だったのでよく覚えている。典型的な金持ちのお坊ちゃまで、怠惰で授業態度も悪く、どんな組織のリーダーにもなれない人物』と評価されたり、大統領になって、公式の場でブラジルの大統領に『あなたの国にも黒人はいるか?』と尋ね、ライス補佐官に即座に訂正されたらしい。

そんなブッシュ氏を描いた映画が、
マイケル・ムーア監督
「華氏911」2004年
カンヌ国際映画祭パルムドール


オリバー・ストーン監督
「ブッシュ」2008年

ドナルド・トランプ、日本に続く


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小説 命売ります 三島由紀夫

2023-06-13 16:13:46 | 本(レビュー感想)
三島由紀夫のエンタメ小説ブログ第二弾、『命売ります』1963年

『肉体の学校』1963年、は女性誌“マドモアゼル”への連載
『命売ります』は男性誌“週刊プレイボーイ”1968年5月21日号ー10月8日号(全21回)への連載


あらすじは、

目覚めたのは病院だった、まだ生きていた。 必要とも思えない命、これを売ろうと新聞広告に出したところ......。
危険な目にあううちに、ふいに恐怖の念におそわれた。 死 にたくないー。
三島の考える命とは? 解説 種村季弘
』文庫本背表紙より



自殺に失敗した27歳の“羽仁男(はにお)”は、コピーライターとして勤務する広告代理店を辞め、『三流新聞の求職欄に、次のような広告を出した。 「命売ります。お好きな目的にお使い下さい。当方、二十七歳男子。秘密は一切守り、決して迷惑おかけしません」 そしてアパートの住所をつけておき、自室のドアには、 「ライフ・フォア・セイル 山田羽仁男」 と洒落たレタリングをした紙を貼った。


自殺の理由をしいてあげると、

・・新聞を拾い上げ、さっきから読んでいたページをテーブルに置 いて、拾ったページへ目をとおした。すると読もうとする活字がみんなゴキブリになっ てしまう。読もうとすると、その活字が、いやにテラテラした赤黒い背中を見せて逃げ てしまう。』エクリチュール(書かれたもの)は、一つの場所に留まらず、色んなところに流れ出し、解釈、誤解という相対的なものである。生業とする“文章”は絶対的なものではない。『ああ、世の中はこんな仕組みになってるんだ』と気づく。『わかったら、むしょうに死にたくなってしまったのである。



命を買う“男”と“女”、モテまくる“羽仁男”、謎の秘密結社、吸血鬼、淫乱女などワンダーランドな世界のハードボイルド小説



当時の日本は、1964年の“東京オリンピック”が終り、高度成長期の高揚感と虚無感が入り混じり、政治的には安保闘争と東西冷戦の緊張は続いていた


当時の映画は、この頃の時代の空気を反映している



日本一の男の中の男 1967年
主演 植木等、浅丘ルリ子

無責任シリーズ、日本一シリーズが絶好調、無責任で、明るく、軽く、モテまくり、出世もとげる
植木等、クレージー大好きです



殺人狂時代 岡本喜八監督 1967年
主演 仲代達矢、団令子

人口調整のために無駄と判断した人間を秘密裏に殺す秘密結社「大日本人口調整審議会」の首領はナチスの元同士、ブラックユーモア満載の荒唐無稽なハードボイルド
岡本喜八監督は、同年に、「日本のいちばん長い日」もリリースしている


日本のいちばん長い日 
岡本喜八監督 1967年
終戦の玉音放送をめぐる長い一日
主演 三船敏郎

どちらも素晴らしい作品です


当時の三島は、〈文士が政治的行動に足をすくわれる〉という、自身の〈危険〉を自覚していた三島は、それを凌駕する〈本物の楽天主義〉〈どんな希望的観測とも縁もない楽天主義〉がやって来ることを期待し、〈私は私が、森の鍛冶屋のやうに、楽天的でありつづけることを心から望む〉心境でもあった。』と書いている。
『われら』からの遁走ー私の文学 1966年3月より


『命売ります』1968年当時の日本は、経済成長は継続し、皆が楽天的な気分の一方、安保闘争、世界では東西冷戦の対立構造は変わっていない。

三島由紀夫は、自衛隊に体験入隊し、その後の「楯の会」の中心となる早稲田の学生、森田必勝と出会う

『奔馬』の連載開始、『葉隠入門』『文化防衛論』を発表し、「楯の会」を結成する。


そして、1970年11月25日日の三島事件に至る。



自殺に失敗した“羽仁男”は、三島由紀夫の当時の揺れ動く心境を反映しているのだろう、“羽仁男”の命を買う、学生服の少年“薫”は「森田必勝」なのではないか。

死を恐れない“羽仁男”は、後半では捨てたはずの生を渇望する。



ドイツ文学者・評論家の種村季弘は、文庫本の解説 三島由紀夫の全能と無能の最後を、

『ここには主人公羽仁男のそれよりは、小説家三島由紀夫その人の生身の魂の告白が、あからさまに吐露されているように思えてならないのである。』と結んでいる。



自殺に失敗した“羽仁男”の命を買う“男”と“女”、モテまくる“羽仁男”、謎の秘密結社、吸血鬼、ニンフォマニアなどワンダーランドな世界のハードボイルド小説は、村上春樹の小説を思わせる。村上春樹は三島由紀夫の『命売ります』に影響を受けたのでは?


★★★★☆


村上春樹好きにもお勧めします





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小説 肉体の学校 三島由紀夫

2023-06-12 17:42:28 | 本(レビュー感想)
三島由紀夫のエンタメ小説には、隠れた?傑作が多いのではと思います。本作も当時の20代向け女性誌『マドモアゼル』(小学館)1963年1月号ー12月号に連載され、後日、単行本化されたものです。

題名の『肉体の学校』は、ラディゲの『肉体の悪魔』をもじったものでしょう。




あらすじは、 

裕福で自由な生活を謳歌して いる三人の離婚成金。 映画や 服飾の批評家、レストランの オーナー、ブティックの経営者と、それぞれ仕事もこなしつつ、 月に一回の例会 "年増園”の話題はもっぱら男の品定め。 そのうちの一人元貴族の妙子がニヒルで美形のゲ イボーイに心底惚れこんだ ・・・・・・。 三島由紀夫の女性観、 恋愛観そして恋のかけひきと は? 解説 群ようこ』文庫本背表紙より



主人公の妙子は、戦前、男爵夫人であったが戦後に離婚し、39歳の現在はブティックを経営する実業家。

彼女と同年代の友人、鈴子はレストランオーナー、信子は映画、服飾評論家で、戦前の令嬢時代から社交界で話題の仲間だった。

ゲイ・バーで働く、美青年のバーテンで千吉は、『神田の坂の上の頂きに、小さな品の良いホテル』(山の上ホテル)から見える、R大学(明治大学ですね)の学生で21歳、大学には真面目に行っていないようだ。

千吉は、“お金”で男にも女にも体を売っているらしい。

そんな千吉に一目惚れしてしまう妙子…



ゲイ・バーには、古風な『パリスの審判』の絵がかかっている。


【参考】


クラーナハ パリスの審判
ゲイ・バーにはクラーナハが似合う気がするが…
三人の女神からパリスが選んだのは、美とエロスの“ビーナス”だった



本作は、日本とフランスで映画化



1965年 木下亮監督 
出演 岸田今日子、山崎努



1998年 ブノワ・ジャコ監督 
出演 イザベル・ユペール、ヴァンサン・マルチネス
1998年カンヌ映画祭ノミネート


金持ちのアラフォーと若い男の恋愛は、プロットだけでもフランス映画
に馴染みますね




残念ながら、日本版もフランス版もDVDを発見出来ませんでした
出来はわかりません…


小説は、三島由紀夫のストーリーテラーぶりが遺憾なく発揮され、エンタメ小説として十分楽しめました
ラディゲやラクロを読みやすくし、現代女性のある種の憧れに叶うような作品

解説の群ようこ氏(小説『カモメ食堂』)は、

妙子は女性が憧れる、すべての物を持っている。 ファッション・デザイナーとして仕事 も成功している。経済的には申し分ない。 だから男性なんか必要ないというタイプではな い。 恋愛に溺れることなく、うまく男性と付き合うセンスを持った女性である。 恋にも仕事にも貪欲に生きるタイプである。私は自分がそういうタイプではないので、そういう恋 愛エネルギーが強い女性に憧れてしまう。なぜ私がそういうふうにならないかというと、 ただただ面倒臭いからなのだ。』と解説で評している。


小説なら“恋”も、
面倒臭くならないですね
お勧めします

★★★★☆

ラストはスッキリ!!


小説 博士の愛した数式 小川洋子

2023-06-06 08:33:11 | 本(レビュー感想)

「密やかな結晶」薬指の標本」「ホテル・アイリス」という “内面の深いところに ある混沌” をテーマにした謂わばダークサイドの作品群を選んできた私には「博士の愛した数式」の『あまりに悲しく暖かい、奇跡の愛の物語。』は気恥ずかしくて避けていましたが、河合隼雄氏との対談集「生きるとは、自分の物語をつくること」を読んで、数学と小説という組合せに惹かれ読んでみました。

『あまりに悲しく暖かい、奇跡の愛の物語。』でしたが、物語の背後には、しっかりと小川洋子の世界がありました。


物語は、

『[ほくの記憶は80分しかもたない] 博士の背広の袖には、そう書 かれた古びたメモが留められてい た記憶力を失った博士にとっ て、 私は常に “新しい” 家政婦。 博士は “初対面” の私に靴のサイ ズや誕生日を尋ねた。 数字が博士 の言葉だった。 やがて私の10歳の 息子が加わり、ぎこちない日々は 驚きと歓びに満ちたものに変わっ た。 あまりに悲しく暖かい、 奇跡の愛の物語。 第1回本屋大賞受賞。』文庫本背表紙より




【参考】映画『博士の愛した数式』



63歳で元大学教授の数学博士、アラサーでシングルマザーの家政婦の私と10歳の息子、そして博士と同じ敷地に住む未亡人の義理の姉の四人が登場人物である。



博士と未亡人



家政婦の私には父親の記憶がない。母親は結婚できない男と恋し、ひとりで私を産み育てた。

父親の不在(死亡あるいは庶出)は、小川洋子の根本的設定(私=女性の場合)である。そして、私の相手はいつもの父親ほど年の離れた老人(あるいは父的妻帯者)である。

本作の私は、高校3年の時にアルバイト先の大学生と関係し、息子を産んだ。母親は娘を許せず、私は家を出て家政婦をしながらひとりで息子を育てる。


博士は、40代の頃自動車事故で脳に障害を受け、新しい記憶は80分しか持続しない。そんな博士のもとに家政婦の私が派遣され、やがて博士に気に入られた阪神ファンの息子も加わり、博士と10歳の息子との友情、私と博士との交感、驚きと歓びに満ちた新しい生活が始まる。




博士、息子、私



友愛数、素数、完全数、フェルマーの最終定理など数学の定義、定理と阪神タイガース、江夏豊が物語の糸を紡いでゆく。



例えばこうだ、博士が私に誕生日を聞く、私の誕生日は2月20日220
博士が大学時代にもらった腕時計の裏に刻された“学長賞No284”の284

220と284は友愛数


『220:1+2+4+5+10+11+20+22+44+55+110=284

220 =142+71+4+2+1: 284

「正解だ。見てご覧、この素晴らしい一続きの数字の連なりを。220の約数の和は 284。284の約数の和は220。 友愛数だ。滅多に存在しない組合せだよ。 フェルマーだってデカルトだって、一組ずつしか見つけられなかった。神の計らいを受け 絆で結ばれ合った数字なんだ。美しいと思わないかい? 君の誕生日と、僕の手首に刻まれた数字が、これほど見事なチェーンでつながり合っているなんて」』
なんというロマンチックな口説き文句だ! 数学が詩になっている




私、未亡人


ある日、家政婦事務所から博士宅への派遣中止を宣告される。未亡人が派遣を拒否したらしい、私は、博士の障害の原因になった自動車事故の新聞記事を調べる。運転していた博士の助手席に乗っていたのは未亡人だった…


一気に読んでしまいました。映画は見ていません。小説の中で読める数式がモチーフとして重要で、映画では難しいのではと思いますが、はたして? 



物語の背景、“内面の深いところに ある混沌” が、小説の表にしゃしゃり出ることは無く、生を肯定する希望に満ちた作品に仕上がっている。


★★★★★


博士、未亡人、私、息子は

記憶と現在が反目しない不思議な“縁”で結ばれる




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