今日は年度の最終日3月31日でした。
けやきの会(NPO法人夢ハウスけやきの家)としての障がい者施設「夢ハウスの最後の一日でした。
明日からは社会福祉法人中越福祉会の施設「みのわの里夢ハウスけやきの家」として新たな一日が刻まれます。
職員の皆様とたかちゃん、ボランティアの齊藤君、山崎君、そして長澤お父さんもお手伝いにかけつけてくれ、朝から施設の整理と清掃を行いました。
川崎に開設してから(その後江陽に引越)12年。
今日その歴史にひとつのピリオドがうたれました。
「夢ハウスけやきの家会報特集号」が26日に配布されました。
表紙の文書
青空の中に「けやきの家」は、毎日私たちを迎えてくれています。
「おはようございまーす。」「一、二、三、四・・・」のラジオ体操で始まった一日。
「さようなら。また明日笑顔で会いましょう。」と帰っていく利用者の笑顔。
長い年月、皆んなで皆んなを支え合った「けやきの家」。
いっぱい いっぱい 皆さんの思いをお伝えしたいのですが、紙面の関係で出来ません。
でも、私たちの思いをくんでください。
ありがとう。「けやきの家」のおかげです。
また今から明日に向かって一人ひとりが歩んでいきます。
私がけやきの会の財務を引き受けてから10年あまりが過ぎました。
次は私が寄稿した一文です。
長年フリマの首謀者として多くの皆様を苦しめてまいりました。
財務担当になった時には、繰越金が2百万くらいでした。
施設を維持するために安定収入を確保しながら、将来の移転拡張に備えてお金が必要でした。
ここから悪戦苦闘とアイデア勝負がはじまりました。
すずらん通りや大手通りへのフル出店に加えて、スーパーの店頭などで回数を増やしました。
綿飴、熱射病が恐怖だった長岡祭への連日出店や長岡会場を作り上げた24時間テレビなどで年間収益が100万円を超えたこともありました。
けやきのフリマは品揃えと安さと綿飴で多くの皆さんから注目され、「頑張っている姿に共感した」と言って寄付金が増加し、施設移転の年には378万円に上がりました。
NPO法人を設立し、地域活動支援センターとして認定され、補助金も増加しましたが、皆様のご協力も夢ハウスの永続的な運営を支えるまでには至りませんでした。
長年財務を預かった結果に対して責任を痛感し、お詫びを申し上げます。
さて、今日の話題に戻しましょう。
長年夢ハウスの資金を支え、多くの方からけやきの会の懸命な姿を見ていただいたフリーマーケット商品や多くの方からお買い上げいただき、使われてきた手作り作品の素材が大型トラック満載で夢ハウスから運び出されました。
作業室や事務室から、明日からは不要だと思われる開設以来の会議資料や一つ一つ思い出の詰まった品々もトラックに積み込まれていきました。
首までどっぷりと活動に漬かるきっかけとなった「愛をください」の歌詞を青木優先生が書いてくれて、川崎夢ハウスの時代からいつも壁に掲げてあったのも自らの手で畳みました。これが私の今日最大の仕事だったように感じました。
愛はいつも皆さんの傍らにありました。
明日からもいつも皆さんの胸の中に置いてください。
ありがとう夢ハウス、ありがとう利用者や職員の皆さん。
明日からもみんな元気で明るくへこたれないで一歩一歩歩いて行きましょう。
ぷーさんは泣かないから、みんなも泣かないで明日からまた前に向かって歩いていきましょう!
けやきの会(NPO法人夢ハウスけやきの家)としての障がい者施設「夢ハウスの最後の一日でした。
明日からは社会福祉法人中越福祉会の施設「みのわの里夢ハウスけやきの家」として新たな一日が刻まれます。
職員の皆様とたかちゃん、ボランティアの齊藤君、山崎君、そして長澤お父さんもお手伝いにかけつけてくれ、朝から施設の整理と清掃を行いました。
川崎に開設してから(その後江陽に引越)12年。
今日その歴史にひとつのピリオドがうたれました。
「夢ハウスけやきの家会報特集号」が26日に配布されました。
表紙の文書
青空の中に「けやきの家」は、毎日私たちを迎えてくれています。
「おはようございまーす。」「一、二、三、四・・・」のラジオ体操で始まった一日。
「さようなら。また明日笑顔で会いましょう。」と帰っていく利用者の笑顔。
長い年月、皆んなで皆んなを支え合った「けやきの家」。
いっぱい いっぱい 皆さんの思いをお伝えしたいのですが、紙面の関係で出来ません。
でも、私たちの思いをくんでください。
ありがとう。「けやきの家」のおかげです。
また今から明日に向かって一人ひとりが歩んでいきます。
私がけやきの会の財務を引き受けてから10年あまりが過ぎました。
次は私が寄稿した一文です。
長年フリマの首謀者として多くの皆様を苦しめてまいりました。
財務担当になった時には、繰越金が2百万くらいでした。
施設を維持するために安定収入を確保しながら、将来の移転拡張に備えてお金が必要でした。
ここから悪戦苦闘とアイデア勝負がはじまりました。
すずらん通りや大手通りへのフル出店に加えて、スーパーの店頭などで回数を増やしました。
綿飴、熱射病が恐怖だった長岡祭への連日出店や長岡会場を作り上げた24時間テレビなどで年間収益が100万円を超えたこともありました。
けやきのフリマは品揃えと安さと綿飴で多くの皆さんから注目され、「頑張っている姿に共感した」と言って寄付金が増加し、施設移転の年には378万円に上がりました。
NPO法人を設立し、地域活動支援センターとして認定され、補助金も増加しましたが、皆様のご協力も夢ハウスの永続的な運営を支えるまでには至りませんでした。
長年財務を預かった結果に対して責任を痛感し、お詫びを申し上げます。
さて、今日の話題に戻しましょう。
長年夢ハウスの資金を支え、多くの方からけやきの会の懸命な姿を見ていただいたフリーマーケット商品や多くの方からお買い上げいただき、使われてきた手作り作品の素材が大型トラック満載で夢ハウスから運び出されました。
作業室や事務室から、明日からは不要だと思われる開設以来の会議資料や一つ一つ思い出の詰まった品々もトラックに積み込まれていきました。
首までどっぷりと活動に漬かるきっかけとなった「愛をください」の歌詞を青木優先生が書いてくれて、川崎夢ハウスの時代からいつも壁に掲げてあったのも自らの手で畳みました。これが私の今日最大の仕事だったように感じました。
愛はいつも皆さんの傍らにありました。
明日からもいつも皆さんの胸の中に置いてください。
ありがとう夢ハウス、ありがとう利用者や職員の皆さん。
明日からもみんな元気で明るくへこたれないで一歩一歩歩いて行きましょう。
ぷーさんは泣かないから、みんなも泣かないで明日からまた前に向かって歩いていきましょう!