綿あめプーさん&あるび

綿飴ぷーさんの「けやきの会」(長岡市にある障がい者関連団体)と白馬山麓の実家の話題&アルビッレクスサポ日記

写って無いし・・・

2011年04月26日 | アルビレックス!
24日にカナールの集合画像で顔が隠れてるサポがいました。
「かわいそうだ」という意見があったので追加です。



(注)左のS君が先日の集合写真で隠れてました。

(注2)右のお嬢サポとは、たまたま隣にいてツーショットになっただけで、恋人同士というわけではありません(念のため)

しつこく問題の画像です。

ホーム開幕戦(第7節 磐田 引き分け)

2011年04月24日 | アルビレックス!
今日は今シーズンのホーム開幕戦。
夜半の雨も朝にはあがって、良いお天気になりました。

久々に集まったバカサポご一行様。カナール集合からハイテンションです。


福岡開幕戦後、東日本大震災があり(その中には長野県北部地震もあった・・・)から一ヵ月半で桜の中でのホーム開幕戦。

ジュビロサポもアルビサポもまずはこれから。


文字は「チカラをひとつに」


開始に先立って黙祷です。


終了後には、ファビの挨拶がありました。
地震、原発事故でブラジルに帰国します。

泣きながら、さよなら挨拶の後に、グランド一周。
試合後も残っていたサポからは例の「オレ オレ オレ ファビ~ニョ!」のチャントが沸きあがりました。




試合ですが、前半立ち上がりはアルビペースで、5分にはヨンチョルのPKで先制。
その後はなかなかペースがつかめず、磐田の高い位置からのプレッシャーにカウンターで対応。

後半69分にジウシーニョのヘディングで同点にされ、そのまま引き分け。

でもまだ2位にいます。(観客は33,662人)

ヨンチョルへのマークが厳しかったです。
彼がボールを持つと2,3人がマークに付きます。
それでも何度かドリブル突破で切り込みましたが、ゴールネットは揺らせませんでした。
しかし、相手ディフェンダーを引き付けて、ミシューやロペスへのパスが利いていたように思います。(前半戦は)

ロペスは前線で張っていますが、守備でも高い位置から、相手を追い回して、献身的に走り回っていました。「新潟的」な選手かもしれません。

東口は1点失いましたが、彼の持ち味である長いフィードが正確になってきました。
今シーズンは面白いように思えます。





ベガルタ仙台が逆転勝利(第7節)

2011年04月23日 | 夢ハウスの運営母体について
手倉森監督のコメント

終わった後、感極まって涙が出てしまいました。

あの、ホントにここに辿りつくまでゲームがスタートしてみないとわからない、
という状況で終わってみれば最高の勝ち方で、勝点3を取れたという所に感激しています。

今日のゲームは、チームで話をしたのは、
『とにかく注目されているゲームで、注目されているチームとして、こうやってアウェイからスタートするのは我々のアドバンテージである』という話をしました。

それにはやっぱりアウェイの戦い方をきっちりする事。
コレクティブに手堅い守備から隙を突くというやり方を、心がけてやれたからです。

もしこれが逆のホームの立場であれば、もっと果敢に行かなければならなかっただろうし、
そういった意味でイケイケにならないゲームになったのはアウェイでスタートできたからかなと思います。

先制点を取られて、2点目を取られていれば本当に厳しいゲームになっていたと思いますが、体を張って、最少失点で抑えて、追いつけた時の、チームに勢いが生まれてサポーターの後押しもあって、東北の、被災地の我々のチームに対しての日本全国からの思いというのがね、あのボールに乗り移って、勝たせてもらったのかなと思います。

本当にいいスタートが切れたので、これをやり続けていきたいと思います。


おめでとう仙台。


太田吉彰(同点ゴールの後、足が釣って立てない中でのガッツポーズ)





ピークカット大作戦 第1回トライアル結果

2011年04月22日 | 夢ハウスの運営母体について
新潟県が提唱している「ピークカット15%大作戦」第1回トライアル(4月13日17時~19時)の結果です。

新潟県庁HP「17%カットで目標達成

NHKの原信紫竹山店撮影現場。
丸山アナ発見。



27日は2回目のトライアルです。(18時~20時)

みんなで協力して新潟の底力をアピールしたいものです。

切り替えて

2011年04月17日 | ぷーさんのつぶやき
しばらくブログさぼっってました。

理由は、金曜日までに、けやきの会の決算と長岡市への報告書作成と役員会準備があったこと。(結構大変なんですよ。この時期は。)

その後、気分転換しなきゃということで、久々にアルビサポの飲み会が土曜日にありました。
ぷーさんは二次会ではひたすら寝てましたが・・・。
(そのうちご紹介予定)

今日は少し体もいたわろうと、午前中で仕事切り上げて、マッサージに。
天気が回復したので、エイヤ!と帰宅して、ぷーばあを外に連れ出しました。



少し早かったですが、お花見に。



足がまだ完全ではないので、短い時間しか歩けませんが、喜んでくれてました。
ガソリン代と称して千円お小遣いをくれたので、ありがたく頂戴しました。

追伸:昨日一緒だったアルビサポの皆様へ
ごめんね。今日は帰宅してから、日ごろのツケで結構忙しくて、まだお仕事中です。
明日まで「宴会風景」はお待ちくださいませ。


中越地震のときの記憶(青森のユアテック)

2011年04月12日 | ぷーさんのつぶやき
仙台の鳥さんのコメントで、2004年中越地震の時のことを思い出しました。

私の自宅は長岡市の南東方向、全村避難で話題になった山古志村との境に近い位置にありました。

本震から3日目の深夜2時。
少し対策本部の仕事も落ち着いたので、自宅の状況を確認したく思い、会社から10kmの距離にある自宅に向かいました。

地震発生の時には会社にいて、家内と子供2人は近くの公園に避難していました。
テントや寝袋、非常食などの持ち出し品は一式準備してあったので、町内の方々と一緒にテント村を作って元気でいることはメールで確認がとれてました。

自宅は「まだ立ってる」ことは連絡ありましたが、どの程度の被害かが知りたくて、深夜の国道を自宅に向かいました。

さすがに3日目の深夜なので、すれ違う車もありません。
地割れや起伏のついてしまった国道。
停電で街灯も信号も消えている深夜の国道をゆっくり走っていたら、前方に車列が見えました。

私よりもさらに徐行しているので、追いついてみれば、高所作業車の車列です。

青森ナンバーのユアテックの車が5台ほどゆっくり進んでいます。

涙が出ました。

青森からどれだけの時間をかけて走ってきたことでしょうか。

一刻も早く電気を復旧させようと、深夜に被災地に入ってきた車列です。

ありがたかったです。



当時の自宅のそばの画像です。幸い私の自宅は建物は復旧できませんでしたが、地盤は大丈夫だったので、今は建て直して住むことが出来ています。

がんばれ日本
がんばれ東北


がんばろう新潟





春まだ浅き

2011年04月10日 | 白馬岳の麓
糸魚川市大所の実家はまだ春浅き・・・、





まだ雪が1m以上残ってますが、除雪したところには、ふきのとうが。




東日本大震災でお彼岸にいけなかったので、
今日行ってきました。



村人がお墓を掘り出して、道もつけてくれていました。
3月下旬にはまだ2m残っていたことと思います。

さて今日は前にご紹介した「憎きイタチ君」の後片付けをしてきました。



まさに狼藉の限りを尽くし、無残な雉が・・・・。

なぜかテンは無傷です。
このテンと対面したときのイタチ君を見てみたかった・・・。



2階の中央を通っている一間幅の廊下です。


ずいぶん久しぶりに2階の廊下も雑巾かけてきましたが、
とにかく大きな家なので丸一日掃除夫でしたが終わりませんでせした。

でも残りは20箇所くらい破いてくれた障子と襖です。
連休に帰れればそのときにでも。

今日もお天気で、帰りは相変わらず雨飾山が見送ってくれていました。




根っからの電力マンだった爺

2011年04月06日 | ぷーさんのつぶやき
ぷー爺は電力マンでした。



 梅雨前線の活動が活発になった1995年7月11日、新潟県上越地方、長野県北信地方、富山県東部地域、に集中豪雨が発生。
一級河川姫川、関川、黒部川周辺で被害を出した。
死者2名、家屋の全半壊39戸と地域住民の直接的被害は少なかったが、10,000人以上が避難。道路や鉄道のインフラが復旧するのに数年を要する被害を出した。

姫川が大氾濫。支流や付近の山腹斜面では、土石流や地すべりが多数発生し、死者・行方不明者は生じなかったものの国道148号は、姫川の河床上昇に伴う氾濫でスノーシェッドが転覆、県境の国界橋は土石流で流出し機能を失いました。
また、大糸線も斜面崩壊や土石流により各地で寸断され、交通手段を失った私の故郷、糸魚川市平岩地区の住民500人以上がヘリコプターにより救出される事態となりました。

私の祖父母もヘリコプターで糸魚川市街地まで救出され、3ヶ月ほどは長岡で生活しました。

このときに父(ぷー爺)は孤立し、電話連絡もつかない現地に母とともに踏みとどまりました。

1週間後、知り合いから、東北電力の社内電話が使えるということを聞き、長岡支店に伺って、大所川発電所にいた父と電話で話をしました。

「おれがいれば、発電所から付近の集落へ電気を送り続けることができる。自給自足覚悟で、かなりの人たちが残っているから、電気がなくなったら生活が困る。ここでおれが避難するわけにはいかない。ガスはプロパンだし、水道は井戸が大丈夫で、簡易水道も仮設で水の問題は無い。すまんが爺さん婆さんは道路が通じるまで1,2ヶ月面倒みてくれ」

当時、父は定年退職した後でしたが、インフラを守ろうとする電力マンの責任感に感動しました。

計画停電は最後の手段です。

批判されている東京電力も、東北電力も現場では全力で事態の収拾と電気供給にあたっていると思います。

彼らを批判するのは後回しにして、今は計画停電を回避するために皆で力をあわせることが大切だと思います。
少なくとも新潟県人は、それができる方々であることを信じています。







ピークカット15%大作戦!(13日にトライアル)

2011年04月06日 | ぷーさんのつぶやき
ここのところ関東の計画停電が回避されてますが、テレビで何度も紹介されたように、先月は大変だったそうです。

某食品メーカーさん
「3時間だけと思ったら大間違い。その後ラインを立ち上げるまでに一度機械の洗浄が必要で、これが1時間から2時間かかる。再度運転したら終業時間くるからまた洗浄に入る。
8分の3ではなく、8分の4から8分の5、半分以上稼働できない状況になる。」

某スーパーさん
「停電になってから閉店ではなく、30分前には閉店して準備しなきゃいけない。通電しても魚や肉や冷凍食品並べるのにどうしても30分以上はかかる。3時間停電は4時間以上のロスタイムになる。1日に2回あった時にはほぼ休業状態になった。」

某息子さん(学生)「・・・アパートでじっと寝てるしかなかった・・・」

被災地は被害が甚大だった上に原発問題で未だに本格的な復興に入れない状態だと思います。
原発の放射能汚染問題の先が見えても、長期化することが免れません。

その期間、被災しなかった他の地方が「へばって」は駄目なのです。

以前よりも、東北の被災地の分、被災された方々の分、亡くなった方々の分まで元気にがんばらなければ日本は沈みます。

そのために、最大限の努力で生活や事業活動を維持継続しながら、電力の需要が供給を上回る部分をカットし、停電が起きないようにする必要があります。



新潟県では夏場に備えて「ピークカット15%大作戦」というのを実施します。



●実施予定日時
第1回 平成23年4月13日(水)午後5時~午後7時
第2回 平成23年4月27日(水)午後6時~午後8時

東北電力管内はみんなの努力で、節電だけで乗り切れるようにしましょう!
目標をもって取り組めば可能な15%です。

東京電力のような強制計画停電は、ダメージがはかりしれません。

企業はもちろん、県民一丸となって計画停電を回避し、全力で被災地をバックアップしましょう。