1999年、駒澤大学からヴェルディ川崎入団。2004年には第84回天皇杯優勝を経験したが、2005年にチームはJ2降格が決定。当初は残留する決意を固めていたが、チームの若返りを図るフロントが林健太郎と米山篤志を解雇した一方で、彼らよりも年長の永井秀樹を獲得するとその対応に不信感を抱き移籍を決断。地元でのプレーを希望し、同様の理由でヴェルディを退団した小林大悟と共に大宮アルディージャに移籍した。
大宮では小林(大)と共にチームの主軸として活躍。2008年からは主将を務めていたが、2009年は古傷の右脹脛を痛めたためリーグ開幕に間に合わず、第5節(ガンバ大阪戦)で戦列に復帰した。しかし、第6節(川崎フロンターレ戦)から4連敗を喫して失速するチームの中で、「走るサッカー」を標榜し縦への早い攻撃を志向する張外龍監督に対して、主将の立場から戦術の行き詰まりを示唆するコメントを発した。
張監督との対立や若手の起用を図る張の方針により出場機会を失い、2009年6月に柏レイソルへ期限付き移籍。
2010年、大宮からアルビレックス新潟へ完全移籍。2011年7月10日にはJ1通算300試合出場を達成。2012年秋に膝を故障し、シーズン終了をもって新潟との契約が満了することが発表された。
2013年2月20日、現役引退が発表され、4月20日東北電力ビッグスワンで引退セレモニー。
挨拶で、経過と共に、サポーターの応援にお礼を述べ、将来は指導者としてこのピッチに帰ってくることを約束。
その後、横浜Fマリノスのサポ席に向かって
「今日はようこそお越しくださいました。開幕から6連勝ですが、長いシーズン負け無しはありえません。今日は新潟アルビレックスに譲ってください。お願いします。」
サポ席爆笑ヾ(- -;)
さて、0-0で迎えた78分、ホームの新潟は川又堅碁のパスを受けた途中出場の岡本英也が相手のDFを2人かわして、右足で豪快なシュートを決めて均衡を破る。
試合はこの得点が決勝点となり、新潟が1-0で勝利。
新潟はリーグ戦ホーム初勝利、対する横浜FMは連勝が6でストップした。
カナールは桜満開\(^▽^)/
でも寒かったです。