綿あめプーさん&あるび

綿飴ぷーさんの「けやきの会」(長岡市にある障がい者関連団体)と白馬山麓の実家の話題&アルビッレクスサポ日記

天皇杯3回戦 vs横浜FC

2009年10月31日 | アルビレックス!
午後からビッグスワンに行ってきました。
ACLも夢に終わりそうなので、ならば!元旦の国立だあ!


いきなり8分に流れの中からきれいなシュートで1点ビハインド
おいおい・・・相手はJ2の下位チームだぜ。

いらいらしながら待つこと9分後に松尾のGOAL!
ん? 松尾のゴールっていつ以来?松尾の歌ってあったっけ?
まあまあ気分よくなったところで、
次は28分 貴章!
何とか前半は2対1で終わったのは良かったですが、
後半はイライラ続き。
パスが高い位置でカットされるは、いいカタチになってもシュートまでいかないし、入ったように見えた貴章のシュートもゴールラインを割ってないし。
ロスタイムに入ってやっとすっきりマルシオ・リシャルデス!


4回戦は11月15日に山形NDスタジアムです。
NDは「新潟大好き」の略で、vs明治大学
後3回勝てば『元旦国立餅つき』



ついでに・・・
今日は信濃川プロジェクトでした。
日本一の大河信濃川の新潟県内最上流の津南から越後平野の沃野を潤しつつ2カ所の分水路を経て新潟港日本海に至る約155kmの区間、川の流れに沿って火柱の花火(虎の尾)を打ち上げ、川の流れをかたちにしていくイベントです。

ほぼ等間隔(約300m)に仕掛けられた花火(約510発)を夜6時の時報と共に上流県境より点火。一秒ごとに下流へ向い8分30秒後新潟港日本海に到達。
黒埼あたりの信濃川土手で見てきました。
流れがあんなに蛇行しているのを花火でみてびっくりしました。





山里に雪囲いに

2009年10月25日 | ぷーさんのつぶやき
ぷー婆一人になった山里に行ってきました。
盆栽の格納と小さな立ち木の冬囲いをしてきました。



今年はあまり柿も実らず花梨も少なかったです。
紅葉も色が良くなかったです。



ぷー婆のところには毎日近くのダッシュとゴンが遊びに来てくれてるようで、ありがたいことです。


いまさらの浦和戦

2009年10月23日 | アルビレックス!
いまさら前節の浦和戦ですが・・・
48秒で決められて、後の祭りでした。
1対0で久々の敗戦。
でも何もいい事がなかったわけではなく、とってもアルビなBOY発見!
ご両親にお断りして1枚いただきました。

(ここのとこブログ話題はあったのに、なかなか気力が伴わず・・・サボりまくってました)

間に合わなかったYシャツ

2009年10月08日 | ぷーさんのつぶやき
前の続きみたいな投稿です。

ぷー爺は定年まで東北電力に働き、その後は実家に戻り、建設会社の地元の現場事務所長を10年ほど努めました。
その間ずっとYシャツを着てましたから、先週の日曜日もブルー系のYシャツでした。

ぷーさんの仕事がスーパーですから、しばらく前から自分で買物するのが趣味みたいで、9月27日もスーパーに買物に行きたいと言い出し、一緒に店内を回りました。
50歩位歩くと息切れで立ち止まりながらも楽しそうでした。
爺のYシャツに染みがあったので、洋服屋さんに寄りたかったのですが、疲労が見て取れましたから実家へ帰り、昼食は爺が買ってきた精進寿司をご馳走になりました。
いつもは生寿司なのに、何で精進寿司なのか不思議でした。
食べ終わると、その場にごろんと寝ころんですやすやと眠りはじめたので、ぷーさんは長岡に帰ってきました。
自宅に帰る前に洋服屋さんでYシャツとパジャマを買って、翌月曜日に爺のところに宅急便で送りました。

その月曜日の夜に婆から電話で「意識を失って、今は戻ったけど、これから救急車で入院する」と言って来ました。
ぷーさんは次の日に大事な会議があったので、火曜日朝にその段取りをつけてから糸魚川に向かいましたが、その途中でドクターから携帯に「肺炎も併発しているので、脳死を防ぐために気管挿管」の判断を求めてきました。
北陸道を140kmで走行しながらの判断で挿管をお願いしました。
その後、ぷーさんも病院で見守っていましたが、徐々に血圧が低下し、土曜日に妹と孫が枕元に着くのを待ってから、静かに、自らの意思のように心臓を止めました。

ぷーさんの送ったYシャツが入院後に届いたので、一緒に持っていっていただきました。


爺は若い頃から俳句を趣味にしており、俳号は山岸珠樹。
「麓」の同人をはじめ県の俳句協会や地元の俳句グループのいくつかに参加していました。
http://members.jcom.home.ne.jp/naito623/sub6311.html

爺の書斎には俳句手帳が数十冊積み重ねて置いて有りました。
新しい手帳にあった最後の5句のうちの一句です。

我が死後も かく盆経の 通り雨




たぶん前の週に書かれたもので、いつもは律儀な字を書くのですが、かなり乱れた字でした。

書斎には自筆の色紙もたくさんありました。
その1枚です。

「沙羅咲いて 朝の湿りの 座禅石」


最後まで優しい爺でした。