「この道や 行くひとなしに 秋の暮れ」 松尾芭蕉
標高約1,600メートルの高層湿原「八島湿原」(諏訪郡下諏訪町東俣)は、早くも晩秋の冷気につつまれている。立ち枯れてひろがる湿原植物や亜高山植物は、立ち枯れてなお、繊細な花を咲かせて酷暑での暮らしを癒してくれた夏の時間を、思い起こさせてくれる。
❖ 八島湿原 再掲(写真は更新)
「八島湿原」(諏訪郡下諏訪町東俣)は、標高約1,600メートルに位置する高層湿原で、国内高層湿原の南限にあたる。
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約12,000年前に誕生したという面積約3,000ヘクタールの同湿原は、1939(昭和14)年に国の「天然記念物」に指定されているが、寒冷地のため植物の腐敗と分解がしにくく、約8メートルの厚さとなった泥炭層が堆積しているという。
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周辺の森林化や降雨量減少による乾燥化、水生植物繁茂や土砂の流入などによって、湖沼は面積の後退が続いているが、一帯は繊細な花を咲かせる湿原植物や亜高山植物、過酷な環境の中でいのちを繋ぐ昆虫などに接することが出来る癒しの環境が広がっている。
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周辺からは「富士山」「八ヶ岳」「中央アルプス」「南アルプス」などへの眺望が開けている。
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高原中央部の「御射山遺跡(みさやまいせき)」は、鎌倉幕府が全国の武将を「諏訪大社下社」の「御射山祭」に参加させて祭事を執行し、一帯で武芸を競わせたりした場所で、階段状の地形は桟敷だったと考えられるという。
❖ 松尾芭蕉
江戸時代前期の俳諧師「松尾芭蕉(まつお ばしょう)」(1644/正保元年~1694/元禄7年)は、伊賀国上野(現在の三重県上野市) 出身、俳号ははじめ「宗房」のち「桃青」、「芭蕉」「はせを」の号ははじめ庵号に由来する戯号で、改まった場合には「桃青」「芭蕉桃青」「武陵芭蕉散人桃青」と署名したという。
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句は「佐久間柳居/長利(さくま りゅうきょ/ながとし)」(1686/貞享3年~1748/延享5年)編集の俳諧連句撰集「俳諧七部集(はいかいしちぶしゅう)」(「冬の日」「春の日」「曠野(あらの)」「ひさご」「猿蓑(さるみの)」「続猿蓑」「炭俵」)に収められ、ほかに紀行文「笈の小文(おいのこぶみ)」「野晒紀行(のざらしきこう)/甲子吟行(かっしぎんこう)」「奥の細道(おくのほそみち)」などを残した。
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我が国俳諧史上最高の俳諧師の一人と評価されている。
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