JR岩泉線の終点である岩泉駅前に西塔幸子の歌碑が建っている。西塔幸子は1900年に紫波郡不動村(現在の矢巾町)で生まれた歌人である。「女啄木」とも呼ばれている。高等師範を卒業し、九戸郡(旧久慈町)や下閉伊郡(田野畑村や岩泉町、川井村)などで僻地教育につくしながら短歌を読み、1936年(昭和11年)37歳の若さで亡くなった。岩泉駅前の歌碑は、
「紺碧の 水わくところ 天そそる 城とぞ見らむ 大き岩かも」と読むことができる。駅前にそそり立つ「宇霊羅山」の姿を読んだものであろう。
なお、JR岩泉線はトンネルの出口での崩落事故で現在不通である。一刻も早い復旧を祈りたい。
現在の宮古市江繋には西塔幸子記念館があり、かつて私も訪ねたことがある。
また、確か小説で西塔幸子のことを書いた『山峡の歌』というのがあって、どこかの図書館から借りて読んだのだが、誰が書いたものかすっかり忘れてしまった。
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