山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

笠戸丸 静かに眠る カムチャッカ

2017-11-10 01:05:13 | 五七五入門 東西南骨2017
移民船「笠戸丸」の奇跡、軌跡。
事実は小説よりも奇なり、とは的を得ている。
ドラマは膨らむ。

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メモ 笠戸丸

ブラジルへの最初の日本人移民を乗せた移民船を「笠戸丸(かさとまる)」という。

1908年(明治41年)
52日間の航海を経てブラジル・サントス港に到着した6月18日は、今でも「日本移民の日」に定められている。
当時の日本には、「移民会社」という民間企業があり、海外移住は、この移民会社を通して行われていた。この第1回目のブラジル移民を主催したのは「皇国殖民合資会社」。

笠戸丸は、元々は、1900年に、貨客船ポトシという名で、イギリスで建造された船だった。
その後、国内での需要がなくなり、ロシアに売却された。

ポトシは、ロシアで、戦争の際に病院船として活用できるように改造され、義勇艦カザンという名前になる。

すると、1904年に日露戦争が勃発、カザンは戦闘にまきこまれて、港の浅瀬に沈没。
それを日本海軍が引き揚げ、船名を「カザン」の音をとって「かさとまる(笠戸丸)」とし、日本海軍のものにしてした。

その後、先述の移民会社「皇国植民」が、笠戸丸を借り上げ、1908年に第1回ブラジル移民船として使用した。

笠戸丸は日本海軍から民間の海運企業に払い下げられ、様々な航路で活躍した。

笠戸丸は晩年、様々な船主のもとを転々とし、いわし工船やカニ工船といった漁船として使われた。

1945年8月9日
太平洋戦争敗戦直前に、北洋で、ソ連機の空爆によって沈没する。

今もカムチャッカ沖に沈んでいる。