4月は劇団の公演があったため、丸まる、キッズミュージカルの稽古をお休みにしていた。先日の土曜日、久しぶりのキッズ稽古を再開した。
小学生を対象にしているが、演劇の基礎トレーニングは劇団でやっていることをそのまま使っている。子どもだからと言ってなめてはならないと思っている。むしろ、大人より吸収力があるからだ。大人よりも遊び心は発達している。遊びの天才たちだ。
劇団からはサキとクドシンと私の3人が指導の立場で参加している。指導?・・・一緒に遊んでいる。遊ばれている。
先生がエライと思ったら大間違い。演劇は先生をおもちゃにして遊んでくれると勝手に子どもたちは育つものだ。ここが学校教育と違うところ。ぶっちゃけろ。これが演劇の器の大きさなのだ。
11月の発表会は「透明人間」のタイトルでおこなわれる。未だ、台本は出来あがっていない。
さて、「透明人間になったら何をする?」
子どもたちからの答えは「ドロボーに入る。」「おやつをこっそり食べる。」「嫌いなやつを殴る。」・・・「自由に生きる。」
さてさて、大人だったらどうだろう?もっと悪い発想が思いつくだろう。
さてさてさて、劇ではフィクションが成り立つが、悪いことばかりの中に、その反対側の発想をひとつ張り付けたいのである。
これからの課題だ。子どもの劇に裏も表もあるドラマの面白さを追求する。
小学生を対象にしているが、演劇の基礎トレーニングは劇団でやっていることをそのまま使っている。子どもだからと言ってなめてはならないと思っている。むしろ、大人より吸収力があるからだ。大人よりも遊び心は発達している。遊びの天才たちだ。
劇団からはサキとクドシンと私の3人が指導の立場で参加している。指導?・・・一緒に遊んでいる。遊ばれている。
先生がエライと思ったら大間違い。演劇は先生をおもちゃにして遊んでくれると勝手に子どもたちは育つものだ。ここが学校教育と違うところ。ぶっちゃけろ。これが演劇の器の大きさなのだ。
11月の発表会は「透明人間」のタイトルでおこなわれる。未だ、台本は出来あがっていない。
さて、「透明人間になったら何をする?」
子どもたちからの答えは「ドロボーに入る。」「おやつをこっそり食べる。」「嫌いなやつを殴る。」・・・「自由に生きる。」
さてさて、大人だったらどうだろう?もっと悪い発想が思いつくだろう。
さてさてさて、劇ではフィクションが成り立つが、悪いことばかりの中に、その反対側の発想をひとつ張り付けたいのである。
これからの課題だ。子どもの劇に裏も表もあるドラマの面白さを追求する。
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