タケ・タケ・エヴリバディ!

当ブログは「竹と生きる・竹を生かす」をメインテーマに、管理人の田舎暮らしの様子をお届けします。

映画「峠~最後のサムライ」秘話

2022年05月01日 | ふるさと長岡・嗚呼!田舎暮らし

映画「峠~最後のサムライ」の公開が6月17日(金)に迫りました。言わずとした司馬遼太郎の名作「峠」の初の映画化作品。主人公は、長岡藩家老・河井継之助です。ボクら長岡市民にとっては待ちに待った「峠」の映画化、そしてコロナ禍のため延期の連続となった映画がついに公開されます。

映画の公開に先駆けてGW初日の4月29日に、「まちなかキャンパス長岡」で「映画『峠~最後のサムライ』を語る」という講座が開催されたので、参加してきました。講師はこの映画の助監督を務めた酒井直人氏です。

「あれ?なんで講師は監督の小泉堯史氏じゃなくて助監督さんなの?」って疑問に思われた方がいるかもしれません。これには秘密があります。今回の講師を務めた助監督の酒井直人氏は、地元長岡市の出身。地元出身者としての視点も入れながら、映画「峠」や河井継之助、そして師事していた黒澤明監督や小泉堯史監督の映画について、熱く語ってくださいました。

実に面白い講座で、あっと言う間の2時間でした。「これで受講料500円は破格だ!(しかもコーヒー付き)」と、ボクは感激しましたよ。

中でも興奮したのは、講演の中の映画撮影エピソードの中に、ボクが阿賀町での単身赴任時代に仲良くさせていただいていたEさんの名前が登場したことです。Eさんは阿賀町(旧・鹿瀬町)の阿賀野川沿いに居住されていて、小さい頃から「和船による渡河」を生活の一部として暮らしてきた方です。ボクが単身赴任時代にも、「狐の嫁入り」で狐の嫁が和船で川を渡る時の船頭役を務めていらっしゃいました。

そのEさんが阿賀野川和船保存会の一員として、今回「峠」の撮影に協力されたのだそうです。最初は「和船の操作指導」を担当されていたそうなのですが、役者さんが上手く船を動かさせず急遽映画への出演を依頼されたとのこと。ところが阿賀町在住のEさんは、その役が西軍(新政府軍)の兵士役だと知ると、「阿賀町は会津藩。薩長の手先になるわけにはいかない」とキッパリとお断りになったとか。感心すると共に、思わず笑ってしまいました。(その後のスタッフの粘り強い交渉で、Eさんは最終的にはお引き受けになったそうです)

講演の最後に「お楽しみ抽選会」があり、映画のポスター(2枚)と劇場用パンフレット(2部)が参会者にプレゼントされたのですが、なんとボクはパンフレットが当選しました。

映画のパンフレットを手にするなんて、何十年ぶりでしょう?学生時代に映画館通い(安い名画座ばっかりだったけど)をしていた頃以来です。パンフレットを手にし、ますます「峠~最後のサムライ」の公開が楽しみになりました。長岡が生んだ最後のサムライ・河井継之助。皆さんもぜひ映画をご覧になってください。

最後になりますが、この映画の原作である小説「峠」のあとがきとして、作者の司馬遼太郎が記した文章を以下に転載します。この小説、そしてこの映画が訴えたい本質を理解できる文章です。


人がどう行動すれば美しいかと云う事を考えるのが、江戸の武士道倫理であろう。人はどう思考し行動すれば公益のためになるかと云う事を考えるのが、江戸期の儒教である。この二つが、幕末人をつくりだしている。

幕末期に完成した武士という人間像は、日本人が生み出した、 多少奇形であるにしてもその結晶のみごとさにおいて人間の芸術品とまでいえるように思う。しかもこの種の人間は、 個人的物欲を肯定する戦国期や、あるいは西洋には生まれなかった。

サムライという日本語が幕末期からいまなお世界語でありつづけているというのは、かれらが両刀を帯びてチャンバラをするからではなく、類型のない美的人間という事で世界がめずらしがったのであろう。

また明治後のカッコワルイ日本人が、ときに自分のカッコワルサに自己嫌悪をもつとき、 かつての同じ日本人がサムライというものを生みだしたことを思いなおして、かろうじて自信を回復しようとするのもそれであろう。

私はこの「峠」において、 侍とはなにかということを考えてみたかった。その典型を越後長岡藩の非門閥家老、 河井継之助にもとめたことは、書き終えてからもまちがっていなかったとひそかに自負している。(引用ここまで)

コメント
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