こんにちわ。
今日は11月11日ですよ。
もう寒くなってきました。タイヤ交換の時期が来ちゃいました。
夏は暑い日がけっこうありましたよね。でもそんな日も今思えば
あっという間でしたな。
さて、半年前、私の父が死去致しました。
関係者の皆様にはご心配をお掛けしました。
お気遣い頂いた方には心から感謝申し上げます。
もう半年経過しました。
なんだか未だに「父がいない」実感がわきません。
実家に行くたびに「あ、いないんだ」。
仏壇を見るたびに「そっか、いないんだ。」という
感じですよね。
1ヶ月経ったくらい、これまで通りの日常が戻ってきていつもと変わらない
母も元気だし私も私の家族もいつも通りに戻ったんだけど、
なんだかこの時はあの光景がすごく寂しく見えて現実を
突きつけられたって感じがしましたね。
一般的な父親像の荒々しい人でもないし
声を荒げる人でもないし、亭主関白のような
存在感のある人でもないし。
かといって寡黙な堅い人でもないし。
自然といつも冗談を言って静かにテレビを見て
ビール飲んで他愛もない話をして犬を愛する
そんな人だったので・・・。
少しばかりみんなの空間にいなくてもいつも通り
ちゃっかり別な部屋で一人テレビを見てたり
いつの間にか勝手に食器洗いをしていたり。。
そんなんだから、いないのが不思議でもあり違和感もないっていう・・。
隣の部屋とか台所に行ったら居そうで・・。でもいないから不思議。
でもやっぱり寂しいよね。
なんでこんな早く逝っちゃうんだろうって悲しいよね。
寂しいし悔しいし悲しいし。。
2ヶ月くらい経った頃かな、実家に用事があって寄ったら・・・。
なんかやっと実感してきました。
私が仕事帰りによるといつもはダイニングテーブルで
二人で晩ご飯を食べていたんですが、母が一人で食事してたんですよね。
いや、この光景は何度か目にしてるしなんとも思ってなかった
んだけど、やけにその時は・・・
「そうだよな。もう一人で食事なんだな。」
と思い、その光景がやけに寂しく感じました。
順番だからいつかはこういう別れが来るとは分かっていたけど
まさかこの年で親を亡くすなんて全然イメージしてなかった。
いつも元気でいたってこともそう感じるんだろうけど。
でも、親を亡くすなんてどっかで他人事だった気がする。
まだうちの下の子も生まれたばっかりだし。
まだまだ一緒に過ごすもんだと思ってた。
うちらと一緒に孫の成長を見ていくんだと思ってた。
80過ぎは普通にいるもんだと思ってた。
80過ぎには子どもたちも大きくなってて、大きくなった
孫と触れ合う事を楽しんでいるもんだと思ってた。
子どもたちが成人するまでは元気でいてほしいなと
思ってた。
だもんで、なんでまだ3歳と0歳のうちに急いで
逝っちゃうんだろうって。
急ぎ過ぎだろうって。
受け入れる受け入れられないとかではなく・・・
なんか不思議。
かといって深く落ち込むってこともなくて・・・
ただただ不思議で寂しい。
ほんとにふらっと「何してる~」って現れそう。
現れてほしいんだけどね。。
自分たちにとっては立派で自慢の父でした。
この人の息子で良かった。
誇りに思える父でした。
またいつか会いたい。すごく会いたい。
あんな話やこんな話をまた聞きたいなー。
生まれ変わっても親子でいたいな。
亡くなったことを普段世話になっている父の
友人とか知り合いに連絡したんだけどね、
私も名前しか聞いたことない人とかに連絡しなきゃ
ってことで電話したのね。
そしたらほとんどの人が電話越しに泣いてね。
もう70過ぎの友達が泣いて悔しがってるのよ。
なんかありがたいよね。
嬉しかったし誇れるし、自分もどんなに年をとっても
泣いてくれる友人を持てたらいいな~って思った。
きっと全員にってわけじゃないんだろうけど
ちゃんと誠実に思いやりを持って付き合ってきたんだろう
なってことがわかったね。
父の人柄を改めて教えてくれました。
娘がちゃんと理解しているのかどうなのか。
じじ起きないねーとか
じじ遠くに行ったの?とか
じじお空に行ったんだもんね。とか
言ってますけど、なんだか切ないよね。
こないだは実家に泊まって家に帰ってからの
翌朝、昨日じじ来たもんね。
ワンワン抱っこしてナムナムのところにいたもんね。
って言ってました。
3歳の子どもには見えるのかな?
なんか言ってた?って聞いたら何も言わず笑ってすぐ
飛んで行った。
って。
やっぱり見えるのかしら。
じじはいつも側で守ってくれてるんだよーって
言い聞かせてますが、その通りなのかな?と。
なんだかほっこりします。
なんだか少しづつ少しづつ36年間の父との
思い出を思い出してみようっと。
そんなことで備忘録を。
4月30日
思い切って有休をとり、7連休にしてみたよ。
でもコロナ禍でどこへも行けない。
唯一の楽しみは・・・幼稚園は普通通りなんですよね。
なので初めて私が幼稚園の見送りとお迎えをしましたよ。
バスに乗って元気に手を振って行きました。
人見知りで内弁慶な娘が幼稚園楽しいと笑顔でバスに乗る
娘がなんだか頼もしいけど心配で心配で。
まぁ幼稚園楽しいって言ってくれてるのはありがたいね。
連休はそんなんだからのんびりしようと思ってたんです。
天気が良けりゃBBQしようかなーとか。
ところが天気は悪し子どもたちは鼻水垂れ子だし・・・。
まさにステイホームしかなかったですよね。
5月3日
この日は、息子と留守番してママと娘が買い物に行ってたんですよ。
久々に娘とママの買い物。で、ちょうど帰ってきたくらいに・・・。
母親から電話がありました。
父の様子がおかしいと。
4年前と昨年と気胸の手術をしていてまた再発したかな?
と思ったんです。じん肺も持っていたのでまた苦しいのかなと。
すぐに実家にかけ付けましたが、父の顔は蒼白状態。
呼吸も荒いし明らかに酸素が足りてない感じ。
すぐに昨年手術を受けた病院に電話しましたが
発熱もあるという事で、コロナ対策の関係でまずは
発熱でも受け入れ可能な病院に行ってすぐにCT撮れば
気胸がどうかわかるので、気胸だったら受け入れますよと。
で、すぐに可能な病院に連れて行くと・・・
まさかの肺炎を起こしていました。しかも重症。
医師の話を母と聞きましたが、寝耳に水とはこういうこと。
全く予想していなかった診断結果。
重症と聞かされても、病棟に運ばれていく父は私たちに
ピースサインしたりいつもの父なんです。
この状況で会話できるのが不思議なくらいですよ。
それくらい重症なはずですよ。と。
そう言われても全然ピンときませんよね。
それから即入院となりました。
予想外の展開にパニックになりそうでした。
入院中はコロナでお見舞いもできないですが
本人からは逐一LINEが来てたので私的には肺炎だし直って
帰ってくるものだと信じて疑わなかった。重症といえども
治るもんだと。ただ、じん肺持ってたから少し時間かかるかなー
帰ってきても今までよりはしばらく静かに暮らさないとかなー
くらいに思ってたんです。
確かに肺炎っておっかない病気だとは分かってましたよ。
でも肺炎での死亡って80歳くらいの年齢で肺炎になったら
大変ってイメージでしたからね。
まぁでも重症は重症だからLINEで様子を聞いても
過去の入院とは違うの・・・かな・・・?
でも食事も取れてるようだし、差し入れのリクエストも
来てるし。。。
そんなこんなで心配ではあるけど治療に専念してもらって
また退院したら則BBQやりたいとか言ってるし・・・
5月5日
前々から予定していた息子の初節句。
当初父も楽しみにしていたささやかなお祝い。
予定では私の両親と妻の両親を呼んで軽くランチパーティ。
ところがこんな入院になっちゃったんで妻の両親だけ。
なので特大のケーキを頼んでたけど大きすぎたね。
義両親も父のこと心配してましたが、まさかこんなことになるなんてね。
びっくりさせちゃったよね。。
そんなこんなで一通り息子の初節句を終わらせ、
五月人形の前での写真とかを入院中の父に送って元気づけたりして
この日も平穏に終わるかと思ってました。
この日の朝から様子を聞きにLINEでやり取りしてて、
父から「今日はちょうど4年前、退院でBBQした日だ~」
なんて余裕なメッセージ来たりしてたからね。
また今回も退院即焼肉コースを頼む。なんて言ってたし。
で、夜10時過ぎくらいに母から電話。
病院から電話来たと。
容態が思わしくないから家族に説明したいと。
すぐに行きましたよね。
中々、抗生剤が効かない。そして最悪の事態は覚悟してほしい。
やれることの事はするが改善の兆しが見えない。
と。
もうね、頭が真っ白。
だけど本人の病室行くと苦しそうではあるけど会話できるし
覚悟しなければならないの?実感が沸きません。
だけど次に思ったのは、兄貴を呼ばなきゃ。
この日はもう危篤とかそういう状況ではないけど、大げさに言うと
何が起きてもおかしくない状況。会話はできるし意識もしっかり
してるけど重症な状況には変わりない。
なので兄貴を夜中に呼びました。
病院にも無理を言って札幌の兄貴が到着するまで待ってもらって
3人そろって面会させてもらいました。
コロナ禍でずっと会えてなかったからね。
私は近くにいてしょっちゅう会ってたけど兄貴は中々ね。。
だから会わせたかった。どうしても会わせたかった。
札幌からタクシーで来てもらいましたよ。
久々に会う父の姿にきっとショックだったと思うけど
会えたことが私は嬉しかった。
たまたま兄貴は翌日も休みだったので翌日も実家にいてもらいました。
5月6日
通常通り出勤。
朝一で上司に一応報告。父がこういう状況になっていますと。
なので何かあったら急遽帰りますねと。
朝から父から家族グループLINEにメッセージ。
昨日はドラマのワンシーンのようだった。と笑
その後も色々、朝食の写真だの差し入れのリクエストだの
普段のやり取りと変わらないLINEが来てました。
うちの娘も甥っ子たちも動画で「じじ頑張れー早く帰ってきてー」
と入れてくれたり。きっと父の力にもなったことだろう。
5月7日
この日も変わらずいつも通りの会話をグループLINEで。
朝は本人も安定してきたと言っている。
ただ夕方くらいから文字で送ってきてたメッセージがだんだん
スタンプだけになってきたり・・・なんか少ししんどいのかな
とは思ってきたよね。でも薬も効いて改善されると思ってたよ。
5月8日(土)
私は仕事でした。
いつも通り仕事をこなし、昼に弁当を食べて少しばかり
ゆっくりしていた時・・・。
母から電話が来ました。もう急いで病院来てくれって言われたと。
すぐに上司に報告し部下にも後のことは頼んだと言い残し急いで
実家に行きました。
冷静に努めている母も心中はパニック状態だろう。
私も早く病院に行かなくちゃだけど、現実を受け入れたくないから
行きたくない。そんな思いで病院に向かいました。
到着するなり看護師が「今現在、かなり厳しいし酸素量も少なく
本人は相当辛い。なのでモルヒネで安定させたいけど若干意識が
朦朧とする。本人に説明したら家族が来るまでは言いたいことが
あるからモルヒネは入れたくないとおっしゃってます。なので
すぐに会って話をして下さい。」
こんなこと言われたらもう感情はぐちゃぐちゃですよ。
そして看護師がご本人がコーラ飲みたいと言っているので
息子さん急いで買ってきてくれませんか。
急いで売店でコーラを買いに行きました。
同時に医師からの説明もあるようなんで、母には父の病室に
行くようにし、私が医師からの説明を聞きました。
要約すると、もう改善の見込みはない。今日明日にはダメかもしれない。
色々手を施したがこれ以上は苦痛を伴う延命のみ。やはり、元々の
じん肺で肺炎になり重症まで行ったから・・・
私は・・・ここの病院に連れてきた日から父はずっと呼吸の
苦しさがあった。最後の最後まで苦しませてまで逝かせたくない。
苦しみから解放させてあげたい。なのでモルヒネ投与してください。
その後、病室に行くと意識ははっきりしていて息遣いが荒く
少し苦しそうにしていたが、僕が入室する前に父は母に
「42年間、ご苦労様。良かった。」こう言ったそうです。
ありがとうとか、ごめんとかそういうありきたりな言葉は
普段絶対に言わない人だったんですよね。言っても遠回しで
はっきり言わなかったり。そんな人だったから、そんな言葉を
言ったってのを聞いて、ほんとに心からそう思って最後はちゃんと
言わなきゃ、伝えなきゃって思ってたんだなと思いましたね。
そして自分の命がどうなるってのもわかったんだなと。
だからこそなんだなと思うと同時に辛くなる。
その後、私も病室に入り大事な話があると。
私も母も何を言い出すのかドキドキしながら聞くと、、
「な、そう言う事だからな」
「来週、車検あるから頼むな」
「明日とドックじゃないか?」
「労災の申請あるべ?たぶんな、葬祭費も出るはずだから頼むな」
「あれだな、こないだ買ったマルちゃん正麺食べておけばよかった」
などと、最後の言葉とは思えない普段通りの・・・冗談交じりの
会話でした。
きっと伝えたかったのは母に対する感謝だったんだろうと。
そうこうしていると兄貴も到着し、一緒の時間を過ごせました。
コロナ禍ではあり得ない、本来面会もダメなのに家族3人病室に
入れてくれて最期まで家族4人で過ごせました。
本当に病院の配慮には心から感謝しています。
個室だったので意識がはっきりしているうちに義姉と甥っ子、
妻と娘・息子とビデオ通話もできました。
ちゃんとみんな父と会話できました。
実家で犬の面倒を見てくれてる叔母にもビデオ通話して
父が溺愛していた愛犬とも話すことができました。
そんなこんなで息苦しそうにしていましたが、モルヒネを
投与し始めると落ち着いてきました。
とりあえず容態も安定しているため、ずっと3人もいるのも
病院に悪いと思ったので、兄貴を残し母と私は一旦自宅待機する
ことにしました。帰る前に兄貴の軽い食べ物と父が大好きだった
アイスのスーパーカップを買ってきました。
アイスを一口食べると苦しいはずなのに「うまいっ!」と一言。
少し呼吸が荒いけど落ち着いてる様子。普段通り眠ってるみたい。
5月9日(日)
4時半過ぎ、兄貴から安定はしているが酸素量が少なくなってきている。
病院に向かっても良いかもしれない。
との事だったので母と急いで病院に向かいました。
昨夜同様、声をかければ少しだけ反応する感じ。
また数値が低いながらも安定してきたので、付きっきりだった兄は
一旦仮眠するために家に帰そうとしていました。
すると・・・タイミングがいいのか悪いのか、私は兄を送るために
病室を出て兄と防護服のようなものを脱いで、帰ろうと歩き出した所
看護師さんがちょうど来たんですよね。
なんか数値やら確認してるから様子を聞いてから帰ろうと。
すると看護師さんは「うーん、なんかだんだん低くなり始めてますね」
さっきまで安定していたのを確認して帰ろうとしてたんだけど。
急に酸素量が反応示してるみたいで・・・。
「もう少し様子見た方がいいですよ」と。
きっと神様が与えてくれたんですね。帰らずにいなさいと。
その言葉通り、残って1時間もしないうちに父は息を引き取りました。
最後は苦しまずに、私たち家族の言葉にも反応して思い残すこともなく
安心したように、眠るように逝きました。7時51分、永眠しました。
ほんと看護師さんの言葉がなかったら死に目に会えなかったかも。
看護師さんにはほんとお世話になったし感謝でいっぱいです。
コロナ禍の中、異例の対応をしてくれたし、父も良くしてもらいました。
早過ぎだけど、良い最期を迎えたのかな?
その後はなんか信じられないような、事実に追いつけないような、
なんて表現したらよいのかわからない時間を過ごした気がします。
ついこないだまで元気でぴんぴんしてた人が今は息してないわけだから。
大病を患ったわけでもなく事故に遭ったわけでもなく・・。
たったの6日間で最愛の父が逝くんだから。不思議です。
本人は普段から60歳で仕事辞めて自由気ままに過ごしてきたから
何の悔いもない。いつ逝ってもいい。なんてことを冗談交じりに言ってたけど
俺は・・・まだ父と話したいことも行きたいとこもやりたいことも
させたいことも、たくさんあったのに。
ほんとに“ちゃっかりした”人だった。
時間がたって思う事は、早過ぎは早過ぎだけど、母より先に逝ったこと、
下手に闘病生活が長くならず家族に負担を与えないようにしたことなど
なんか、ちゃっかりとみんな困らないようにして逝ったのかな~と。
そして普段から俺は満足しているとか言ってたし、逝く直前も普段通りの
冗談言ったりしてたから、まだ本当にいない気がしない。
その後は、親族に連絡して悲しんでる余裕もなく母と兄と私で
色々分担しながらやることがたくさんあって、ほんと悲しんでる余裕は
なかったですね。
看護師さんに奇麗にしてもらって、私は葬儀屋さんと共に父を乗せて
1週間ぶりの自宅に戻りました。雨が降りしきる中。
先に母と兄も帰って待っていた。叔母も待っててくれた。
まさか、こんな状態で家に帰ってくるなんて思ってもみなかった。
愛犬も動かない父が不思議そう。それでも側を離れようとしない。
間もなくして妻と子どもたちも会いに来て。
言葉にならない。1週間ぶりに会ったらもう起きないんだもん。
娘は理解しているのかしてないのか「じじ、起きないね」って。
なんか子どもの反応が辛いね。
叔母も叔父も従妹も駆けつけてきたけど、みんなの反応を見てると
見てられない。辛すぎる。
義姉や甥っ子も来て、彼らは小学生だから理解できる年齢だから
号泣しているのはほんと見てられなかった。
大好きなじじが久しぶりに会ったら・・・もう動かないんだもん。
そこから関係者に連絡したり葬儀屋と打合せしたり弔問者対応したり
なんだかあんまり覚えてないな。
私も近い友人に連絡したけど、今春から僧侶に転職した友人はすぐに
弔問に来てくれて。嬉しかったね。
友人たちもわざわざ葬式に来てくれたり・・・ほんとありがたい。
私も父も母も兄も周りの人にほんと恵まれてるなと実感しました。
5月11日
通夜。
亡くなる前日、大事な話があると言ってた時に、葬儀の心配まで
していたんです。
「あとあれだな、コロナだからよ、家族葬でいいからな。迷惑かかるから」
その時は、こんな時にそんなこと言わないでよって思ったけど、
もう自分の命がどうなるってのは受け入れて、そこまで心配してた
んだなーと。なんかすげぇーなと思って。冷静というかなんというか。
私は物心ついたころから父が亡くなるまで、父の取り乱した姿は
見たことがありません。最後の最後まで取り乱すことなく冷静で
落ち着いて、強くたくましく普段通りの姿で旅立ちました。
コロナ禍で参列は親族だけだったけど予想に反し、ほんとたくさんの人が
きてくれました。父の人柄なのかな。
端っこでいいから参列させてほしいっていう父のお友達もいたし。
葬儀屋さんにもお気遣い頂いて最初から最後までほんとに良くしてくれた。
無事に通夜を執り行う事ができました。
5月12日
告別式。最後のお別れ。
ほんとに最後です。病院に連れてった日から僅か9日でもう
二度と触れる事のできない、お骨になってしまいました。
不思議です。ほんとに。
でもこれが現実なんですね。子どもたちには酷かもしれないけど
現実を最初から最後まで見せました。箸渡しもさせました。
あの熱い熱気も感じさせました。独特の匂いも感じさせました。
じじの最後をみんなで見守りました。
とりあえず、儀式という儀式は滞りなく終了してホッとしました。
父も安心したかなと思います。
5月13日14日
仕事はお休み頂いています。この週はずっとお休み。
部下には大変なご迷惑をかけました。
葬儀が終わってホッとするのもつかの間、ここからが・・・
役所だの銀行だの保険屋だのまぁ手続きがたっくさん!
兄と1日中走り回りました。
こりゃね、老夫婦しかいないとかだったら大変だわ。
父の死亡だから、ほとんど全ての名義変更・・・。
こんな大きな出来事があっても時は確実に流れ、何も変わらず
時は経過しなければなりません。私達もこれまで通りに過ごさなければ
なりません。
この感覚は不思議でした。あんなことがあったのに普段があっという間に
戻ってしまうっていう。そうはいってもね。
5月16日
兄は帰宅しました。叔母が実家に泊まってくれました。
母の妹だけど、ほんと近くに叔母がいてほんとに助かった。
叔母一家にはこの父の入院時からずっと、足を向けられないほど
私たちを助けてくれました。いつか恩返ししないと。
そんなことで、しばらくは叔母が寝泊まりしてくれるようで
安心して私も仕事もあるので日常に戻りました。
四十九日までは毎週末、実家に泊まろうと妻が提案してくれて
しばらく週末は私の家族が、平日は叔母がみたいな生活でした。
あっという間に時が過ぎ、色んな人が来てくれたり、四十九日の
準備したり、手続があったり、なんだかんだでほんと
あっという間に経過した。
週末は泊まっていたので、生前入院中に父が退院したら大好きな
BBQをしたい、ビールを飲みたいって言っていたので何回か
不謹慎とは思いつつも、父の分まで食って飲みました。
6月26日
あっという間に四十九日が来ました。
ほんと早いもんだね。
一旦はこれで節目を迎えました。
7月3日
父の事がって色々と手つかずだった我が家の裏庭。
今年こそはピザ窯と人工芝の計画をしているんですが・・。
とりあえず草刈りしました。
7月5日
娘の幼稚園での体育参観日。
コロナじゃなかったら運動会?だったけど体育参観という形でした。
歌と踊りの発表だったけど・・・娘!歌え!笑
最後は親子徒競走。娘、おそっ!笑
7月10日
娘、2回目の美容室に一緒に行きました。
いっちょ前に慣れてやがる。。そして喜んでる。
7月13日
37歳になりました。今年は色々あった1年でした。
そう考えると父と過ごした年月ってたった36年間だったんだなー
なんて考えてしまいました。
ありがたい事に部下から誕生日プレゼントもらっちゃいました。
わかってるじゃねーか、かわいいことしてくれるじゃねーか。
7月18日
延期になってた我が家への訪問御一行様、やっときてくれました。
BBQしました。キャンプ今年も行こうとなりました。
7月23日
色々あった東京オリンピック開幕。
久々の遠出をしました。壮瞥町でサクランボ狩りに行きました。
うまーーい!
そしてお弁当を持って行ってたので、洞爺湖でランチ!
7月24日
妻の友人と娘ちゃんが来たのでみんなでBBQ
7月25日
娘と一駅だけの電車の旅。アイスを食べて帰りました。
7月31日
生前父が心配していた母の車の車検、やってきました。
安心してくれ。
からのBBQ。そして水遊び、そして花火。
8月1日
結婚記念日です。丸7年経ったんですね。。
感謝感謝です。
8月6日
今季初のゴルフ。Y田と午後有休にして午後スタートで行ってきました。
8月11日
甥っ子二人が初めて二人だけで電車に乗って実家に来ました~
サッカーで忙しい二人だけど束の間のお盆に来ましたよー。
無事に乗り過ごすことなく来た。
8月16日
早いもので父の百箇日でした。
私もお休みを頂き、お寺さんを実家で出迎えました。
ほんと時がたつのは早いわ~
8月19日
部下と子会社へ業務のレクチャーに行きました。
ついでにドライブしましたよ笑
8月22日
髪切りに行きました。
そしてふるさと納税の返礼品の飛騨牛!食いました。
8月25日
午後から有休にしてゴルフに行こうとしてましたが、
連れのお子さんの学校でコロナ感染者が出て学年閉鎖になり。。
休めなくなったと・・。残念!
8月28日
妻の実家で初めてのBBQ
8月29日
庭を人工芝にしたいのでまずは土起こし。
ここの土地はほんとに固い・・。
9月3日
健康診断。
そして2年連続の午後からキャンプの予定をしてましたが・・
まさかの緊急事態宣言で施設閉鎖・・残念!!
9月4日
ついに行ってきました。
長年の夢であった二輪免許取得を目指して自動車学校に
入校しました。思い切って行きました。
9月5日
かなり遅くなりましたが父の納骨をしました。
コロナ禍もあり、中々兄貴一家とも揃わずだったんですが
タイミングがあったのでやっと納骨しました。
9月8日
仕事が終わってから初めてのバイク教習。
気持ちいいね~!でも難しいね!!
この日から週3回程度仕事終わりに教習です。
9月12日
思い付きでサンマ買って七輪で焼きました。
9月15日
問題児が退職しました。
9月18日
娘が発熱してね・・。病院行きましたよ。
幼稚園行くようになったらまぁもらってきますよね。
発熱してるからやっぱりぐったり元気ないんですよね。
まぁ病院行ったし薬飲んでるしゆっくり過ごしてました。
その夜中ですよ!
やっぱりね鼻水が出てるから鼻の中痒いのかな?寝ぼけながら
かっちゃいたのかわからないけど突然鼻血が!!
暗いので良く見えなかったけど電気付けたら顔中、そして布団とかも
血だらけじゃないか!いや~びっくりしたよね。。
しかも中々止まらないからハラハラしたよね。別な病気かと思ったもん。
9月19日
そんなこんなでもれなく下の子も発熱です。
しかも夜に嘔吐しちゃって・・まじ焦ったよね。
すぐに義母に来てもらい夜間救急行きましたよね。
結局ただの風邪だったようですが・・・
なんか焦っちゃうよね。こういうご時世だし。。
そんなこんなで暖かい日も終わりに近づき天気の良い日も
あったけど子どもたちの体調は優れないし、
私も教習入っちゃってるしで中々BBQができないよねー
10月2日
久々に実家にみんなで泊まりましたー
10月9日
半休でいよいよ卒業検定です。。緊張しました。。。
奇しくも父の命日だし!大丈夫かな!!
なんと・・・!しょっぱなで一本橋脱輪で検定中止、不合格。。
心配だった一本橋でやっぱりやっちゃいましたー。。
まじ悲しい。
この日は娘と二人で実家に泊まりました。
10月10日
ほんとだったら合格したテンションでうまいビールを飲みながら・・
ってとこでしたが、不合格だったので・・アルコールなしで
BBQやりました。。
10月13日
定時早々に退勤し補修。明日の再検定に備えます。
10月14日
午後有休で2度目の卒検に挑みます。
一本橋は昨日何度も練習した。合図手順もOK、坂道発進もOK
あとは急制動で40km/h以上出さないとな。。。。
と、思い挑みました。
調子良かったですよ!一本橋もクリア!後さ最後の急制動さえ
クリアすればやっと合格だ~~!急制動は今までミスっていうミスは
なかったし、よし合格まであと少し!
・・・。
調子乗っちゃったかな・・・。
いつも以上に余裕ぶっこいて44km/hくらい出しちゃったのかな?
停まれなくてね、挙句には体勢を崩して盛大に転倒しましたよね。。。
もうね何が起こったのかわからず・・・。
幸いケガひとつせずに・・検定員も他の受験者も心配そうに見てる。。
は、恥ずかしい。。。。
そんなこんなであともうわずかの所で不合格・・・。
へこむわ~~
部下にまた迷惑かけちゃうよ~
10月15日
コロナワクチン接種1回目やってきました。
なんだかその日から左腕は痛くなりましたね。
不思議と熱も出ませんでした。まぁ出たことにして
翌日は特休にしましたけどね。
10月16日
副反応のため特休。
腕の痛みも治まってきました。
10月17日
やっとお墓の墓誌に父の名前が入ったので確認しに。
それとねこの日くらいからまたまたお尻の異変があったわけですよ。
まぁ余ってた薬を塗ってたんですけどね。
10月21日
働き方改革法の研修
いよいよこの日くらいから結構な痛みと腫れが出ましてね。
3度目の卒検も心配になってきましたよね。。
10月22日
定時で退勤し2度目の補修。
もうね、2度目ともなると先生も好きなように走って~みたいな。
自分の不安なとこやっていいよ~みたいな!!
10月23日
ケツが痛い中、半休と30分の中抜けで3度目の卒検です。
もう緊張というか、昨日の練習通りにできるよう祈ってました。
落ち着け~落ち着け~と何度も口ずさみ。。
無事に合格しました~~~~~!!!!!
嬉しいね。ほんとにうれしいね。
これで二輪免許所持者になったよ~!
もう退勤してる部下にも思わず合格の一報を入れたよね。
今回はたぶんケツが痛いもんで座る位置によって痛いから
若干の内股?みたいな座り方になるのが痛くないんですよ。
それが逆に安定感となって功を奏したっぽいよね!笑
ほんとなら帰って祝い酒でも飲みたいけどケツが痛いもんで・・
自粛しました。
10月25日
いよいよ痛みがピークで歩き方も変になってきたんで
思い切って病院にいきました。
今までお世話になってた皮膚科がまさかの閉院したんで新規の
皮膚科に行きました。。あんまり新しいとこだと混むし若い看護師とか
いるのかなーなんて思って・・
できるだけ老舗の皮膚科に行きました。
診察してすぐに先生から・・「切開した方が良いよ」との事。
しょっぱなから切るとは思わず・・・
しかしこのままも結構辛いので、「お願いします・・」と。
麻酔を打たれ、さっそく切開してもらいました。
しばらく通院し治療しようと。。
だおもんでしばらく・・というか1週間びっちし出勤前に診察
してもらうことになりました。。
なので1週間毎日1時間遅刻控除となり・・・。
お陰様でかなーり楽になり痛みも引き普通に歩けるようになりました。
また妻にケアをしてもらっているので頭が上がりません。。。
10月27日
ケツの治療中ってのもあるし、せっかく卒検合格したので
早く免許証書き換えたいなってのもあって。。仕事休みました。
行ってきましたよ。手稲の運転免許試験場。即日発行なんでね。
そう思惑があって。北海道のバイクレンタルは10月いっぱいで
終了なんですよ。だから地元の警察署で申請したら1ヶ月くらいかかる。
それだと10月中に免許証が発行されない!乗れない!
そんな思いから即日発行の手稲に行きましたよ。
そして発行待ちの時間にのんびりとランチ。
10月30日
二輪免許取得ホヤホヤでレンタルバイク屋に行ってきました。
今、まさに私の夢が叶うわけであります。
HONDAレブル250をレンタルしました。
8時間レンタルでヘルメット代とか保険代込みで15000円。
いいーんです。とにかく乗りたいの。風になりたいの。
もうね感動ですよね。初めて公道を堂々と走るわけですよ。
気持ちよかった~。
娘たちにも見せたいから一旦家に帰って見せびらかして、
途中のアイス屋さんまで後ろで私の走りを見てもらって。
それからは厚真だの安平だの千歳だのを悠々と自由に
8時間びっちし走らせてもらいましたよ。
当然だけど教習所よりもずっと走りやすい!
公道にあんなクランクだのS字だの一本橋だのないからね。
ほんとに満喫しました。
ほしいな~。。バイクほしいなぁ。。
子どもたちがもう少し大きくならないと買えないか~
いつか250でいいから手に入れたいなぁ~。
ほんとに楽しかった!
来年もまずはレンタルで風を切りたいな!
11月3日
長男坊の1歳の誕生日パーティをしましたよ。
早いよね。もう1歳だって。
ほんとだったらね、じじもいたはずなのにね、残念だよ。
うちのははと義父母を呼んでささやかにお祝いしました~
一生餅も用意したど・・まだ歩きません。。ゆっくりタイプかな。
祖父母、義弟、私の叔母からもプレゼントもらっちゃって~
恵まれてるな~。
長男坊のプレゼントなはずが長女がずっと遊んでますけどね。。
まぁ無事に大きな病気やケガをすることもなく1年過ごせて
良かったね~ありがたい事だ~。
11月5日
コロナワクチン接種の2回目を受けに行きました。
今回はね、腕の痛みがひどいね。あとは倦怠感も出た。
熱はそんなに上がらなかったけど頭痛も少しありましたね。
色んな人の話を聞く限りでは軽い症状でしたね~
腕だけはハンパなかった。上がらないし日に日に脇から脇腹の
左半身が痛くてね。違和感がなくるまで5日間かかりましたよー
11月6日
もちろん高熱ではないけど特休にしましたよ笑
でも倦怠感と腕が痛くてなんもしたくない感じですよね。
ほぼほぼベッドにいましたよ。
娘は祖母宅へ・・長男坊とは2時間ばかし一緒に昼寝し、
彼が起きてからはママに預け買い物とかに行ってもらいました。
私はボケーっとしこたま寝てました。
でもね左半身が痛いからなんだか気分もすぐれない。
そんなんで1日は終わりました。
11月7日
まだ腕の痛みはあるも、本調子ではないので娘はうちの母に
預け、寝るのも体が痛いので今のうちにってことで、今年は
喪中はがきを作らないといけないので・・・作りました。
そうだよ、つい半年前に父が亡くなったんだ。。
そんな感じです。
コロナはだいぶ収まってきたようですが、第六波が必ず来るんじゃないかと
怯えています。いつ収束するのでしょうか。
その反面、めんどくさい行事は自粛や中止になってラッキーなんて思ってますが。
やっと、眞子さんがご結婚されました。
私は、世間では厳しいことを言われておりますが、結婚できて良かったなと
思っています。めでたい事なのにあんなにバッシングされて気の毒だと感じますね。
元々は親の問題だったのに本人たちが責められることなんてないのに。
若い二人が愛し合って結婚したいって言ってるんだから暖かく見守ればいいのに~
と私は思っています。。。世間は冷たいな~と。
さて。また総理大臣が変わりました。選挙もありましたね。
岸田総理には長期で安定した政治運営を願いたいね。
それよりも橋下徹とか維新の会が言っている、たった1日しかも4時間だけ
の在籍で1ヶ月分の文通費100万円支給はおかしいと。
全くその通りに思いますね。たった4時間で1ヶ月分もらえるのはおかしい。
でもそういう自分達にも特権のある事については野党はうるさく言わない。
結局そんなもん。野党も攻めてるようで自分たちを守ってる。
ビッグボスは楽しみだねぇ。
きっと盛り上がると思うし関心が強まるよねー。
球団の決断には敬意を表したいくらいだね。
経済効果は大きいと思うなー。
そんなこんなであっという間に年末に向かっております。
時が経つのは早いわー。
てなわけで一旦閉じます。
また近いうちに。
今日は11月11日ですよ。
もう寒くなってきました。タイヤ交換の時期が来ちゃいました。
夏は暑い日がけっこうありましたよね。でもそんな日も今思えば
あっという間でしたな。
さて、半年前、私の父が死去致しました。
関係者の皆様にはご心配をお掛けしました。
お気遣い頂いた方には心から感謝申し上げます。
もう半年経過しました。
なんだか未だに「父がいない」実感がわきません。
実家に行くたびに「あ、いないんだ」。
仏壇を見るたびに「そっか、いないんだ。」という
感じですよね。
1ヶ月経ったくらい、これまで通りの日常が戻ってきていつもと変わらない
母も元気だし私も私の家族もいつも通りに戻ったんだけど、
なんだかこの時はあの光景がすごく寂しく見えて現実を
突きつけられたって感じがしましたね。
一般的な父親像の荒々しい人でもないし
声を荒げる人でもないし、亭主関白のような
存在感のある人でもないし。
かといって寡黙な堅い人でもないし。
自然といつも冗談を言って静かにテレビを見て
ビール飲んで他愛もない話をして犬を愛する
そんな人だったので・・・。
少しばかりみんなの空間にいなくてもいつも通り
ちゃっかり別な部屋で一人テレビを見てたり
いつの間にか勝手に食器洗いをしていたり。。
そんなんだから、いないのが不思議でもあり違和感もないっていう・・。
隣の部屋とか台所に行ったら居そうで・・。でもいないから不思議。
でもやっぱり寂しいよね。
なんでこんな早く逝っちゃうんだろうって悲しいよね。
寂しいし悔しいし悲しいし。。
2ヶ月くらい経った頃かな、実家に用事があって寄ったら・・・。
なんかやっと実感してきました。
私が仕事帰りによるといつもはダイニングテーブルで
二人で晩ご飯を食べていたんですが、母が一人で食事してたんですよね。
いや、この光景は何度か目にしてるしなんとも思ってなかった
んだけど、やけにその時は・・・
「そうだよな。もう一人で食事なんだな。」
と思い、その光景がやけに寂しく感じました。
順番だからいつかはこういう別れが来るとは分かっていたけど
まさかこの年で親を亡くすなんて全然イメージしてなかった。
いつも元気でいたってこともそう感じるんだろうけど。
でも、親を亡くすなんてどっかで他人事だった気がする。
まだうちの下の子も生まれたばっかりだし。
まだまだ一緒に過ごすもんだと思ってた。
うちらと一緒に孫の成長を見ていくんだと思ってた。
80過ぎは普通にいるもんだと思ってた。
80過ぎには子どもたちも大きくなってて、大きくなった
孫と触れ合う事を楽しんでいるもんだと思ってた。
子どもたちが成人するまでは元気でいてほしいなと
思ってた。
だもんで、なんでまだ3歳と0歳のうちに急いで
逝っちゃうんだろうって。
急ぎ過ぎだろうって。
受け入れる受け入れられないとかではなく・・・
なんか不思議。
かといって深く落ち込むってこともなくて・・・
ただただ不思議で寂しい。
ほんとにふらっと「何してる~」って現れそう。
現れてほしいんだけどね。。
自分たちにとっては立派で自慢の父でした。
この人の息子で良かった。
誇りに思える父でした。
またいつか会いたい。すごく会いたい。
あんな話やこんな話をまた聞きたいなー。
生まれ変わっても親子でいたいな。
亡くなったことを普段世話になっている父の
友人とか知り合いに連絡したんだけどね、
私も名前しか聞いたことない人とかに連絡しなきゃ
ってことで電話したのね。
そしたらほとんどの人が電話越しに泣いてね。
もう70過ぎの友達が泣いて悔しがってるのよ。
なんかありがたいよね。
嬉しかったし誇れるし、自分もどんなに年をとっても
泣いてくれる友人を持てたらいいな~って思った。
きっと全員にってわけじゃないんだろうけど
ちゃんと誠実に思いやりを持って付き合ってきたんだろう
なってことがわかったね。
父の人柄を改めて教えてくれました。
娘がちゃんと理解しているのかどうなのか。
じじ起きないねーとか
じじ遠くに行ったの?とか
じじお空に行ったんだもんね。とか
言ってますけど、なんだか切ないよね。
こないだは実家に泊まって家に帰ってからの
翌朝、昨日じじ来たもんね。
ワンワン抱っこしてナムナムのところにいたもんね。
って言ってました。
3歳の子どもには見えるのかな?
なんか言ってた?って聞いたら何も言わず笑ってすぐ
飛んで行った。
って。
やっぱり見えるのかしら。
じじはいつも側で守ってくれてるんだよーって
言い聞かせてますが、その通りなのかな?と。
なんだかほっこりします。
なんだか少しづつ少しづつ36年間の父との
思い出を思い出してみようっと。
そんなことで備忘録を。
4月30日
思い切って有休をとり、7連休にしてみたよ。
でもコロナ禍でどこへも行けない。
唯一の楽しみは・・・幼稚園は普通通りなんですよね。
なので初めて私が幼稚園の見送りとお迎えをしましたよ。
バスに乗って元気に手を振って行きました。
人見知りで内弁慶な娘が幼稚園楽しいと笑顔でバスに乗る
娘がなんだか頼もしいけど心配で心配で。
まぁ幼稚園楽しいって言ってくれてるのはありがたいね。
連休はそんなんだからのんびりしようと思ってたんです。
天気が良けりゃBBQしようかなーとか。
ところが天気は悪し子どもたちは鼻水垂れ子だし・・・。
まさにステイホームしかなかったですよね。
5月3日
この日は、息子と留守番してママと娘が買い物に行ってたんですよ。
久々に娘とママの買い物。で、ちょうど帰ってきたくらいに・・・。
母親から電話がありました。
父の様子がおかしいと。
4年前と昨年と気胸の手術をしていてまた再発したかな?
と思ったんです。じん肺も持っていたのでまた苦しいのかなと。
すぐに実家にかけ付けましたが、父の顔は蒼白状態。
呼吸も荒いし明らかに酸素が足りてない感じ。
すぐに昨年手術を受けた病院に電話しましたが
発熱もあるという事で、コロナ対策の関係でまずは
発熱でも受け入れ可能な病院に行ってすぐにCT撮れば
気胸がどうかわかるので、気胸だったら受け入れますよと。
で、すぐに可能な病院に連れて行くと・・・
まさかの肺炎を起こしていました。しかも重症。
医師の話を母と聞きましたが、寝耳に水とはこういうこと。
全く予想していなかった診断結果。
重症と聞かされても、病棟に運ばれていく父は私たちに
ピースサインしたりいつもの父なんです。
この状況で会話できるのが不思議なくらいですよ。
それくらい重症なはずですよ。と。
そう言われても全然ピンときませんよね。
それから即入院となりました。
予想外の展開にパニックになりそうでした。
入院中はコロナでお見舞いもできないですが
本人からは逐一LINEが来てたので私的には肺炎だし直って
帰ってくるものだと信じて疑わなかった。重症といえども
治るもんだと。ただ、じん肺持ってたから少し時間かかるかなー
帰ってきても今までよりはしばらく静かに暮らさないとかなー
くらいに思ってたんです。
確かに肺炎っておっかない病気だとは分かってましたよ。
でも肺炎での死亡って80歳くらいの年齢で肺炎になったら
大変ってイメージでしたからね。
まぁでも重症は重症だからLINEで様子を聞いても
過去の入院とは違うの・・・かな・・・?
でも食事も取れてるようだし、差し入れのリクエストも
来てるし。。。
そんなこんなで心配ではあるけど治療に専念してもらって
また退院したら則BBQやりたいとか言ってるし・・・
5月5日
前々から予定していた息子の初節句。
当初父も楽しみにしていたささやかなお祝い。
予定では私の両親と妻の両親を呼んで軽くランチパーティ。
ところがこんな入院になっちゃったんで妻の両親だけ。
なので特大のケーキを頼んでたけど大きすぎたね。
義両親も父のこと心配してましたが、まさかこんなことになるなんてね。
びっくりさせちゃったよね。。
そんなこんなで一通り息子の初節句を終わらせ、
五月人形の前での写真とかを入院中の父に送って元気づけたりして
この日も平穏に終わるかと思ってました。
この日の朝から様子を聞きにLINEでやり取りしてて、
父から「今日はちょうど4年前、退院でBBQした日だ~」
なんて余裕なメッセージ来たりしてたからね。
また今回も退院即焼肉コースを頼む。なんて言ってたし。
で、夜10時過ぎくらいに母から電話。
病院から電話来たと。
容態が思わしくないから家族に説明したいと。
すぐに行きましたよね。
中々、抗生剤が効かない。そして最悪の事態は覚悟してほしい。
やれることの事はするが改善の兆しが見えない。
と。
もうね、頭が真っ白。
だけど本人の病室行くと苦しそうではあるけど会話できるし
覚悟しなければならないの?実感が沸きません。
だけど次に思ったのは、兄貴を呼ばなきゃ。
この日はもう危篤とかそういう状況ではないけど、大げさに言うと
何が起きてもおかしくない状況。会話はできるし意識もしっかり
してるけど重症な状況には変わりない。
なので兄貴を夜中に呼びました。
病院にも無理を言って札幌の兄貴が到着するまで待ってもらって
3人そろって面会させてもらいました。
コロナ禍でずっと会えてなかったからね。
私は近くにいてしょっちゅう会ってたけど兄貴は中々ね。。
だから会わせたかった。どうしても会わせたかった。
札幌からタクシーで来てもらいましたよ。
久々に会う父の姿にきっとショックだったと思うけど
会えたことが私は嬉しかった。
たまたま兄貴は翌日も休みだったので翌日も実家にいてもらいました。
5月6日
通常通り出勤。
朝一で上司に一応報告。父がこういう状況になっていますと。
なので何かあったら急遽帰りますねと。
朝から父から家族グループLINEにメッセージ。
昨日はドラマのワンシーンのようだった。と笑
その後も色々、朝食の写真だの差し入れのリクエストだの
普段のやり取りと変わらないLINEが来てました。
うちの娘も甥っ子たちも動画で「じじ頑張れー早く帰ってきてー」
と入れてくれたり。きっと父の力にもなったことだろう。
5月7日
この日も変わらずいつも通りの会話をグループLINEで。
朝は本人も安定してきたと言っている。
ただ夕方くらいから文字で送ってきてたメッセージがだんだん
スタンプだけになってきたり・・・なんか少ししんどいのかな
とは思ってきたよね。でも薬も効いて改善されると思ってたよ。
5月8日(土)
私は仕事でした。
いつも通り仕事をこなし、昼に弁当を食べて少しばかり
ゆっくりしていた時・・・。
母から電話が来ました。もう急いで病院来てくれって言われたと。
すぐに上司に報告し部下にも後のことは頼んだと言い残し急いで
実家に行きました。
冷静に努めている母も心中はパニック状態だろう。
私も早く病院に行かなくちゃだけど、現実を受け入れたくないから
行きたくない。そんな思いで病院に向かいました。
到着するなり看護師が「今現在、かなり厳しいし酸素量も少なく
本人は相当辛い。なのでモルヒネで安定させたいけど若干意識が
朦朧とする。本人に説明したら家族が来るまでは言いたいことが
あるからモルヒネは入れたくないとおっしゃってます。なので
すぐに会って話をして下さい。」
こんなこと言われたらもう感情はぐちゃぐちゃですよ。
そして看護師がご本人がコーラ飲みたいと言っているので
息子さん急いで買ってきてくれませんか。
急いで売店でコーラを買いに行きました。
同時に医師からの説明もあるようなんで、母には父の病室に
行くようにし、私が医師からの説明を聞きました。
要約すると、もう改善の見込みはない。今日明日にはダメかもしれない。
色々手を施したがこれ以上は苦痛を伴う延命のみ。やはり、元々の
じん肺で肺炎になり重症まで行ったから・・・
私は・・・ここの病院に連れてきた日から父はずっと呼吸の
苦しさがあった。最後の最後まで苦しませてまで逝かせたくない。
苦しみから解放させてあげたい。なのでモルヒネ投与してください。
その後、病室に行くと意識ははっきりしていて息遣いが荒く
少し苦しそうにしていたが、僕が入室する前に父は母に
「42年間、ご苦労様。良かった。」こう言ったそうです。
ありがとうとか、ごめんとかそういうありきたりな言葉は
普段絶対に言わない人だったんですよね。言っても遠回しで
はっきり言わなかったり。そんな人だったから、そんな言葉を
言ったってのを聞いて、ほんとに心からそう思って最後はちゃんと
言わなきゃ、伝えなきゃって思ってたんだなと思いましたね。
そして自分の命がどうなるってのもわかったんだなと。
だからこそなんだなと思うと同時に辛くなる。
その後、私も病室に入り大事な話があると。
私も母も何を言い出すのかドキドキしながら聞くと、、
「な、そう言う事だからな」
「来週、車検あるから頼むな」
「明日とドックじゃないか?」
「労災の申請あるべ?たぶんな、葬祭費も出るはずだから頼むな」
「あれだな、こないだ買ったマルちゃん正麺食べておけばよかった」
などと、最後の言葉とは思えない普段通りの・・・冗談交じりの
会話でした。
きっと伝えたかったのは母に対する感謝だったんだろうと。
そうこうしていると兄貴も到着し、一緒の時間を過ごせました。
コロナ禍ではあり得ない、本来面会もダメなのに家族3人病室に
入れてくれて最期まで家族4人で過ごせました。
本当に病院の配慮には心から感謝しています。
個室だったので意識がはっきりしているうちに義姉と甥っ子、
妻と娘・息子とビデオ通話もできました。
ちゃんとみんな父と会話できました。
実家で犬の面倒を見てくれてる叔母にもビデオ通話して
父が溺愛していた愛犬とも話すことができました。
そんなこんなで息苦しそうにしていましたが、モルヒネを
投与し始めると落ち着いてきました。
とりあえず容態も安定しているため、ずっと3人もいるのも
病院に悪いと思ったので、兄貴を残し母と私は一旦自宅待機する
ことにしました。帰る前に兄貴の軽い食べ物と父が大好きだった
アイスのスーパーカップを買ってきました。
アイスを一口食べると苦しいはずなのに「うまいっ!」と一言。
少し呼吸が荒いけど落ち着いてる様子。普段通り眠ってるみたい。
5月9日(日)
4時半過ぎ、兄貴から安定はしているが酸素量が少なくなってきている。
病院に向かっても良いかもしれない。
との事だったので母と急いで病院に向かいました。
昨夜同様、声をかければ少しだけ反応する感じ。
また数値が低いながらも安定してきたので、付きっきりだった兄は
一旦仮眠するために家に帰そうとしていました。
すると・・・タイミングがいいのか悪いのか、私は兄を送るために
病室を出て兄と防護服のようなものを脱いで、帰ろうと歩き出した所
看護師さんがちょうど来たんですよね。
なんか数値やら確認してるから様子を聞いてから帰ろうと。
すると看護師さんは「うーん、なんかだんだん低くなり始めてますね」
さっきまで安定していたのを確認して帰ろうとしてたんだけど。
急に酸素量が反応示してるみたいで・・・。
「もう少し様子見た方がいいですよ」と。
きっと神様が与えてくれたんですね。帰らずにいなさいと。
その言葉通り、残って1時間もしないうちに父は息を引き取りました。
最後は苦しまずに、私たち家族の言葉にも反応して思い残すこともなく
安心したように、眠るように逝きました。7時51分、永眠しました。
ほんと看護師さんの言葉がなかったら死に目に会えなかったかも。
看護師さんにはほんとお世話になったし感謝でいっぱいです。
コロナ禍の中、異例の対応をしてくれたし、父も良くしてもらいました。
早過ぎだけど、良い最期を迎えたのかな?
その後はなんか信じられないような、事実に追いつけないような、
なんて表現したらよいのかわからない時間を過ごした気がします。
ついこないだまで元気でぴんぴんしてた人が今は息してないわけだから。
大病を患ったわけでもなく事故に遭ったわけでもなく・・。
たったの6日間で最愛の父が逝くんだから。不思議です。
本人は普段から60歳で仕事辞めて自由気ままに過ごしてきたから
何の悔いもない。いつ逝ってもいい。なんてことを冗談交じりに言ってたけど
俺は・・・まだ父と話したいことも行きたいとこもやりたいことも
させたいことも、たくさんあったのに。
ほんとに“ちゃっかりした”人だった。
時間がたって思う事は、早過ぎは早過ぎだけど、母より先に逝ったこと、
下手に闘病生活が長くならず家族に負担を与えないようにしたことなど
なんか、ちゃっかりとみんな困らないようにして逝ったのかな~と。
そして普段から俺は満足しているとか言ってたし、逝く直前も普段通りの
冗談言ったりしてたから、まだ本当にいない気がしない。
その後は、親族に連絡して悲しんでる余裕もなく母と兄と私で
色々分担しながらやることがたくさんあって、ほんと悲しんでる余裕は
なかったですね。
看護師さんに奇麗にしてもらって、私は葬儀屋さんと共に父を乗せて
1週間ぶりの自宅に戻りました。雨が降りしきる中。
先に母と兄も帰って待っていた。叔母も待っててくれた。
まさか、こんな状態で家に帰ってくるなんて思ってもみなかった。
愛犬も動かない父が不思議そう。それでも側を離れようとしない。
間もなくして妻と子どもたちも会いに来て。
言葉にならない。1週間ぶりに会ったらもう起きないんだもん。
娘は理解しているのかしてないのか「じじ、起きないね」って。
なんか子どもの反応が辛いね。
叔母も叔父も従妹も駆けつけてきたけど、みんなの反応を見てると
見てられない。辛すぎる。
義姉や甥っ子も来て、彼らは小学生だから理解できる年齢だから
号泣しているのはほんと見てられなかった。
大好きなじじが久しぶりに会ったら・・・もう動かないんだもん。
そこから関係者に連絡したり葬儀屋と打合せしたり弔問者対応したり
なんだかあんまり覚えてないな。
私も近い友人に連絡したけど、今春から僧侶に転職した友人はすぐに
弔問に来てくれて。嬉しかったね。
友人たちもわざわざ葬式に来てくれたり・・・ほんとありがたい。
私も父も母も兄も周りの人にほんと恵まれてるなと実感しました。
5月11日
通夜。
亡くなる前日、大事な話があると言ってた時に、葬儀の心配まで
していたんです。
「あとあれだな、コロナだからよ、家族葬でいいからな。迷惑かかるから」
その時は、こんな時にそんなこと言わないでよって思ったけど、
もう自分の命がどうなるってのは受け入れて、そこまで心配してた
んだなーと。なんかすげぇーなと思って。冷静というかなんというか。
私は物心ついたころから父が亡くなるまで、父の取り乱した姿は
見たことがありません。最後の最後まで取り乱すことなく冷静で
落ち着いて、強くたくましく普段通りの姿で旅立ちました。
コロナ禍で参列は親族だけだったけど予想に反し、ほんとたくさんの人が
きてくれました。父の人柄なのかな。
端っこでいいから参列させてほしいっていう父のお友達もいたし。
葬儀屋さんにもお気遣い頂いて最初から最後までほんとに良くしてくれた。
無事に通夜を執り行う事ができました。
5月12日
告別式。最後のお別れ。
ほんとに最後です。病院に連れてった日から僅か9日でもう
二度と触れる事のできない、お骨になってしまいました。
不思議です。ほんとに。
でもこれが現実なんですね。子どもたちには酷かもしれないけど
現実を最初から最後まで見せました。箸渡しもさせました。
あの熱い熱気も感じさせました。独特の匂いも感じさせました。
じじの最後をみんなで見守りました。
とりあえず、儀式という儀式は滞りなく終了してホッとしました。
父も安心したかなと思います。
5月13日14日
仕事はお休み頂いています。この週はずっとお休み。
部下には大変なご迷惑をかけました。
葬儀が終わってホッとするのもつかの間、ここからが・・・
役所だの銀行だの保険屋だのまぁ手続きがたっくさん!
兄と1日中走り回りました。
こりゃね、老夫婦しかいないとかだったら大変だわ。
父の死亡だから、ほとんど全ての名義変更・・・。
こんな大きな出来事があっても時は確実に流れ、何も変わらず
時は経過しなければなりません。私達もこれまで通りに過ごさなければ
なりません。
この感覚は不思議でした。あんなことがあったのに普段があっという間に
戻ってしまうっていう。そうはいってもね。
5月16日
兄は帰宅しました。叔母が実家に泊まってくれました。
母の妹だけど、ほんと近くに叔母がいてほんとに助かった。
叔母一家にはこの父の入院時からずっと、足を向けられないほど
私たちを助けてくれました。いつか恩返ししないと。
そんなことで、しばらくは叔母が寝泊まりしてくれるようで
安心して私も仕事もあるので日常に戻りました。
四十九日までは毎週末、実家に泊まろうと妻が提案してくれて
しばらく週末は私の家族が、平日は叔母がみたいな生活でした。
あっという間に時が過ぎ、色んな人が来てくれたり、四十九日の
準備したり、手続があったり、なんだかんだでほんと
あっという間に経過した。
週末は泊まっていたので、生前入院中に父が退院したら大好きな
BBQをしたい、ビールを飲みたいって言っていたので何回か
不謹慎とは思いつつも、父の分まで食って飲みました。
6月26日
あっという間に四十九日が来ました。
ほんと早いもんだね。
一旦はこれで節目を迎えました。
7月3日
父の事がって色々と手つかずだった我が家の裏庭。
今年こそはピザ窯と人工芝の計画をしているんですが・・。
とりあえず草刈りしました。
7月5日
娘の幼稚園での体育参観日。
コロナじゃなかったら運動会?だったけど体育参観という形でした。
歌と踊りの発表だったけど・・・娘!歌え!笑
最後は親子徒競走。娘、おそっ!笑
7月10日
娘、2回目の美容室に一緒に行きました。
いっちょ前に慣れてやがる。。そして喜んでる。
7月13日
37歳になりました。今年は色々あった1年でした。
そう考えると父と過ごした年月ってたった36年間だったんだなー
なんて考えてしまいました。
ありがたい事に部下から誕生日プレゼントもらっちゃいました。
わかってるじゃねーか、かわいいことしてくれるじゃねーか。
7月18日
延期になってた我が家への訪問御一行様、やっときてくれました。
BBQしました。キャンプ今年も行こうとなりました。
7月23日
色々あった東京オリンピック開幕。
久々の遠出をしました。壮瞥町でサクランボ狩りに行きました。
うまーーい!
そしてお弁当を持って行ってたので、洞爺湖でランチ!
7月24日
妻の友人と娘ちゃんが来たのでみんなでBBQ
7月25日
娘と一駅だけの電車の旅。アイスを食べて帰りました。
7月31日
生前父が心配していた母の車の車検、やってきました。
安心してくれ。
からのBBQ。そして水遊び、そして花火。
8月1日
結婚記念日です。丸7年経ったんですね。。
感謝感謝です。
8月6日
今季初のゴルフ。Y田と午後有休にして午後スタートで行ってきました。
8月11日
甥っ子二人が初めて二人だけで電車に乗って実家に来ました~
サッカーで忙しい二人だけど束の間のお盆に来ましたよー。
無事に乗り過ごすことなく来た。
8月16日
早いもので父の百箇日でした。
私もお休みを頂き、お寺さんを実家で出迎えました。
ほんと時がたつのは早いわ~
8月19日
部下と子会社へ業務のレクチャーに行きました。
ついでにドライブしましたよ笑
8月22日
髪切りに行きました。
そしてふるさと納税の返礼品の飛騨牛!食いました。
8月25日
午後から有休にしてゴルフに行こうとしてましたが、
連れのお子さんの学校でコロナ感染者が出て学年閉鎖になり。。
休めなくなったと・・。残念!
8月28日
妻の実家で初めてのBBQ
8月29日
庭を人工芝にしたいのでまずは土起こし。
ここの土地はほんとに固い・・。
9月3日
健康診断。
そして2年連続の午後からキャンプの予定をしてましたが・・
まさかの緊急事態宣言で施設閉鎖・・残念!!
9月4日
ついに行ってきました。
長年の夢であった二輪免許取得を目指して自動車学校に
入校しました。思い切って行きました。
9月5日
かなり遅くなりましたが父の納骨をしました。
コロナ禍もあり、中々兄貴一家とも揃わずだったんですが
タイミングがあったのでやっと納骨しました。
9月8日
仕事が終わってから初めてのバイク教習。
気持ちいいね~!でも難しいね!!
この日から週3回程度仕事終わりに教習です。
9月12日
思い付きでサンマ買って七輪で焼きました。
9月15日
問題児が退職しました。
9月18日
娘が発熱してね・・。病院行きましたよ。
幼稚園行くようになったらまぁもらってきますよね。
発熱してるからやっぱりぐったり元気ないんですよね。
まぁ病院行ったし薬飲んでるしゆっくり過ごしてました。
その夜中ですよ!
やっぱりね鼻水が出てるから鼻の中痒いのかな?寝ぼけながら
かっちゃいたのかわからないけど突然鼻血が!!
暗いので良く見えなかったけど電気付けたら顔中、そして布団とかも
血だらけじゃないか!いや~びっくりしたよね。。
しかも中々止まらないからハラハラしたよね。別な病気かと思ったもん。
9月19日
そんなこんなでもれなく下の子も発熱です。
しかも夜に嘔吐しちゃって・・まじ焦ったよね。
すぐに義母に来てもらい夜間救急行きましたよね。
結局ただの風邪だったようですが・・・
なんか焦っちゃうよね。こういうご時世だし。。
そんなこんなで暖かい日も終わりに近づき天気の良い日も
あったけど子どもたちの体調は優れないし、
私も教習入っちゃってるしで中々BBQができないよねー
10月2日
久々に実家にみんなで泊まりましたー
10月9日
半休でいよいよ卒業検定です。。緊張しました。。。
奇しくも父の命日だし!大丈夫かな!!
なんと・・・!しょっぱなで一本橋脱輪で検定中止、不合格。。
心配だった一本橋でやっぱりやっちゃいましたー。。
まじ悲しい。
この日は娘と二人で実家に泊まりました。
10月10日
ほんとだったら合格したテンションでうまいビールを飲みながら・・
ってとこでしたが、不合格だったので・・アルコールなしで
BBQやりました。。
10月13日
定時早々に退勤し補修。明日の再検定に備えます。
10月14日
午後有休で2度目の卒検に挑みます。
一本橋は昨日何度も練習した。合図手順もOK、坂道発進もOK
あとは急制動で40km/h以上出さないとな。。。。
と、思い挑みました。
調子良かったですよ!一本橋もクリア!後さ最後の急制動さえ
クリアすればやっと合格だ~~!急制動は今までミスっていうミスは
なかったし、よし合格まであと少し!
・・・。
調子乗っちゃったかな・・・。
いつも以上に余裕ぶっこいて44km/hくらい出しちゃったのかな?
停まれなくてね、挙句には体勢を崩して盛大に転倒しましたよね。。。
もうね何が起こったのかわからず・・・。
幸いケガひとつせずに・・検定員も他の受験者も心配そうに見てる。。
は、恥ずかしい。。。。
そんなこんなであともうわずかの所で不合格・・・。
へこむわ~~
部下にまた迷惑かけちゃうよ~
10月15日
コロナワクチン接種1回目やってきました。
なんだかその日から左腕は痛くなりましたね。
不思議と熱も出ませんでした。まぁ出たことにして
翌日は特休にしましたけどね。
10月16日
副反応のため特休。
腕の痛みも治まってきました。
10月17日
やっとお墓の墓誌に父の名前が入ったので確認しに。
それとねこの日くらいからまたまたお尻の異変があったわけですよ。
まぁ余ってた薬を塗ってたんですけどね。
10月21日
働き方改革法の研修
いよいよこの日くらいから結構な痛みと腫れが出ましてね。
3度目の卒検も心配になってきましたよね。。
10月22日
定時で退勤し2度目の補修。
もうね、2度目ともなると先生も好きなように走って~みたいな。
自分の不安なとこやっていいよ~みたいな!!
10月23日
ケツが痛い中、半休と30分の中抜けで3度目の卒検です。
もう緊張というか、昨日の練習通りにできるよう祈ってました。
落ち着け~落ち着け~と何度も口ずさみ。。
無事に合格しました~~~~~!!!!!
嬉しいね。ほんとにうれしいね。
これで二輪免許所持者になったよ~!
もう退勤してる部下にも思わず合格の一報を入れたよね。
今回はたぶんケツが痛いもんで座る位置によって痛いから
若干の内股?みたいな座り方になるのが痛くないんですよ。
それが逆に安定感となって功を奏したっぽいよね!笑
ほんとなら帰って祝い酒でも飲みたいけどケツが痛いもんで・・
自粛しました。
10月25日
いよいよ痛みがピークで歩き方も変になってきたんで
思い切って病院にいきました。
今までお世話になってた皮膚科がまさかの閉院したんで新規の
皮膚科に行きました。。あんまり新しいとこだと混むし若い看護師とか
いるのかなーなんて思って・・
できるだけ老舗の皮膚科に行きました。
診察してすぐに先生から・・「切開した方が良いよ」との事。
しょっぱなから切るとは思わず・・・
しかしこのままも結構辛いので、「お願いします・・」と。
麻酔を打たれ、さっそく切開してもらいました。
しばらく通院し治療しようと。。
だおもんでしばらく・・というか1週間びっちし出勤前に診察
してもらうことになりました。。
なので1週間毎日1時間遅刻控除となり・・・。
お陰様でかなーり楽になり痛みも引き普通に歩けるようになりました。
また妻にケアをしてもらっているので頭が上がりません。。。
10月27日
ケツの治療中ってのもあるし、せっかく卒検合格したので
早く免許証書き換えたいなってのもあって。。仕事休みました。
行ってきましたよ。手稲の運転免許試験場。即日発行なんでね。
そう思惑があって。北海道のバイクレンタルは10月いっぱいで
終了なんですよ。だから地元の警察署で申請したら1ヶ月くらいかかる。
それだと10月中に免許証が発行されない!乗れない!
そんな思いから即日発行の手稲に行きましたよ。
そして発行待ちの時間にのんびりとランチ。
10月30日
二輪免許取得ホヤホヤでレンタルバイク屋に行ってきました。
今、まさに私の夢が叶うわけであります。
HONDAレブル250をレンタルしました。
8時間レンタルでヘルメット代とか保険代込みで15000円。
いいーんです。とにかく乗りたいの。風になりたいの。
もうね感動ですよね。初めて公道を堂々と走るわけですよ。
気持ちよかった~。
娘たちにも見せたいから一旦家に帰って見せびらかして、
途中のアイス屋さんまで後ろで私の走りを見てもらって。
それからは厚真だの安平だの千歳だのを悠々と自由に
8時間びっちし走らせてもらいましたよ。
当然だけど教習所よりもずっと走りやすい!
公道にあんなクランクだのS字だの一本橋だのないからね。
ほんとに満喫しました。
ほしいな~。。バイクほしいなぁ。。
子どもたちがもう少し大きくならないと買えないか~
いつか250でいいから手に入れたいなぁ~。
ほんとに楽しかった!
来年もまずはレンタルで風を切りたいな!
11月3日
長男坊の1歳の誕生日パーティをしましたよ。
早いよね。もう1歳だって。
ほんとだったらね、じじもいたはずなのにね、残念だよ。
うちのははと義父母を呼んでささやかにお祝いしました~
一生餅も用意したど・・まだ歩きません。。ゆっくりタイプかな。
祖父母、義弟、私の叔母からもプレゼントもらっちゃって~
恵まれてるな~。
長男坊のプレゼントなはずが長女がずっと遊んでますけどね。。
まぁ無事に大きな病気やケガをすることもなく1年過ごせて
良かったね~ありがたい事だ~。
11月5日
コロナワクチン接種の2回目を受けに行きました。
今回はね、腕の痛みがひどいね。あとは倦怠感も出た。
熱はそんなに上がらなかったけど頭痛も少しありましたね。
色んな人の話を聞く限りでは軽い症状でしたね~
腕だけはハンパなかった。上がらないし日に日に脇から脇腹の
左半身が痛くてね。違和感がなくるまで5日間かかりましたよー
11月6日
もちろん高熱ではないけど特休にしましたよ笑
でも倦怠感と腕が痛くてなんもしたくない感じですよね。
ほぼほぼベッドにいましたよ。
娘は祖母宅へ・・長男坊とは2時間ばかし一緒に昼寝し、
彼が起きてからはママに預け買い物とかに行ってもらいました。
私はボケーっとしこたま寝てました。
でもね左半身が痛いからなんだか気分もすぐれない。
そんなんで1日は終わりました。
11月7日
まだ腕の痛みはあるも、本調子ではないので娘はうちの母に
預け、寝るのも体が痛いので今のうちにってことで、今年は
喪中はがきを作らないといけないので・・・作りました。
そうだよ、つい半年前に父が亡くなったんだ。。
そんな感じです。
コロナはだいぶ収まってきたようですが、第六波が必ず来るんじゃないかと
怯えています。いつ収束するのでしょうか。
その反面、めんどくさい行事は自粛や中止になってラッキーなんて思ってますが。
やっと、眞子さんがご結婚されました。
私は、世間では厳しいことを言われておりますが、結婚できて良かったなと
思っています。めでたい事なのにあんなにバッシングされて気の毒だと感じますね。
元々は親の問題だったのに本人たちが責められることなんてないのに。
若い二人が愛し合って結婚したいって言ってるんだから暖かく見守ればいいのに~
と私は思っています。。。世間は冷たいな~と。
さて。また総理大臣が変わりました。選挙もありましたね。
岸田総理には長期で安定した政治運営を願いたいね。
それよりも橋下徹とか維新の会が言っている、たった1日しかも4時間だけ
の在籍で1ヶ月分の文通費100万円支給はおかしいと。
全くその通りに思いますね。たった4時間で1ヶ月分もらえるのはおかしい。
でもそういう自分達にも特権のある事については野党はうるさく言わない。
結局そんなもん。野党も攻めてるようで自分たちを守ってる。
ビッグボスは楽しみだねぇ。
きっと盛り上がると思うし関心が強まるよねー。
球団の決断には敬意を表したいくらいだね。
経済効果は大きいと思うなー。
そんなこんなであっという間に年末に向かっております。
時が経つのは早いわー。
てなわけで一旦閉じます。
また近いうちに。