写真日誌

気ままなフォトスケッチです。

三渓園 (1)

2009年03月01日 | 庭園
三溪園は生糸貿易により財を成した実業家 原 三溪によって、1906年(明治39)5月1日に
公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された
歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。
(現在、重要文化財10棟・横浜市指定有形文化財3棟)
東京湾を望む横浜の東南部・本牧に広がる広大な土地は、三溪の手により1902年(明治35)から
造成が始められ、1908年(明治41)に外苑、1923年(大正12)に内苑が完成するに至りました。
三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場ともなり、前田青邨の「御輿振り」、横山大観の「柳蔭」、
下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。
その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、
財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。

                              <三渓園ホームページ及びパンフより>


以前、当園の南端は海岸に面し、波打ち際(小さな石の浜)まで行けました。時は流れ、
今は埋め立てられ、浜辺は巨大コンビナートに変貌、海岸は遥か彼方になっていました。
しかし手入れの良く行き届いた庭園と、いくつかの重要文化財はそのまゝで
ゆっくりと見学することが出来ました。

三渓園正門。


鶴翔閣(かくしょうかく)。明治42年建築の950㎡にも及ぶ広大な規模の原家の旧宅。
一般に対応出来る貸出施設となっている。(横浜市指定有形文化財)






大池から見あげる燈明寺三重塔。


旧燈明寺三宝池。


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