泣き濡れて・・・

2015-12-03 03:34:56 | 日記
昨日は急遽夕方ママチャリでシティー
モールへ行く途中、泣きながらペダル
を漕いでいました。
時計とSDカードと革靴を買いに・・

帰宅をしてここ二週間の予定していた
約束をすべてキャンセルをしました。

晩飯はサバの味噌煮でした。
食後すぐに2Fへ行って読書しすぐに
睡眠です・・・

真夜中の24時に目覚めそのまま起きて
メール、ブログの書き込みをしていま
した。

弟の妻もいま現在最悪の状態にあって
パニック状態で通夜・告別式もズレズ
レでそれまで遺体をドライアイスで保
存と混乱のさなかにいます。

僕は今日出発し家族は数日後追っかけ
て合流します。

ホテルの手配、親類への連絡と忙しく
過ごしていました。

泣けて泣けてどうしようもないです!

最愛の母死す 合掌

2015-12-03 00:53:42 | 日記
12月2日午後2時に我が母98歳が吐寫物を
喉に詰まらせ兄貴の前で突然に永眠致し
ました。

母、京は大正6年5月3日父布施久助、母
アエの次女に生まれ能代で育ちました。
高女時代は陸上ランナーとして活躍され
昭和10年金野鉄夫と婚姻しました。
夫が勤務していた満州鉄道牡丹紅駅の有
る牡丹紅市で娘二人と息子二人と生活。

昭和20年8月9日満州に突如攻め込んで来
たロシア軍に機銃掃射されながらも生き
延び(長女・次女は、昭和17年に7歳5歳
と幼くして疫痢で失いました)
兄貴と僕を連れて逃げ回り、命からがら
内地日本に逃げ帰り夫の郷里で暫く辛い
生活を余儀なくされました。

その後二ツ井に住居を構えて窮乏生活を
送りお袋さんは保険の外交をやって子供
三人を大学まで学ばせました。
母は洋裁が得意で自分のスーツ・ズボン
スカート何でも作り文化祭でも数々の賞
も頂いておりました。
難しい生保の営業も抜群の成績を上げて
数々の賞並びに旅行賞も頂いていました。

年一度の満州鉄道の鉄友会に参加するの
が夫婦の楽しみでした。
僕達三人も良く鞄持ちとして九州、大阪
近辺、東京近辺と何度も一緒に旅行した
良き思い出があります。
父が平成3年5月2日になくなられても遺族
として鉄友会に参加し数々の寄付をして
鉄友会が消滅するまで参加していました。

95歳までは頭脳も身体も問題なく一人暮
らしをしていましたが兄貴と一緒に生活
するようになってから、どうしても頼る
ようになって少しずつ認知症が進行して
いきました。

二年前に玄関のタタキに足を滑らせ落下
腰を痛打し背骨を損傷、高齢の為に手術
出来ず自然治癒し驚くべき回復力で周囲
もびっくり
今年の8月から9月には兄弟揃って介護を
して貴重な時間を母と過ごすことが出来
ました。

徐々に食欲が減退し心配をしていました。
今月26日ころ急に体調を崩され吐く様に
なり兄貴も手に負えなくなって急遽1日に
入院をさせ僕も病院故、安心しながらも
今年年を越せるのか心配をしていました。

兄貴より、2日午後2時10分に電話があり
たった今、死亡された旨の連絡を頂きま
した。
電話中不覚にも号泣してしまいました。

いまでも時々、思いでと共に涙が溢れて
きます。

ここに永眠した母に成り代わり今までの
ご厚情を感謝申し上げます。

               合掌