第5回 静岡 駿府城、他巡り
今回は、8月25日(日)に 4名で青春18チケットを利用して家康終焉の地、
静岡に出掛けました。
7時に大阪駅で集合し、7時15分発の新快速に乗り、米原、大垣、豊橋、浜松で
乗換え、13時21分に静岡駅に着きました。
暑いので、駿府城公園までタクシーで移動。家康が好きな鷹狩をしている像があります。
一富士、二鷹、三茄は家康が好きだったからと言われています。
家康像の近くに、紀州から献上されたミカンを自ら植えたとされる木が大きく育ち、県の
天然記念物になっています。
天守台は今も発掘調査が続けられています。当時の江戸城よりも遥かに広いことが判明し
外様大名他に畏怖の念を与えました。
江戸への移封前の天正期の天守台と秀忠に譲った後の慶長期の天守台の
違いがよく分かる説明図です。
東御門は立派に復元されています。
内堀の近くに弥次喜多の像があります。
駿府城近くの旧東海道には、府中宿があり、上伝馬本陣、脇本陣がありました。
すぐ近くに幕末、江戸に向かう新政府軍の西郷隆盛と幕府の山岡鉄舟が会見し
後日の江戸無血開城に寄与しました。その会見の碑がありました。
宝台院は家康の側室で、秀忠の生母の西郷局の菩提寺です。
1626年に秀忠は大伽藍を建て300石の寺領を与えました。
境内には西郷局を祀る五輪塔があります。お墓は市内の宝台院別院にあります。
その傍らに、水戸に謹慎していた慶喜が1868年7月に宝台院に移って謹慎したと
いう碑があります。
その後、1869年10月に謹慎がとかれ代官屋敷に移りました。
1897年東京の巣鴨に移るまでこの地で趣味に興じました。
カフェで「宇宙一濃い」という謳い文句に惹かれて抹茶シェイクを頂きました。
静岡駅前の今川義元公の像の手前に家康の幼名竹千代の像が出来ています。
15時33分静岡発の電車で、浜松、米原で乗換て、21時17分大阪に戻りました。
往復、12時間、現地滞在 2時間でしたが、青春チケットを有効に使いました。