ONCC 史跡探訪クラブ

史跡探訪の活動記録・紹介

第12回 鶉野飛行場跡地、他

2025-03-24 | 日記

第12回 鶉野(うずらの)飛行場跡、 他

 今回(3月23日)は、7名で兵庫県のほぼ中央部に位置する加西市鶉野町に行きました。

 阪急電車→神戸電鉄→北条鉄道を乗り継いで、法華口駅に 10時16分に着きました。

 駅でガイドの岡井さんに合流して案内して頂きました。

今回は、太平洋戦争末期に活躍した「紫電改」の組立や操縦訓練をしていた鶉野飛行場跡を見に行きました。


法華口駅は1915(大正4)年播州鉄道の開通に合わせて造られた駅舎です。今はバーガーが人気のお店もあります。

 

爆弾庫は厚いコンクリート製ですが、鉄筋が無く、木材が代理で使われていました。

 

基地の近くには多くの手掘りの防空壕が造られました。

 

対空機銃座です。 3人で発射しその他に弾薬を運ぶ兵隊が多数配置されました。
残念ながら1機も撃墜出来なかったとのこと。

 

地下指揮所は今は個人宅の中にあり特別に入れて頂きました。

 

指揮所はコンクリートと煉瓦で造られ、立派でした。

 

指揮所の近くの現在はのどかな牧場の辺りから紫電改は飛び立って行きました。

 

1200m滑走路はコンクリートで造られましたが、他の2本は転圧だけで造られたようで戦後はどこにあったかが不明とのことです。

 

滑走路端に紫電改の資料他を展示している「soraかさい」があります。

 

ここから九州経由で21機63名が特攻で出撃しましたが、大半は敵のレーダーで見つかり、成功しなかったそうです。

 

最近は修学旅行や遠足で中高生の見学が増えているそうです。

 

 多くの方がぜひ見学に行かれると良いと思いました。  

第11回 総持寺

2025-03-09 | 日記

第11回 総持寺

3月6日(木)今回は15名で、街歩きのプロの陸奥先生のご案内で総持寺駅から茨木市駅まで歩きました。
前日まではよく雨が降りましたが、曇り時々小雨の中、阪急総持寺駅に14時に集合しました。

初めて降りたという人が多い総持寺駅ですが色々と見所がありそうです。



先ずは、西国三十三霊場の総持寺へ。梅が綺麗に咲いていました。

 

ご本尊の千手観世音菩薩は亀に乗ってやってきたとのことでお賽銭箱にも亀が。

 

境内には包丁塚。開かれた山蔭卿は千日料理として有名で包丁道の祖として崇められており、毎年4月18日に包丁式が行われます。

 

安威川の鉄橋です。 この辺りには戦前は軍用に三島ケシが栽培されていました。

 

お豆腐やさんの伏見屋本店に寄りました。皆さん、お豆腐以外のお菓子も買われました。

 

JR東海道線の下のレンガ壁のトンネルです。茨木市の史跡「丸また」に指定されています。

 

上部は、斜めに積み上げて、強化されています。

 

川端康成文学館は無料ですが、内容は充実しています。

 

康成は幼くして両親を亡くし、祖父母の住んでいた郊外に移住しました。

 

市役所近くの橋には 茨木童子像が4体あります。

 

茨木神社の本殿は綺麗になっています。御祭神は建速素戔嗚尊ですが、境内には多くの神様が祀られています。

途中で茨木出身の有名人の話や逸話も聞きながら、あっという間の2時間でした。


第10回 なにわ七幸巡り

2025-01-07 | 日記

第10回 なにわ七幸巡り

 1月6日、今回は8名で、年始恒例の七福神とよく似たなにわ七幸巡りに行きました。
 JR大阪駅に7時45分に集合して地下鉄・バスの1日券エンジョイエコカードを買いました。
 長いお正月休暇明けの為か、サラリーマンは疲れている人が多かったです。
 今年のお正月は良い天気が続いていたのに、あいうく小雨が降っていました。

 


なにわ七幸めぐりは、大阪市内だけでなく、四條畷神社も含まれています。

 


先ずは、梅田近くの太融寺に行って、色紙を購入し、お詣りしました。

 


地下鉄で四天王寺前夕陽ケ丘駅に移動して四天王寺にお詣りしました。

 


中門は極彩色で仁王様が配置されています。

 


地下鉄で平野まで移動して大念仏寺に行きました。 本堂はスッポリと大屋根に囲まれて補修中でした。今秋には完成とのことでした。

 


市バスで住吉公園に移動して、少し早いですが分かれて昼食を摂りました。

 


初出勤の会社員も多く、安全祈願をする企業が多かったです。

 


境内には なで兎もあります。

 


南海電車で今宮戎神社に移動しました。すぐ後の十日戎のために、境内が整備中でした。

 


地下鉄で南森町に移動し大阪天満宮に行きました。 その後、JRで四条畷駅に移動し飯盛山山麓の四條畷神社へ。花手水が美しいです。

 


主祭神は 楠正行公(小楠公)です。

 


色紙に七カ所の御朱印を頂き、満願しました。
満願の証明書のハガキを送ると、四天王寺の境内の掲示板に2年間、掲示して貰えます。

駅やバス停からの移動も多く、合計で、ほぼ2万歩でした。 お疲れ様でした。

 


第9回 大原 寂光院 他

2024-12-24 | 日記

第9回 大原 寂光院 他

 今回は7名で、年末恒例の大原寂光院のおかぼちゃ焚きを頂きに行きました。
 京都地下鉄の終点 国際会館駅に9時05分に集合して9時12分発の大原行きのバスに乗りましたがほぼ満員でした。 
9時34分に大原終点で降りました。

 


周辺の山は、雪化粧しておりとても美しい。

 


寂光院の山門や本堂の屋根にも雪が積もっています。

 


境内の西側に安徳天皇の生母の建礼門院が壇ノ浦で助けられ、余生を送った御庵室跡の石碑が建てられています。 

 


冬至には「ん」のつく食べ物を食べると健康で暮らせるとのことで「かぼちゃなんきん」が振舞われますが、甘くて美味しかったです。

 


寂光院の北側に建礼門院(高倉天皇皇后徳子)の大原西陵があります。

 


バス停の近くの来隣(キリン)で野菜中心のランチを頂きました。

 


午後は東の坂を上がって、三千院に行きました。 石垣が立派です。

 


往生極楽院阿弥陀堂には国宝阿弥陀両脇侍坐像が安置されています。 
両脇侍は前屈みになり、すぐに助けに来てくれます。

 


有清園というお庭には彫刻家杉村孝氏のわらべ地蔵が配されています。

 


三千院の北側には、後鳥羽天皇、順徳天皇の大原陵があります。

 


宝泉院は額縁庭園が有名です。 抹茶付きで900円は納得です。

 


廊下の血天井には、足跡やひっかき傷も。

 


水琴窟も綺麗な音を楽しませてくれます。

 


三千院から東に約20分ほど、山道を行くと滝があります。 良仁上人が声明の修練中に声明と滝の音が調和し、「音無しの滝」とと呼ばれました。

 

距離は6.9km、上り、下りの累計は250mで楽しい史跡探訪でした。
帰りは大原から京都駅行きのバスで四条河原町から帰りました。


第8回 柳生街道-2

2024-11-27 | 日記

第8回 柳生街道ー2

 今回は5名で、5月に前半を歩いた続きで、後半の柳生街道ー2に出掛けました。
 前回終点の忍辱山までのバスは少なく、近鉄奈良駅9時19分発の
奈良交通バスで行きましたが満員でした。 IR奈良駅から乗るべきでした。

忍辱山の山門付近の紅葉はとても綺麗で我々を出迎えてくれました。

 

本堂の阿弥陀堂は室町時代に再建されましたが、本尊の阿弥陀如来坐像は平安時代の物です。

 

春日堂、白山堂は1228年春日大社御造営の際に旧社殿が寄進され、今では全国で一番古い春日造社殿で国宝です。

 

柳生街道の坂道を降りて行き、大柳生に入ると夜支布山口神社があります。その摂社立磐神社の本殿の裏手には巨石があります。

 

大柳生の盆地をゆっくりと進みます。快晴でとても気持ち良かったです。

 

街道沿いに水木古墳があります。6世紀後半の15m位の円墳で、この付近の首長の墓と思われます。

 

南明寺の近くにおふじの井戸があります。柳生宗矩の側室になったおふじとのなれそめの逸話が残る井戸です。

 

阪原(かえりばさ)峠(365m)に差し掛かると、石畳の急坂になります。

 

峠道を降り切る辺りに疱瘡地蔵が祀られています。

 

炭焼き釜が復元されて、炭を生産しています。

 

東側の山に登っていくと、柳生石舟斎が天狗と思って切ったと伝わる柳生一刀石があります。
鬼滅の刃以降、若者が多く訪れ、撮影用のスタンドやおもちゃの刀も置かれています。

 

少し北側に柳生城跡の碑があります。

 

旧柳生藩家老屋敷跡です。

 

少し北側の中腹に柳生十兵衛が諸国巡りに旅立つ前に植えた杉と言われます。 落雷が
あり、今は二代目のようです。

距離は 9km、登り累計は350m、下りは450m、程よい汗をかきました。
柳生15時43発のバスで近鉄奈良駅に戻りました。