ONCC 史跡探訪クラブ

史跡探訪の活動記録・紹介

第9回 大原 寂光院 他

2024-12-24 | 日記

第9回 大原 寂光院 他

 今回は7名で、年末恒例の大原寂光院のおかぼちゃ焚きを頂きに行きました。
 京都地下鉄の終点 国際会館駅に9時05分に集合して9時12分発の大原行きのバスに乗りましたがほぼ満員でした。 
9時34分に大原終点で降りました。

 


周辺の山は、雪化粧しておりとても美しい。

 


寂光院の山門や本堂の屋根にも雪が積もっています。

 


境内の西側に安徳天皇の生母の建礼門院が壇ノ浦で助けられ、余生を送った御庵室跡の石碑が建てられています。 

 


冬至には「ん」のつく食べ物を食べると健康で暮らせるとのことで「かぼちゃなんきん」が振舞われますが、甘くて美味しかったです。

 


寂光院の北側に建礼門院(高倉天皇皇后徳子)の大原西陵があります。

 


バス停の近くの来隣(キリン)で野菜中心のランチを頂きました。

 


午後は東の坂を上がって、三千院に行きました。 石垣が立派です。

 


往生極楽院阿弥陀堂には国宝阿弥陀両脇侍坐像が安置されています。 
両脇侍は前屈みになり、すぐに助けに来てくれます。

 


有清園というお庭には彫刻家杉村孝氏のわらべ地蔵が配されています。

 


三千院の北側には、後鳥羽天皇、順徳天皇の大原陵があります。

 


宝泉院は額縁庭園が有名です。 抹茶付きで900円は納得です。

 


廊下の血天井には、足跡やひっかき傷も。

 


水琴窟も綺麗な音を楽しませてくれます。

 


三千院から東に約20分ほど、山道を行くと滝があります。 良仁上人が声明の修練中に声明と滝の音が調和し、「音無しの滝」とと呼ばれました。

 

距離は6.9km、上り、下りの累計は250mで楽しい史跡探訪でした。
帰りは大原から京都駅行きのバスで四条河原町から帰りました。


第8回 柳生街道-2

2024-11-27 | 日記

第8回 柳生街道ー2

 今回は5名で、5月に前半を歩いた続きで、後半の柳生街道ー2に出掛けました。
 前回終点の忍辱山までのバスは少なく、近鉄奈良駅9時19分発の
奈良交通バスで行きましたが満員でした。 IR奈良駅から乗るべきでした。

忍辱山の山門付近の紅葉はとても綺麗で我々を出迎えてくれました。

 

本堂の阿弥陀堂は室町時代に再建されましたが、本尊の阿弥陀如来坐像は平安時代の物です。

 

春日堂、白山堂は1228年春日大社御造営の際に旧社殿が寄進され、今では全国で一番古い春日造社殿で国宝です。

 

柳生街道の坂道を降りて行き、大柳生に入ると夜支布山口神社があります。その摂社立磐神社の本殿の裏手には巨石があります。

 

大柳生の盆地をゆっくりと進みます。快晴でとても気持ち良かったです。

 

街道沿いに水木古墳があります。6世紀後半の15m位の円墳で、この付近の首長の墓と思われます。

 

南明寺の近くにおふじの井戸があります。柳生宗矩の側室になったおふじとのなれそめの逸話が残る井戸です。

 

阪原(かえりばさ)峠(365m)に差し掛かると、石畳の急坂になります。

 

峠道を降り切る辺りに疱瘡地蔵が祀られています。

 

炭焼き釜が復元されて、炭を生産しています。

 

東側の山に登っていくと、柳生石舟斎が天狗と思って切ったと伝わる柳生一刀石があります。
鬼滅の刃以降、若者が多く訪れ、撮影用のスタンドやおもちゃの刀も置かれています。

 

少し北側に柳生城跡の碑があります。

 

旧柳生藩家老屋敷跡です。

 

少し北側の中腹に柳生十兵衛が諸国巡りに旅立つ前に植えた杉と言われます。 落雷が
あり、今は二代目のようです。

距離は 9km、登り累計は350m、下りは450m、程よい汗をかきました。
柳生15時43発のバスで近鉄奈良駅に戻りました。


第7回 竜王山、キリシタン他

2024-10-20 | 日記

第7回 竜王山、キリシタン 他

 やっと秋らしくなってきました。 
今回は辰年ゆかりの茨木市の竜王山に7名で行きました。
直行バスが減ったので、9時15分にJR茨木駅に集合し、9時26分発のバスで行きました。

階段、山道、自動車道を登って行くと岩刀山です。
巨岩の割れ目から薬師如来が出現したと言われています。

 

左手に龍神石塔群があり、上の方には宝池寺の開祖の明学上人の御墓があります。

 

宝池寺の境内に八大龍王社があります。

 

拝殿の奥には、山頂近くなのに池があり湧水で、ほぼ満水になっています。やはり龍がいるのかも。

 

少し登ると山頂なので、三角点を探してもらいました。 
小径から少し入った所に三等三角点509.75mを見つけました。

 

山頂付近は樹木が多く、眺望がありませんが、展望台に登ると、大阪方面がよく見えました。
樹木が伸びて高槻方面は見えません。

 

忍頂寺への下り道に荒滝があり、修験者の滝行が行われています。 
水量が少なくチョロチョロ滝だったのは残念でした。

 

麓には忍頂寺があります。853年に勝尾寺の三世証道上人の弟子三澄が開基した説が有力です。

 

忍頂寺バス停近くから南へ山道を辿り、新名神の近くの寺山に行くと、郷土史家の
藤波大超が見つけた「上野マリア」の墓碑が再現されています。

 

茨木市立キリシタン遺物史料館は無料ですが「聖フランシスコ・ザビエル像(複製)」他、
この地区で見つけられた史料が多く保存されています。

 

近くの家の前には高山右近像やマリア像が祀られています。

 

時間が少しあったので、千提寺から泉原まで歩きました。 
刈取りの終わった棚田が美しいです。


距離は5.6km、登り累計は350m、下りは420m、程よい汗をかきました。
泉原15時11分発のバスは通学時間帯の為かほぼ満席で、茨木駅に15時48分に着き、散会しました。


第6回 石山寺、蘆山寺

2024-09-22 | 日記

第6回 石山寺、蘆山寺

まだまだ残暑が厳しかったですが9月19日(木)に 11名で紫式部ゆかりの二寺に出掛けました。
各自で昼食を済ませて、12時にJR石山駅に集合し、京阪バスで石山寺に移動しました。

 石山寺は747年聖武天皇の勅願で良弁僧正により創建された古刹です。
大河ドラマの影響かバスツアー客で賑わっていました。

お庭には、平安時代の雰囲気を出す為か牛車が置かれています。

 

志納所から長い階段を登ると、観音堂があります。 西国三十三観音像が一堂に並べられ、
一度で行ったことになるかも。

 

寺名の由来になった国の天然記念物の巨大な珪灰石の上には多宝塔が見えます。

 

国宝の本堂には、本尊の如意輪観音が安置されていますが、33年に一度しかご開帳されず、
次回は2047年です。
源氏の間には式部と娘賢子のお人形が。

 

式部の墓所は、京都北区にあり、昨年訪問しましたが、ここには供養塔があります。

 

1194年、源頼朝が寄進した多宝塔です。現存最古であり、国宝に指定されています。

 

すぐ近くの崖の上に月見亭があります。そこからは瀬田川や琵琶湖がよく見えます。

 

前夜、前々夜に月見の宴が開催されていたので、ススキのお飾り他がまだ綺麗でした。

 

バス、JR、バスを乗り継いで京都御苑の東側にある蘆山寺を訪ねました。

 

玄関の紫式部像です。 この辺りは式部の曾祖父の藤原兼輔の屋敷跡で、藤原宣孝と住んで
おり、源氏物語を執筆しました。

 

広いお庭には まだ桔梗の花が咲いていました。

 

市バスで、四条河原町に移動し、有志で暑気払いをしましたが、まだまだ暑いです。

 

 

 

 

 


第5回 静岡 駿府城、 他巡り

2024-08-27 | 日記

第5回 静岡 駿府城、他巡り

 今回は、8月25日(日)に 4名で青春18チケットを利用して家康終焉の地、
静岡に出掛けました。

 7時に大阪駅で集合し、7時15分発の新快速に乗り、米原、大垣、豊橋、浜松で
乗換え、13時21分に静岡駅に着きました。

 

暑いので、駿府城公園までタクシーで移動。家康が好きな鷹狩をしている像があります。
一富士、二鷹、三茄は家康が好きだったからと言われています。

 

家康像の近くに、紀州から献上されたミカンを自ら植えたとされる木が大きく育ち、県の
天然記念物になっています。

 

天守台は今も発掘調査が続けられています。当時の江戸城よりも遥かに広いことが判明し
外様大名他に畏怖の念を与えました。

 

江戸への移封前の天正期の天守台と秀忠に譲った後の慶長期の天守台の
違いがよく分かる説明図です。

 

東御門は立派に復元されています。

 

内堀の近くに弥次喜多の像があります。

 

駿府城近くの旧東海道には、府中宿があり、上伝馬本陣、脇本陣がありました。

 

すぐ近くに幕末、江戸に向かう新政府軍の西郷隆盛と幕府の山岡鉄舟が会見し
後日の江戸無血開城に寄与しました。その会見の碑がありました。

 

宝台院は家康の側室で、秀忠の生母の西郷局の菩提寺です。
1626年に秀忠は大伽藍を建て300石の寺領を与えました。

 

境内には西郷局を祀る五輪塔があります。お墓は市内の宝台院別院にあります。

 

その傍らに、水戸に謹慎していた慶喜が1868年7月に宝台院に移って謹慎したと
いう碑があります。

 

その後、1869年10月に謹慎がとかれ代官屋敷に移りました。
1897年東京の巣鴨に移るまでこの地で趣味に興じました。

 

カフェで「宇宙一濃い」という謳い文句に惹かれて抹茶シェイクを頂きました。

 

静岡駅前の今川義元公の像の手前に家康の幼名竹千代の像が出来ています。

 

 15時33分静岡発の電車で、浜松、米原で乗換て、21時17分大阪に戻りました。
 往復、12時間、現地滞在 2時間でしたが、青春チケットを有効に使いました。