ONCC 史跡探訪クラブ

史跡探訪の活動記録・紹介

第2回 坂本、他 明智光秀ゆかりの地

2020-06-30 | 日記

 6月26日梅雨空が心配でしたが、13名で明智光秀ゆかりの地、坂本、他に出かけました。
 10時10分にJR比叡山坂本駅に集合し、タクシーに分乗して 西教寺に向かいました。


大河ドラマの舞台にもなると思われる西教寺ですが、天気も悪いためか人出は少なく良かったです。総門は坂本城から移築。


本堂の横に、明智家一族のお墓があります。


一番左側に、妻煕子(ひろこ)のお墓がります。 結婚直前に「疱瘡であばたが出来たので、妹と代わりたい」との申出を光秀は断り、生涯連れ添ったと伝わります。


客殿は伏見城から移築されました。襖絵は狩野永徳他が描き、秀吉が使った部屋もあります。


客殿奥の庭は小堀遠州作です。 紅葉や雪景色も綺麗ですが、この時期も、美しい。


室町時代の徳政一揆の時に、誤解した叡山の僧兵が西京寺に攻めこんだ際に、一匹の手白の猿が真盛上人の身代わりに鉦をたたいていた。上人の「不断念仏」に感じいり、引き上げた。


手白猿の屋根飾りが各所にあります。


西教寺の見学を終えて、バスで出発点に戻りました。 駅のすぐ、北側に石積の郷公園があり、穴太衆の説明板もあります。


東南に15分ほどで明智塚があります。


国道を渡り、琵琶湖に出た所辺りが坂本城の本丸があったと推定されています。石垣の遺構が波間に見られます。


坂本城址公園には 光秀像が。 東屋で昼食をしていると雨が降り出して、しばし雨宿りしました。


京阪坂本線で松ノ馬場駅から三井寺駅に移動。琵琶湖疎水の閘門です。


琵琶湖疎水のトンネルです。


長い階段を登ると、三井寺の観音堂がありす。33年ぶりの本尊如意輪観音像が見られました。


再び、京阪坂本線、京津線で東山駅まで移動。 駅のすぐ東南の白川沿いに光秀饅頭で有名な餅寅があります。


路地の奥に、光秀の首塚があり、餅寅の方々が供養されています。この頃には天気も回復していました。

大河ドラマ「麒麟がくる」はコロナの影響で、時期がずれるようですが、今後も光秀ゆかりの地にも行きたいと思っています。


第1回 西九条七地蔵と野田藤(2020.6.10)

2020-06-14 | 日記

 4月、5月は新型コロナで 外出自粛が続いていましたが、6月には大阪もやっとで解除になり、6月10日足慣らしに、4月に行く予定だった西九条→野田の七地蔵巡り、他に出かけました。  13時に西九条駅に16名が集合しました。

5名づつのチームに編成して、まずAチームから西九条駅の南側にある一願地蔵まで案内しました。

近くの西九条神社です。 そのすぐ東側の道路は、野田と西九条の間に川の跡です。

環状線に沿って、東に向かい、交差点から細い路地の先に、兼平地蔵があります。口紅をした可愛いお地蔵様です。

東西の大通り沿いに少し東に行くと源吉大明神があります。 狸地蔵と言われています。

微妙に左に曲がって行く道ですが、元の野田駅から中央卸売市場へのJR鉄道跡で今は野田緑道として整備されています。

野田緑道を進んで行くと、子安地蔵尊があります。 しかし、緑道とは反対向きなので見落としそうになりました。

野田緑道の終点近くに、大阪歯科大学の発祥地の碑があります。

住宅が建て直された壁の間に、柳原地蔵があります。

細い路地を進んで行くと、宝稲荷大明神があります。

その路地の北側の路地に同慶地蔵尊があります。

北向火除地蔵尊で七地蔵巡りは完了。その後、公園で一休みしました。

中央卸売市場の近くの10円自動販売機に。何が出て来るかは分かりませんが、今回はどれを押しても、PETジュースでした。安い!

野田恵美寿神社です。 この辺りは昔は漁師が多かったので信仰が厚いです。昭和17年、神域拡張の際の記念碑には氏子総代の松下幸之助氏も協力。

野田藤の春日神社です。 4月には満開だったでしょうが残念です。 この頃、雨脚が強まり、一時、屋根の下で。

極楽寺の門の所に、摂津野田城趾の碑があります。 玉川駅の近くにもあるので、この辺りにあったことが分かります。

地下鉄玉川駅の近くのエコイーツ店です。賞味期限の短くなった物を、捨てるのは勿体無いので、安く売っています。

この周辺には、まだまだ長屋も残っており、地蔵尊も大切に祀られています。ぜひ、興味のある方は、訪問して下さい。 但し、路地、路地にあるので見つけるのは大変かも。