ONCC 史跡探訪クラブ

史跡探訪の活動記録・紹介

第8回 明智鉄道 明智町

2021-03-22 | 日記

  3月19日、青春18キップを利用して、岐阜県の明智鉄道、明智町に行きました。
 コロナ対策で授業日が変更になったりで、参加者は6名でした。
 7時35分にJR大阪駅に集合し、7時45分発の新快速で米原、大垣、名古屋で乗り継ぎ、
 11時55分に恵那駅に到着。


恵那駅からは、残雪の恵那山がまじかに見えます。


北西には 遠くに御岳山が綺麗に見えました。


明知鉄道では年間を通じて色々な企画列車を運行していますが、今回はじねんじょ列車でした。


明智光秀をイメージした列車が入線しました。3両編成の内、食堂車が2両と一般車が1両です。
12時25分に出発。


鮎の甘露煮やイナゴの佃煮、名物の寒天を使った色々のお料理に、じねんじょを乗せる
麦飯の入ったご飯と盛り沢山でした。


途中の飯沼駅は日本一勾配の急な駅です。33パーミルの傾斜が分かるように待合室の
基礎が黄色に塗られています。


途中の極楽駅には 金色の紫雲の椅子があり、座りたかったですが、停車時間短く断念しました。


食べ終わった頃、13時19分に終点の明智駅に到着。 明智光秀公ゆかりの赤色コースを参考に出発。


旧遠山邸の彼岸桜は残念ながらつぼみが膨らむ程度でした。


町の南の高台に落合砦(土岐明智城、多羅砦とも呼ばれる)があり、三の曲輪に光秀公産湯
の井戸があります。 結構、深く底は見えません。


二の曲輪には出丸があり、見晴らし台からは眼下に町の主要部がよく見えます。


一旦、下まで降りて、東の沢を進むと光秀の母の於牧の方のお墓があります。 
1741年に建立されましたが、世評をはばかって、名前は書かれていません。 
非業の最後を迎えた丹波の八上城は今秋のお楽しみに。


貯水池は二つに分かれていて、奥の池に入れた水は、小石や活性炭の層で濾過し
底から手前の池に流せるようにしています。現在の上水道と同じです。


池の土手には ショウジョウバカマ?も咲き始めていました。


明智城(白鷹城)の本丸跡は結構、広く大きなお城だったことが分かります。
武田勢と織田、徳川勢の攻防戦もありました。


城攻めの際、横移動を妨害するための大竪堀も残っています。


本丸、出城の南西中腹に、天神社があります。


天神社のすぐ隣に光秀公学問所があり、ここで勉強していたようです。


お城の北西中腹の龍護寺の境内に、光秀公の御霊廟(供養塔)と生誕の地の石碑があります。


龍護寺の西側の八王子神社の境内には光秀公お手植えの楓と柿本人麻呂社があります。


乗換駅の金山駅で途中下車して大急ぎで南広場に移動して見上げると、丁度、お月様(左)の
近くを宇宙ステーションきぼうが通過しているのが、見えました。 通行中の人達にも教えて
あげると喜んでもらえました。

ここまでは、順調に来たのですが、JRに戻ると、米原~彦根近辺で電気関係のトラブルで
大幅に遅れるとのこと。 直前のダイヤ改正で終電車の繰り上げが心配でしたが約1時間
遅れで、23時20分に大阪駅に着き、全員無事に家路に付けました。
皆さん、御苦労様でした。