第3回 富雄丸山古墳、霊山寺 他
今回の史跡探訪は、6月21日(水)に 9名で富雄丸山古墳や霊山寺、他に行きました。
近鉄奈良線の学園前駅南口に12時15分に集合して、25分発のバスで若草台中央に行きました。
1月に富雄丸山古墳の造出し部から鼉龍文盾形銅鏡と蛇行剣が出土したと発表されて
1月29日の現地説明会に参加しました。
バス停の向かいの丘が古墳ですが、史跡に指定されているので、柵があります。
案内文は古いままなので、更新して欲しいです。
古墳の北東部に扉がありますが、中は立入禁止です。
それでも造出し部は埋め戻した所なので、土が残されているので分かります。
現地説明会の時の写真で説明しました。沢山の人が数珠つなぎ状態で見学しました。
鼉龍文画像鏡の実物は保存処理中なので見せてもらえませんが、厚紙で作った模型で
長さ64cm、幅31cmもある大きな鏡です。
長さ267cmもある蛇行剣で日本最大の鉄剣で最古の物の模型が出土した所に
展示されていました。
北東部の2号墳、3号墳はレーザー測量で円墳ではなく、前方後円墳の可能性が高い
ことが分かりました。こちらも柵の内側にあります。
古墳から北西に1.5kmに大本山霊山寺があります。
本堂は鎌倉時代の建物で国宝です。春日厨子内の本尊薬師如来は残念ながら普段は
見られません。
すぐ隣に行基像があります。 734年に大地震があり、孝謙皇女が病に伏した時に
聖武天皇が行基に代参祈願してもらうと快癒したことで、勅命されたとのことです。
古くは開山行基菩薩を祀っていましたが、江戸時代に弘法大師を本尊とし、歴代の
徳川将軍の位牌を祀っています。
昭和32年にピースというバラを中心に200種2000株のバラ園が作られました。
見頃は5月中旬から6月中旬で少し枯れていました。
霊山寺のすぐ北側にある葛上神社です。
ご祭神は建速須佐命、大山昨命、天照大神三筒男神です。
本殿は神様毎に社があり、立派です。
富雄川のほとりを歩いているとネムノキの花が咲いていました。
添御県坐(そうのみあがたにいます)神社です。 なかなか読めません。
本殿は五間社流造で、檜皮葺きの屋根、千鳥破風付きの立派な物です。
約1kmで近鉄富雄駅に到着しました。
今回は 6km弱で短めでしたが、楽しい史跡探訪でした。