グリフィスの傷 / 千早 茜

2024年09月01日 | た行の作家



「竜舌蘭」
クラス全員からの無視されていた時に道路わきの竜舌蘭の棘で太ももを切った女性の物語

「結露」
浴室の蛇口で腰に縫うほどの傷を負った女性と彼との物語

「この世のすべての」
男性から受けた暴力によって男性恐怖症になった女性と近隣に住む男性との物語

「林檎のしるし」
湯たんぽによる低温熱傷の既婚男性とその男性をちょっと好きな女性の物語

「指の記憶」
大学生の時バイト先の工場で指を切断してしまった男性とその指を拾い集めてくれた男性の物語

「グリフィスの傷」
自ら自分の腕を傷つける女性とSNSのコメントで彼女を傷つけてしまった女性の物語

「からたちの」
夫の不倫相手から殺されそうになった女性と傷跡を描く画家の戦争をはさんだ物語

「慈雨の」
子ども、兄妹、姉妹、不本意にも傷を負わせてしまった家族の後悔の物語

「あおたん」
美しい顔を持ちながらそれが不幸の原因と思う女性と入れ墨をした男性の物語

「まぶたの光」
先天性眼瞼下垂の手術をした女子中学生と女医の物語


傷をテーマにした短編集。

「グリフィスの傷」とは、ガラスについている目に見えない傷のこと。
ガラスはその目には見えない無数の傷でなにかの衝撃を受けると割れてしまうのだとか。ガラスの宿命みたいなもの?

この本に描かれた無数の傷がとても痛々しいのに、愛しいとも思えて、
傷なのに?と思ってみたり。
私の身体にも転んだりしたときの傷があちこちにあって、それもかわいくさえ思えて。

じゃあ、心の傷は?
と考えてみたら、かわいいとか愛しいとかは全然思えなくて、
心の傷は重いなあ・・・としか言えなくなりました。

昔、手首、というより肘から手首まで無数の傷のある十代の女子の壮絶な腕を思い出しました。

私の目が見たあの腕より心はもっともっと深い傷が覆っていたはず。

今は大人になった彼女の腕も心も少しでも癒えていてくれたなら。
そう祈りたい。




<本文より>

*人は驚くほど、人の痛みに無自覚なのだ。(竜舌蘭)

*傷の記憶は体の奥深くで疼き続けて消えることがない。(この世のすべての)

*その見えない傷が、いつの日かよみがえってあなたを壊してしまわないよう、わたしはずっと祈り続けます。(グリフィスの傷)

*人の悪意はこんな風に肌に遺るのだと伝えたかった。(からたちの)

*自分が忘れてしまった傷を覚えている人がいる。そんな安心感がこの世にはあるのだと、目をとじて雨音に身をゆだねた。(慈雨)

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オーラの発表会 / 綿矢りさ

2024年06月25日 | わ行の作家

大学一年生の片井海松子さんの成長物語。
ちなみに海松子は「みるこ」と読みます。かわいい名前だけど、読みづらいですよね…私は最後まで読みにくさを引きずってしまいました。
なので、失礼ながらここではひらがなで「みるこ」と呼んでいこうと思います。


みるこちゃんは真面目で裏がない素直な美人(?)でいい子なんですが、真面目過ぎて裏がなさ過ぎて素直過ぎて美人過ぎ(かどうかは不明)で、思ったことを思ったままに言っちゃう所謂「困ったちゃん」なのです。
嫌味や悪気は全くないんですが。それは自覚がないからなので、言ってみれば「根っからの困ったちゃん」です。

物語は、そんなみるこちゃんの大学に入学してからひと夏の経験を経て真冬までのほぼ一年間を描いていきます。入学したての春は出会う(登場する)人々の紹介から始まり、読者はみるこちゃんとともにその人がどんな人なのか知っていきます。あわせてみるこちゃんの家族構成や性格や見た目も否応なく知っていきます。
離島への旅行や恋バナの夏、バイト先の塾での悩み、みるこちゃんは少しずつ自分の、加えて他の人の思いに気づいていきます。

そして、文化祭の秋。みるこちゃんの良さがみんなに周知されてくるなか、みるこちゃんに訪れる異変。その異変こそみるこちゃんのオーラ。(と、みるこちゃんは信じて…)

離島は「与野島」として描かれていて、本当にある島なのかと思いグーグルマップで見たらありませんでした。たぶん、「与論島」ですね。
偶然にもインスタに与論島の海で亀が泳いでいる映像が流れてきて、あまりの美しさに目を奪われました。美しいものには本能的に惹きつけられます。

私がこの本を手に取ったのも、このピンクのきらきらした美しい見た目。
それが戦略なのかどうかわかりませんが、私も素直なのかまんまと嵌りました。
戦略、大事ですね。
戦略の部分を担うのは萌音ちゃんなのですが、彼女はとっても優秀な戦略家です。
みるこちゃんをオーラから救うのも、みるこちゃんの恋の成就も萌音ちゃんのおかげ。でも、萌音ちゃんを救うのもみるこちゃんだったりして、それはお互い様というか持ちつ持たれつというか、みんな性格的にはいろいろありますが、そのあたりを物語はさら~~っとさわやかに描いています。
さわやかも、大事ですね。


この物語、どう人を惹きつけるか?もテーマなような気がします。

大学生のみるこちゃんは全然魅力的ではなくて、高校生までの魅力的なみるこちゃんを知る人には「何があった?」と言われちゃうくらい。
みるこちゃんが魅力的なみるこちゃんでいるにはプロジュース力が必要だったのです。
みるこちゃんだけではなく、友達のまね師の萌音ちゃんも。誰でも。

プロデュース、大事ですね。
プロデュースするためにも自分をよく知ること、みること。それが魅せるための第一段階。
自分をよく観察してよく知らねばです。
魅せるためじゃなく、自分が楽になるためにもね。

というのも、私はどうしたら私は私に楽させてやれるか?をついつい考えているように思うからなのです。

魅力的になれて楽ならこんな良いことはないので、もっと自分を知らなければ!!!です。

オーラの件は、間違ったプロデュースはどうなってしまうのか?を作者は描きたかったのでしょうか?

オーラって目に見えないから難しいですよね…。
自分では絶対に見えないだろうし。
ここはまね師の萌音ちゃんの言葉
「自分が神がかってるなんて信じる人間は、思い上がりも甚だしいし、めちゃくちゃ感じ悪いからさ」が良きです。

でも、神がかっている自分も面白かったりしますよね?
だから、嵌っちゃうんですよね…。特別な自分。捨てがたい…。

<本文より>
  
※この人は自分のしたいことしかしていない。私もそのスタイルでいこう。

※「それも困るんだよなぁ。私は一方で、流行も好きだから。みんなが似たような恰好をしてないとダサいって馬鹿にされる、そういう窮屈な縛りも好きなの。どれだけ個性を消して流行りに全身浸ろうとしてもうっかりちょろっと出てしまったその人の個性を摑んで真似するのが私は好きなんだ」


☆追記

「海松子(かいしょうし)」は松の実のことだそうです。漢方薬なのだとか。

それから、「海松子(みるこ)」は清少納言の名前かも、だそうです。


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追憶の烏 /  阿部智里

2024年06月18日 | あ行の作家
八咫烏シリーズ第2部第2巻

本来ならば「烏の緑羽」を読む前にこの「追憶の烏」を読みたかったのですが、残念ながら図書館になくて、図書館で出会った順に読みました。
が、やはり正順に読むべきですね。

どういうことが起こって金烏が亡くなってしまったのか…
誰によって命が奪われたのか?黒幕は誰なのか?
皇后浜木綿と娘紫苑の宮はどうなるのか?
雪哉をはじめ山内衆は、四家は?

すべてがこの「追憶の烏」で解き明かされます。

それは、素晴らしいどんでん返しの物語。
そして、ラストに向けてまたもや素晴らしいどんでん返し。
最後まで、息をつく暇もないくらい。

いままでの物語で登場人物のキャラ設定が明確なので、ご都合主義じゃなく「そういうことしそうだよね」と納得してしまいます。

それから、留まらない素晴らしさ。いつだって時間は過ぎていくので、このスピード感はどんどん物語を面白くしていきます。
のちの章でその過ぎた時間のことは知ることもあるかもしれないので、何より時が進むこと、物語が進むことがうれしい。
新しい登場人物も魅力的です。

思うに物語は見えないものを見る難しさ、気持ちを推し量る難しさを描いているのでしょう。
トップに立つものが仕えるものを見る思う、仕えるものが仕える相手を見る思う、それをどれだけ深く見極められるか…。
見極められないと、思いが及ばないと、勝ち目がない、負ける。
例え金烏であっても。
なかなか厳しい、山内の八咫烏の世界。

今現在、第4巻「望月の烏」が発売されています。
新しく登場した「凪彦」のお妃選びのようで、「烏に単衣は似合わない」のような物語になるのでしょうか。それとも?

たぶん、私が思いつかないような展開になって、また「そう来たか!!!」ってワクワク読み終わりそうな予感。
めちゃくくちゃ楽しみです。

早く読みたいな。


<本文>より

※「お前はただの一度だって、奈月彦を選ばなかった」

※真の金烏という『力』に頭を垂れたのであって、仲間になって欲しいと請うてくれた男そのひとを、真摯に見ようとしたことは、ただの一度もなかったのだ。



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烏の緑羽 / 阿部智里

2024年06月17日 | あ行の作家

八咫烏シリーズ第2部第3巻

今回は長束の路近に対する違和感から始まって、長束の物語かと思いきや、雪哉のライバルであり師でもある翠覚や清賢の生い立ちの物語です。

登場人物それぞれに生い立ち、過去があり、今があり、やがてがある、それがとてもよくわかります。

その意味でこの巻は、やがてへ向かう一時の静寂。
プロローグ。

いよいよ成長した紫苑の物語が始まりそうな。
かっこいい登場曲が聞こえてきそうでわくわくしてきます。

もしかしたら、金烏は自分にもしものことがあれば、娘を育てるのは翠覚だと見越していたのかもしれません。見越すというより願ったと言った方が良いかも。

長束、皇后、雪哉…気になる人物が多いのもこのシリーズの魅力。
次作はみんなどうなっているのでしょう?

危うい山内のこと、戦いになるのは目に見えていますが、私の希望としては雅な世界も描いてほしいな。


<本文より>

「馬鹿を言え、地味な道こそ、一番苦しくて、一番まっとうで、だからこそ一番楽しいではないか。それが理解できぬとは、お主まだまだ子どもだったのだな」




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昏色の都 / 諏訪哲史

2024年06月05日 | さ行の作家
※昏色の都
※極光
※貸本屋うずら堂

三編の物語が収められていますが「昏色の都」しか読んでいないので、他の物語はもし読み終えられたら追加して書こうと思います。


主人公の「わたし」は、生まれながらに目に障碍をかかえ、6歳の時医療によって見えるようになり、大学卒業のころまた徐々に見えなくなっていきます。
その間に起こったこと感じたこと思ったことを「わたし」は書いていきます。
そして、書いたものを閉じ込める
見えていた時間をその記憶を永遠に閉じ込める
自分を綴じる儀式のように自分を閉じ込める。

なぜか、閉じ込めていながら開けていく、、、そんな感じもしています。

窓だからでしょうか?


Window、Wind、窓は風なのですね。


物語の舞台となるブリュージュには行ったことがありません。
ブリュージュの街並みやブリュージュの風を知っていたら、物語をもっと深く理解できるのかも…「わたし」をもっとよく知ることができるのかも…と悔しい気持ちもあるのですが、本の最初に地図がありますし、youtubeで見ることもできます。なので、空想を膨らましてブリュージュを頭の中に描きこの物語を楽しみます。

何故、「わたし」が母の国である日本からブリュージュへ戻ったのか?
それは、待っている人がいるから。
なんて思って、ますますこの物語が好きになりました。

叔母は叔母としか語られていませんが、この物語全部が叔母への愛であふれています。叔母は常に「わたし」に寄り添い、これから目の症状が進んでいけばもっともっと寄り添うようになっていくでしょう。

ともに暮らす家族としての愛情なのかもしれないけれど、恋愛としての愛があるかもしれない。でも、それはどっちでもいい。
「わたし」とイレーネ叔母の間に確かにあるものでいい。

青からやがて限りなく黒に近くなっていく昏色に陽の色の残照が燃えている夕。
ふたりの影が次第に重なっていくような。
妄想は膨らみます。

言葉では言い表せないくらい静かに風が心地よく響く読書の時間でした。
  

<本文より>

※あかいゆめ、しろいゆめを見ているのかもしれない。

※日暮れるたびに、人はみな黙り込まされる。



☆追記

Windowの語源を調べてみました。

Windowは古代北欧語「vindauga」に由来し、「風の目」を意味する、そうです。

Windの語源は「曲がる」の意味を持つ印欧語根の「wendh」が「巻く」の意味を持つゲルマン祖語の「windana」になり古期英語「windan」になり中期英語の「winden」になったそうです。




「巻く」、、、「膜」でしょうか?




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