世之主の墓(ウファ)の南側にあるチュラドゥールと呼ばれる美しいお墓。伝承によれば、建築は世之主の墓と同時期で、沖縄から石工を呼びよせて作ったそうです。
この石工のお世話をしていたのが、宗家と豊山家。
先に世之主の墓が出来るのを見て、自分たちの墓も欲しくなり建築してもらった。
出来上がった墓は、世之主の墓よりチュラドゥールの方が美しかったので、石工は処刑されたというような伝承があります。
お墓の調査によれば、作られた年代は少し違うようです。そこがこの伝承の謎ではあります。
このチュラドゥールを建築した石工の名前が、ある本に記載されていました。その名は「ニシトウ」というのだそうです。
ニシトウ、調べてみたら琉球時代に生きた人がいました。
1500年、王府軍の八重山侵略(オヤケアカハチの乱)に直面した西塘(にしとう)は、王府軍の総大将・大里親方に聡明さを見出され、王都の首里に上がったといいます。
西塘は首里の地で三司官の家に仕え、言葉や文学のほか様々な学問を修め、中でも石工技術に長け、1519年に首里城の園比屋武御嶽(ソノヒャンウタキ)の石門を建造したのだそうです。
西塘は首里の地で三司官の家に仕え、言葉や文学のほか様々な学問を修め、中でも石工技術に長け、1519年に首里城の園比屋武御嶽(ソノヒャンウタキ)の石門を建造したのだそうです。
琉球の石工の西塘、チュラドゥールを作った琉球の石工のニシトウ。どちらも石工ですが、チュラドゥールは建築が18世紀頃だといわれていますので、ちょっと年代が合いませんね。
そして、もう一人ニシトウがいました。
何とチュラドゥールに関係する家のご先祖様にもニシトウがいたのです。この方は石工だったのかは分かりません。こちらのニシトウさんも年代的には少しあわないようですが、チュラドゥールをめぐって3名のニシトウという名の人が出てきました。
これは何かの偶然か?
何か繋がりがないものかと興味津々です。