当家の記録上のご先祖様で3代目にあたる「平安統惟次」という方がいます。
1692年生まれで1744年9月8日に52歳で他界。42歳であった1734年に与人に就任。
実はこの方は5男ですが、家を継いでいます。上の4人は分家をしたり養子に行ったりと何とも不思議なのですが、長男とは17歳の年の差。親子ほどの年の差がありました。そして、惟次が3歳の時に父親が他界しています。
そんな境遇の方なのですが、戒名に「格外玄機 居士」と書かれています。
何となく気になる戒名なのですよね。
記録上の1代目、2代目、3代目(本人)までは、戒名が居士になっているので仏教であったことは間違いありません。(4代目以降は当主は数代は神主となっており、このあたりのことはVol.68、142参照)
その「格外玄機」について調べてみました。
「格外玄機」とは
とりあえず辞書で意味を調べてみました。
格外・・・普通のものからはずれていること。並はずれ。
玄機・・・奥深い道理 中国語では秘密といった意味もあるようです。
「並外れた奥深い道理や秘密」これが、戒名の意味なのでしょうか?とってもとっても意味深なんですが、、、何だか大きな秘密があったんだろうか?って想像が膨らみますよね。
いやいや、きっとそういう事ではなくて、きっととても真面目な方で、人として間違いのない判断や行動をするりっぱな方だったのではと思います。
こんな人がいました
しかし、それでも何か妙に気になる「格外玄機」。
何か他にも意味するところはないものかと探しておりましたら、一人の僧侶に出会いました。
その名が「格外玄機」。
中世の武士として名高い武田信玄と交流があった快川和尚という方がいましたが、この和尚の法を嗣いだ一人に「格外玄機」という人がいたのです。
法を嗣ぐ人を「法嗣:ほうし/はっす」というそうで、師から仏の法と印可をもらって、その教えを後の弟子たちに伝えていくことです。
1579年に格外玄機の願いで快川和尚によって書かれた法嗣の書が妙心寺隣華院に現蔵されているそうです。彼が快川和尚の一番最後の法嗣だったそうで、これによって、格外玄機は独立したそうですが、格外の法嗣は無く一世で終わったようです。
まとめ
快川和尚や格外玄機が教えを伝えていったのは臨済宗です。臨済宗は琉球王家の三大菩提寺であった寺の宗派です。その菩提寺の1つであった天王寺から仏像と僧侶を招致して、沖永良部島には禅王寺が建立されました。(Vol.142参照)
格外玄機という僧侶が生きた時代から100年以上が経って、彼の教えが沖永良部島に届いていたのかは分かりませんが、この臨済宗の僧侶の名前を戒名としてもらった可能性もありますね。
少なくとも臨済宗の教えが沖永良部島に当時はあったことが分かりました。
気になること、疑問に思ったことを1つ1つ考察しながらの先祖調査です。当たってる場合もあれば、外れもあるでしょう。この考察の課程で、沢山の学びがありますことを大切に感じております。