「沖縄の文化」より
琉球と明国との冊封制度について昨日(2021年6月30日:硫黄鳥島)記事を書きましたが、琉球本土にはその冊封や交易で諸外国から手に入れた交易品を保管する巨大な倉庫として築かれた城があったそうです。
その城は御物城(おものぐすく)といって、首里王府の倉庫として築かれたグスクで、昔は海中の小島でした。国場川の中洲に築造された巨大な城壁のグスクで、那覇港に入港した海外からの船に対して琉球王国の威厳を見せつける効果も狙っていたと考えられています。
1459年に国王の尚泰久が、金丸に御物城緒鎖側職(おものぐすくおさすのそばしょく)を命じています。
創建は14世紀ころと推定されているようですが、その創建と廃絶の詳細は明らかではないようです。
『李朝実録』1462年の条、朝鮮漂流民肖得成による見聞記に以下の記録があるようです。
「江辺に城を築き、中には酒庫を置き、房内には大きな瓮(もたい)の酒醪(さけもろみ)を排列して盈溢(えいいつ)す。一・二・三年の酒庫は分ちて其の額を書す」
この酒は大部分南蛮酒であろうと推定されているが、泡盛であるとの説もあり、はっきりはしていないようですが、この城でお酒まで醸造して保管していたのでしょうね。
その後は近代になって1884年に物産展示場になり、明治から大正、昭和にかけては高級料亭「風月楼」がありましたが、戦後は米軍によって埋め立てられ、那覇軍港の通信所がグスク内に設置されています。現在城址は立入禁止となっていますが、石積みやアーチ門などの遺構が残っています。
また、周辺から多量の青磁や白磁などが出土しており、かつて海外と盛んに交易していたことを知る上で、とても貴重な遺跡なのだそうです。
現在は周りの風景が近代化しており、城の建物も無くなっているので面影がありませんね。
石積やアーチ門が残っています。
この御物城ですが、金丸以外にもう一人記録に残る人を発見しました。
1543年 毛 盛寛(護佐丸 の子孫)
国頭・与論・永良部の御物城(おものぐすく)職に任ず
国頭・与論・永良部の御物城(おものぐすく)職に任ず
国頭地方、与論島、沖永良部島の御物城職とはどういう意味なんでしょうね。
各地の年貢を納めていたわけですから、貿易の交易品だけでなく年貢なども一緒に収納されていたのでしょうかね。そして、その地方の年貢を管理する職なのか?
この城は商品が何でも保管してある現代版の「Amazon 物流倉庫」みたいだったのかもしれませんね。
知らない歴史がまだまだ沢山あります。