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先祖を探して

Vol.345 先祖調査旅行記7日目=その2

2023年3月26日~4月1日までの先祖調査の旅を記録していきます。


人との出会い
お墓から次の場所に移動しようと準備をしていたら、叔父が見当たりません。
娘ちゃんが、叔父さんは誰かと一緒にチュラドゥールの方に行ったというので向かってみると、男性3名と一緒にこちらに戻ってくる叔父を発見。
このグループの2人は奄美大島からやってきたのだそうです。
定年退職をして、島の歴史などを子供たちに伝えていきたいと思い、最近活動を始めたそうで、歴史の勉強のためにここを訪れたのだそです。もう一人の方は案内役として付き添われていたようで、島の学校の先生だとか。
少しお話をして別れたのですが、こうして偶然にも歴史を探求する奄美の方々に最終日に出会えたことは、嬉しく感じました。


与和の浜
お墓参り&お墓調査が終わったので、ランチの前に向かったのは与和の浜。
この浜は14-15世紀に琉球や他の島々の交易した港があった場所といわれています。沖縄の歌「おもろさうし」にも謡われ、ここが交易の地として栄えていたことを伺わせます。

世之主はこの浜でよく釣りをしたといいます。後蘭孫八に命じて内城に築城することを決めたのも、この浜の沖で釣りをしていた時でした。
今は静かな浜ですが、歴史の舞台に登場し交易もしていた場所ですので、昔は賑わっていたのでしょう。
今日は少し雲の多い暗めの空。美しさを100%は満喫できず残念。



ランチタイム
お昼は島で一番大きいフローラルホテルのレストランでランチでした。
島の野菜を使った天ぷら定食。ゴーヤも入ってて、美味しかったです♬



ある方に会いに
実は今朝、ふと思い出したことがあったのです。
2日目に散策したヘンダマチガマの火神を祀っていた小屋を、昭和の始め頃まで花を生けたり掃除をしたりしていた男性がいたという話。この男性の詳細は分からないのですが、古老の話では根折というところのYさんではないのかと。
このYさんの苗字が頭の中にずっと残っていて、朝から沖縄の今帰仁にお住いのTさんを思い出したのです。
Tさんはご先祖様が沖永良部のご出身で、北山系の王族との繋がりが強いお宅に嫁がれていて、当家のご先祖探しの活動の中で沖縄の伊敷先生が紹介して下さった方なのです。このTさんと以前にお話をしている中で、ご実家の苗字がYさんであったことを思い出しました。
狭い島なので、同じ苗字であれば親戚なのでは?と思い、朝っぱらから電話して確認をしたのです。
Tさん自身は詳しく分からないので、実家のYさんを訪ねるようにいわれ、そちらに足を運ぶこととなったのです。

Yさん宅を訪ねると、奥様が対応してくださいました。色々とお話を伺ったのですが、結論からいうと根折の方とは親戚ではないようで、そちらの方のことは詳しくは分からないとのことでした。残念。

しかし、しかしです。ここで思いもしない情報が。実はこの奥様、当家の親戚筋になる家のご出身だったのです。そして更に驚きが!
お爺さまが残していた親族会の記録の中にあった、ある家の家系図をお持ちだったのです。
このある家というのは、薩摩時代には有名な家系で優秀な方を輩出した名門のお家だということは知っておりましたが、当家とどう繋がっているのかがずっと気になっておりました。
今回家系図を見せてもらったことで、ざっくりと繋がりが判明!
更には、当家は8代目の当主の時に一代士族になっていたことは知っておりましたが、なんとこちらのお宅の記録から、永代士族に昇格していたこが分かりました。
これもまたご先祖様のお導きでしょうかね。更には本土にいらっしゃる家系図を作成された親族の方を紹介してもらいました。
この方とは現在コンタクトがとれて、情報交換などをしております。
もともと確認したかったことへは辿りつけませんでしたが、最後の最後に新たな出会いがあり有意義な時間でした。

続きは次回に。






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