島を出ようとした理由は
義母や叔父、叔母たちによると、一家で島を出た詳しい理由は聞いていないのだそうです。
おおかたの理由として皆さんが語るのは、戦後で島はアメリカ領となってしまい、生活の不自由さや家族の将来が見えないことを案じ、思い切って島を出たのでは?という認識でした。島では実際にそのようなご家庭も多かったそうです。
島を出ることを誘導した長男であった叔父も、高齢のせいもあってかそのあたりの詳しいことは覚えていないようです。
しかし、この叔父は家族が島を出るにあたっての重要任務があったのです。
先に島を出て、北九州で生活の基盤を作ってから家族を呼び寄せるという大変重要な役割を担っていたのでした。
先祖調査が一段落か
昭和26年から先祖調査で沖縄へ出向いていたお爺様が島に戻って早々にやったことがあります。
それは、本家に保管されていた1850年に平安統惟雄という人が当家のご先祖様について書いた「世之主がなし由緒書」の解読と複写の作業でした。
その複写の前書きとして以下の文面が記されています。
これは先田光演先生著書の「世之主伝説」に書かれている箇所を抜粋しております。現物は義経爺の手書き文字です。
お爺様は親族会で、この由緒書の解読と複写を依頼されていたようです。
実物の由緒書は草書体の古文体で書かれており、現代人には判別不能。昭和の初期であっても、既に読める・書ける人も一般人ではそういなかったはずです。
先祖のことを書いた大切な書が磨滅に近い状態になっており、これから未来に読める人もいなくなることを危惧して、解読と複写を希望したのでしょう。しかしお爺様も正式に学んだわけもなく、独学で取り組んでいます。そのために沖縄にも勉強に渡ったのでしょう。
その作業が終わったところで、自分の任務はいったん終了とけじめをつけて、いよいよ島を離れることとなったようです。
次回まだ続きます。