見出し画像

先祖を探して

Vol.280 直城 (3) ヘンダマチガマの伝承② かまど石

伝承の中で世之主の妾であったという真千鎌ですが、内城の世之主城の北側にあった直城の丘に住んでいたといいます。その場所は昔は付近の人たちはヘンダと呼んでいたそうです。このヘンダのことを、付近のことに詳しい古老お二人にお話を伺うことができました。

その場所には茅葺の小さな小屋が丘を取り崩す前の昭和の時代までは残っており、男子禁制の場所といわれていたのだそうです。
この小屋の中には黒い石が3つ置いてあり、根折というところに住んでいた人が花を添えて祀っていたそうです。
直城には他にもこのような場所がいくつかあったそうですが、丘を崩して畑に整備し道ができたりして様子が変わっているので、それがもうどこだったかは覚えていないとのこと。

この黒い3つの石ですが、その土地に今でも残されているということでしたので、探してみました。
その土地は畑の中にありますが、なぜかそこだけが木々が生い茂っていて、昔のままなのではないかと思わせるような場所です。もちろん茅葺の小屋はもう存在しませんが、薮の中にしっかりと黒い石が3つ存在していました。


中央の大きめの石は黒ではないので、手前の左右の二つと、左の黒石の奥に土に埋まっている石がそうではないかと思います。
そして右側手間には瓶が埋まっているので、これを花瓶として根折の方がお花を活けていたのではないでしょうか。

さて、この3つの黒石ですが何を祀っていたのでしょうか。それは以前に当家が祀っていたという火神殿内のことを書いた時に紹介しましたが、火の神様を祀っていたのです。
元来、火神(ヒヌカン)の信仰はかまどそのものを拝んだそうですが、やがてかまどをかたどった3個の石をご神体として拝むようになったと言われています。火神は家を守る神様です。琉球時代には各家庭で祀っており、さらにはその集落を取り仕切るノロによって祀られていた火神殿内があったそうですが、この場所がどのような意味合いで火神を祀っていたのかは分かりません。

しかし普通の家庭の中の火神であったのなら、人が住んでいない小屋の中で長い間ずっと祀り続けるようなことはないと思います。いつの時代から祀られているのかは正確には分かりませんが、伝承の真千鎌が生きた時代からだとすれば1400年頃からで600年ほど祀っていたことになります。この真千鎌はノロであったのか?
ここが当家が祀っていたという火神殿内であったのか?
謎ですね。

このヘンダにお花を添えて祀っていたという方、もし何か詳しいことがわかれば続きを書きたいと思います。


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「直城」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事