ご先祖様が眠る島のお墓の風習についてVol.377、378、379で書きましたが、1400年初頭に自害したと伝わる世之主の最初のお墓について、この風習を当てはめて考えてみました。
まず、現在の世之主のお墓はウファと呼ばれる琉球式のお墓で、遺骨は納骨堂の厨子甕の中にあります。遺骨は洗骨を経て厨子甕に収められていると思われますので、世之主が亡くなった1400年代当時には洗骨の風習があった可能性があります。
この世之主のお墓ですが、現在のウファに移る前は世之主神社(城跡)のすぐ東側にある小高い丘、ウファチジと呼ばれる場所が最初のお墓であったといいます。
この丘は、頂上に登るにはかなり傾斜のきついところを歩いていかなければなりません。
こんなところに亡くなった方のご遺体を下から運んだのか?と思えるような場所です。
さらに、この頂上には風葬ができるような洞窟は存在していませんでした。
もしかしたら戦時中は日本兵が陣地として使っていたそうなので、手を入れられて少し地形が変わっているのかもしれませんが、現在ではそのような場所は見られませんでした。
洗骨を行っていたのなら、洞窟ではなくモーヤ(喪屋)を建てて風葬だったのかもしれません。
更に、洗骨となると水が必要です。頂上には水はありませんが、丘の下の方の付近に湧水があったのでそれを運び込んで使ったのかもしれません。
そして洗骨が終わった遺骨をどのような方法で安置していたのか?
これは謎です。
戦前には、この場所に石を積んだような場所があったそうで、現在は地面に石がまばらにあり、そこがお墓だったのではないかということです。
しかし、今ではそこがお墓であったかもしれないと確認できるような状況ではありません。
石がまばらにありますが、人の手で置かれた物なのか?自然の物なのか?
仮にここがお墓であったとするならば、遺骨はどのようにして納められていたのだろうかと不思議に思います。
実は昔は小さな洞窟があったのか?
それか石を積んで納骨堂を作っていたのか?
この場所で太鼓をたたき踊って供養したという話もありますし、この場所自体がウファ(お墓)チジ(丘)と呼んでいるのですから、お墓があったのは間違いないでしょう。
ここから現在のウファに遺骨を移動したことになります。ウファには一緒に自害したといわれる奥方と長男の遺骨もありますので、3人の遺骨がここに収められていたことになります。
一説にはVol.376で書いた、ウファの3つの厨子甕は3代の世之主のものであるということですが、仮にそうだとしたら3人の世之主が始めはこの場所に眠っていたのかもしれません。
この場所からウファにお墓が移った話を、次回は考えてみたいと思います。