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先祖を探して

Vol.126 世之主に関する2つの古文書が書かれた謎(2)


世之主に関する記録の2つ目は、「世之主由来与人西平調書」と呼ばれる古文書です。
以下がその文書になりますが、この文書が書かれた年代は不明とされています。

*「世之主伝説」先田光演著より


この記録には、琉球に渡ったのろは、「上城村の沖ぬる」となっています。1つめの文書もこちらの文書も共に「ノロ」が琉球に渡って、琉球王にみそめられて子供を産み、その子供が成長し島を世之主として治めるようになったという話は共通しています。
こちらの文書には、世之主が沖永良部島の他に、徳之島・大島・喜界島まで治めたと書かれています。
世之主自害の時には、5・6歳と7・8歳の子供が2人いたとのことですが、年齢以外の詳細な記録はありません。
そして、こちらの記録にも「琉球御支配」とは書かれていますが、北山との関わりについては記述がありません。

この記録を書いたのは西平ですが、与人西平に関しては1744年に与人に命じられた仁志平という人がいますので、この仁志平と西平は同一人物ではないかと言われています。恐らく間違いないと思われます。そうだとしたら、この文書は1744年以降に仁志平が与人時代に書かれたことになりますので、1つめの文書以降に作成されたことになります。
ここでまた1つ疑問が生まれます。

疑問点1
仁志平が与人になった1744年、実は当家の先祖である池悦という人が同じ時に与人になっています。1つ目の文書が書かれた頃に与人格横目だった佐久田の息子です。
1つめの文書が書かれた背景の1つとして、佐久田を推薦するための調書も兼ねた文書だった可能性も考察しましたが、今回は同時期に与人になっており、西平が書いたこの文書が意図するところは違っていたと思います。

疑問点2
この文書の後半に、「この話を聞いたので書き留めておく」という記述になっており、では誰にこの話を聞いたのか?そしてなぜ書き留めておくことが必要だったの?という疑問があります。与人として同僚であった池悦にでも話を聞いたのか?

疑問点3
この文書の核心に迫る疑問点です。
世之主が統治した島々に喜界島が入っていることです。琉球が喜界島を征服して統治が始まったのは、第一尚氏時代の最後の王であった尚徳王の時からです。時は1477年。この時代はもう琉球の三山時代ではありませんし、北山王の次男であった世之主が生きた時代ではないのです。

疑問点4
更にもう1つ、核心に迫る疑問点です。これは1つめの文書とも共通するところなのですが、北山時代の世之主の出自を語る要素の1つとして、ノロの登場がある点です。
ノロ制度というのは、第二尚氏時代の尚真王の時に沖永良部にも導入されたはずであり、三山時代にノロ制度があったのか?という点です。これは沖縄側の資料にも見当たらないようで、世之主の母親がノロであったうんぬんというのは、非常に可能性が低いというわけです。

これらの疑問がわく中で、ふと思い出したことがあります。
琉球時代には、ノロ(神の意を伺う:役人)やユタ(先祖の言葉を聞き伝える霊媒師:民間人)と呼ばれる女性たちがいました。「ノロとユタについてはVol.15 要家とのつながりを参照」
そのユタについては、現代までその存在がありますし、ユタが代々語ってきた話や、他にも民間伝承として語られてきた世之主の話の中には、世之主の母親であるヌルは中山王の、、、というくだりがあるものもあります。
私は初めはこれは勘違いや誤記なのかな?と思っておりましたが、もしかしたらそれは事実なのかもしれないと思うようになりました。

というのは、先日ある関連の方から、「世之主って何人いたの?」と聞かれたので、私は「世之主」というのは当家のご先祖様1人のことしか頭になかったので、その時は「1人ですよ」と答えたのです。しかしよく考えると、琉球時代には領地の主人を「世之主」と呼んでおり、それは北山王の次男といわれた当家のご先祖様だけを指した呼び方では無いってことです。
自害した世之主以降、沖永良部島や近隣の島々を統括した人も、ずっと島では世之主と呼ばれていた可能性があります。たとえ琉球側から「首里の主」や「大屋子」などと正式な役職名があったとしても、島ではその人たちを「世之主」と呼んでいた可能性があります。

そう考えると、今回の2つの文書は、いづれも北山時代の世之主のことをいっているわけではなく、別の時代の世之主のことを語っていた可能性があるということです。その別の時代というのは、第二尚氏時代になるのではと考えます。それぞれの文書が書かれた目的ははっきりはしませんが、ターゲットとなっている世之主が北山王の次男の世之主ではなく、別の人を指している可能性も十分にあるのです。

そう考えると、北山王時代の世之主から300年も経過した時期になぜ世之主のことが???と思った疑念も、少し解消されていくかもしれません。
これから他の記録などと照らし合わせながら、歴史やこれらの文書をもう一度見ていこうと思います。

「世之主は他にもいる」
この2つの文書が新たな気付きを与えてくれました。


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