東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末2
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末1
曾野綾子氏の産経新聞のコラム「イエスマンの国」を読む
東日本大震災 曽野綾子氏の産経新聞「透明な歳月の光」の怪
東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞の「税と安心」
曽野綾子さんのことになると、夫は「ボケ防止にいいね」と笑って
います。四月の曽野綾子さんの識者インタビュー以来、熱心にネットを
調べたりブログの原稿を書いたりして確かにボケ防止になっているの
かしら・・
曽野綾子氏のことをネットで探しているうちに、ご主人の三浦朱門氏
のことを知ることになった。氏は東大出で文壇では「第三の新人」の一
人に挙げられていている作家だが、最近では文化庁長官を経て文化功労
者に叙せられている。また政府の教育課程審議会会長も歴任し現
在は日本芸術院院長の要職にある方のようだ。その他に12程の団体の
理事長、顧問を兼務しているので「エリート中のエリート」?なのかもしれ
ない。その三浦朱門氏が教育課程審議会会長の時に「ゆとり教育」を進
めるにあたっていろいろ発言した記録が残っている。例えば2000年7月、
ジャーナリストの斎藤貴男氏のインタビューに答えた内容だ(斉藤貴男
のブログより引用)
「三浦朱門(教育課程審議会会長)にただでさえ学力低下と懸念されて
いるに、なぜ『ゆとり教育(授業数3割削減)』をするのかと質問した
ところ、『平均学力なんて低い方がいい。日本が平均学力を高水準に
保ったのはできもしない落ちこぼれの尻を叩いた結果だ。その結果全体
の底上げは出来たが、落ちこぼれの手間ひまをかけたせいでエリートが
育たなかった。だから日本はこんな体たらくなんだ。したがってこれか
らは、限りなく出来ない非才無才は勉強などできんままで結構。勉強な
どせず実直な精神だけ養ってもらいたい。落ちこぼれに金と労働力をつ
ぎ込まず、効率よくエリートさえ育てばいい』と答えた。ことの善悪以前
に『ゆとり教育』というのはエリートを作り出すための『手段』であり、
『目的』をネーミングするなら『エリート教育』ではないか?という質
問に三浦は『だってそんなことを言ったら国民は怒るだろ?だから回
りくどく言い換えただけなんだよ』と答えたのだ。」
「新自由主義的な発想から「ゆとり教育」の本旨は“100人に2~
3人でもいい、必ずいる筈”のエリートを見つけ伸ばすための「選民教
育」である」ことを明言。
案の定というか、先のブログ「許せない、曽野綾子氏の傲慢。その8」
で指摘したように教育国民会議の17の提案いわいる「ゆとり教育」に
貧困問題を取り上げなかったのは意図的なもので、残念ながら貧乏人切
捨ての教育政策だったということだ。教育の機会均等という教育基本法
の理念は、これらのエリート意識過剰の者達によって空文化されようと
している。戦後教育の危機が叫ばれて久しいがエリート意識過剰のこの
エリートは「落ちこぼれの手間ひまをかけたせいでエリートが
育たなかった。だから日本はこんな体たらくなんだ」とうそぶく。
この程度の安直な考えで教育政策に関わっていたのかと思うと愕然とす
ると同時に憤りを禁じえない。統計学的資料のどこを見て「エリートが
育たなかった」と判断したのか?文学界では氏よりも8歳も若い大江健
三郎氏が59歳の時、ノーベル文学賞を受賞し田中耕一氏は43歳の若
さでノーベル化学賞を受賞している。どこを見て「エリートが育たなか
った」と言っているのか?まさか理科離れや海外特にアメリカ留学者が
激減したことを指しているのではあるまい?そしてどこを見て国民が堕
落したと言っているのか?それらの原因が「落ちこぼれ」に手間ひまか
けすぎた結果などと不届き極まりない。この御仁は小説家なのに世相が
全く頭に入ってないようだ。かつてテレビのバラエティ番組の氾濫を揶
揄して「1億総白痴」などと騒がれたことがあった。これなどはマスメ
ディアがスポンサー収入の獲得のために視聴率アップに血道を上げてバ
カ番組を垂れ流し続けた結果ではないか。そもそも国に100年の計や
長期的な戦略がないから、企業活動がこのように野放図になってしまう
のに、そういうところは問題にせず「落ちこぼれ」や貧乏人には「甘え
るな」などと言いながら切り捨てると言うのがエリート意識過剰のエリ
ート達の考えなのだ。この程度しか考えられない日本のエリートたちこ
そレベルが低下した、国を背負うほどのレベルではなくなった、つまり
堕落したということだ。明治の気概はどこへ行った。
そもそも日本の教育とはなんだったのか。明治に年号を変えたばかり
の日本に来た外国人が街角で日本の庶民の子供たちが本を読んでいる
のに驚いたというエピソードがあるくらい、当時日本は世界一の識字率
を誇っていた。江戸時代に普及した寺子屋は多いときには1万5千箇所
を超え幕末には就学率70%~86%で、村民の就学率は91%にものぼっ
たという記録があるらしい。町民から農民に至るまで「読書き算盤」を
学び、武士に至っては藩校での学習を義務付けられていた。特にエリ
ート教育がなされていたという記録はない。このような風土の中から
明治維新を成し遂げる者達が生まれ日本の近代を築き上げてきた。
「落ちこぼれに手間ひまかけすぎた」などとそんな狭い了見で国が背
負えると思うのか?こういう文学者が文化庁長官や教育課程審議会会
長になったことがすべての間違いの元だと一言、いやくどくどと申
し上げたい。まず三浦朱門氏は「第三の新人」の仲間、遠藤周作から
「文化庁長官になって俺らに何のメリットがあるんだ」と諌め
られた経験を持っている。それでも文化庁長官の椅子が欲しかった。才
能に限界を感じていた氏にとっては渡りに船だったのだろう。おかげで
その後いろいろ役職が舞い込んできて生活が安定したということではな
いのか?
ところが氏が主張した「ゆとり教育」の方は結局10年もしないうちに
軌道修正を余儀なくされて失敗した。なぜ失敗したのか?
まず氏が文士だからだ。小説家と言うのは自己の感性を中心に物語を
たくみに表現していくのが仕事のはず。しかし教育は感性だけでは仕事
ができない。教育的世界観に基づく人間像をしっかり持って洞察力と包
容力に裏打ちされた忍耐強い指導力が要求される。これらを理解したう
えで教育政策をたて教育システムを造り上げる。それなのに教育に携わ
ったこともない人間がしたり顔で教育政策に関わる仕事をするなんて言
語道断だ。文学者の視点で教育の世界を見るから「エリート」不足だと
思ってしまい、また妙に「エリート」に拘るから「ゆとり教育」で子供
たちの学力を低下させ貧乏人を切り捨てる。
三浦氏が「エリート」に拘る理由をコンプレックスが原因ではないか
と指摘する向きもある。つまり「保守」にも保守本流があるように「エ
リート」にもエリート本流があるらしい。三浦氏は高知高校から東大に
入ったという「エリート傍流」意識が「エリート本流」に対するコンプ
レックスとなり「エリート」にこだわる原因になっているのではないか
というのだが。さらに氏は「第三の新人」の中で芥川賞をとっていない
者の数少ない一人だ。「限りなくできない非才、無才」の代表格の当
方でさえ遠藤周作の「沈黙」や吉行淳之介「驟雨」、庄野潤三、島尾敏
雄、近藤啓太郎、安岡章太郎、小島信夫くらいは一般教養として読んだ
記憶はあるが、なぜか三浦朱門氏の書物は読んだことはないし仲間内で
話題になったこともないのではないか、記憶が全くない。その位の存在
感しかなかったのでご本人の「エリート」に対する思い入れが激しいの
ではないかと思われる。だから一ぱし教育者然として
「ゆとり教育」の本旨は“100人に2~
3人でもいい、必ずいる筈”のエリートを見つけ伸ばすための「選民教育」
などとのたまう。
また奥様の曽野綾子氏に至っては「自分が社会に出てこれまでに二次
方程式を使ったことはない。使わない二次方程式はいらない」などと教
育国民会議で主張して学校教育から二次方程式の解の公式をなくさせて
しまったと言われている。一介の文士の発言に左右されるなんて文科省
も馬鹿だ。この程度の文士を文化庁長官や教育関係の委員にした文科省
のレベルも随分と下がってしまったということだろう。
最後に三浦朱門氏に次の言葉を進呈する。良く肝に銘ずるがよい。そ
れは世界の教育界に影響を与えたスイスの教育思想家で教育実践家の
ペスタロッチの墓碑銘の一部だ。
「人間、キリスト者、市民。
おのれを捨ててすべてを他の人のために為す!
彼の名に祝福あれ!」
・・・と言うことです。
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東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末1
曾野綾子氏の産経新聞のコラム「イエスマンの国」を読む
東日本大震災 曽野綾子氏の産経新聞「透明な歳月の光」の怪
東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞の「税と安心」
曽野綾子さんのことになると、夫は「ボケ防止にいいね」と笑って
います。四月の曽野綾子さんの識者インタビュー以来、熱心にネットを
調べたりブログの原稿を書いたりして確かにボケ防止になっているの
かしら・・
曽野綾子氏のことをネットで探しているうちに、ご主人の三浦朱門氏
のことを知ることになった。氏は東大出で文壇では「第三の新人」の一
人に挙げられていている作家だが、最近では文化庁長官を経て文化功労
者に叙せられている。また政府の教育課程審議会会長も歴任し現
在は日本芸術院院長の要職にある方のようだ。その他に12程の団体の
理事長、顧問を兼務しているので「エリート中のエリート」?なのかもしれ
ない。その三浦朱門氏が教育課程審議会会長の時に「ゆとり教育」を進
めるにあたっていろいろ発言した記録が残っている。例えば2000年7月、
ジャーナリストの斎藤貴男氏のインタビューに答えた内容だ(斉藤貴男
のブログより引用)
「三浦朱門(教育課程審議会会長)にただでさえ学力低下と懸念されて
いるに、なぜ『ゆとり教育(授業数3割削減)』をするのかと質問した
ところ、『平均学力なんて低い方がいい。日本が平均学力を高水準に
保ったのはできもしない落ちこぼれの尻を叩いた結果だ。その結果全体
の底上げは出来たが、落ちこぼれの手間ひまをかけたせいでエリートが
育たなかった。だから日本はこんな体たらくなんだ。したがってこれか
らは、限りなく出来ない非才無才は勉強などできんままで結構。勉強な
どせず実直な精神だけ養ってもらいたい。落ちこぼれに金と労働力をつ
ぎ込まず、効率よくエリートさえ育てばいい』と答えた。ことの善悪以前
に『ゆとり教育』というのはエリートを作り出すための『手段』であり、
『目的』をネーミングするなら『エリート教育』ではないか?という質
問に三浦は『だってそんなことを言ったら国民は怒るだろ?だから回
りくどく言い換えただけなんだよ』と答えたのだ。」
「新自由主義的な発想から「ゆとり教育」の本旨は“100人に2~
3人でもいい、必ずいる筈”のエリートを見つけ伸ばすための「選民教
育」である」ことを明言。
案の定というか、先のブログ「許せない、曽野綾子氏の傲慢。その8」
で指摘したように教育国民会議の17の提案いわいる「ゆとり教育」に
貧困問題を取り上げなかったのは意図的なもので、残念ながら貧乏人切
捨ての教育政策だったということだ。教育の機会均等という教育基本法
の理念は、これらのエリート意識過剰の者達によって空文化されようと
している。戦後教育の危機が叫ばれて久しいがエリート意識過剰のこの
エリートは「落ちこぼれの手間ひまをかけたせいでエリートが
育たなかった。だから日本はこんな体たらくなんだ」とうそぶく。
この程度の安直な考えで教育政策に関わっていたのかと思うと愕然とす
ると同時に憤りを禁じえない。統計学的資料のどこを見て「エリートが
育たなかった」と判断したのか?文学界では氏よりも8歳も若い大江健
三郎氏が59歳の時、ノーベル文学賞を受賞し田中耕一氏は43歳の若
さでノーベル化学賞を受賞している。どこを見て「エリートが育たなか
った」と言っているのか?まさか理科離れや海外特にアメリカ留学者が
激減したことを指しているのではあるまい?そしてどこを見て国民が堕
落したと言っているのか?それらの原因が「落ちこぼれ」に手間ひまか
けすぎた結果などと不届き極まりない。この御仁は小説家なのに世相が
全く頭に入ってないようだ。かつてテレビのバラエティ番組の氾濫を揶
揄して「1億総白痴」などと騒がれたことがあった。これなどはマスメ
ディアがスポンサー収入の獲得のために視聴率アップに血道を上げてバ
カ番組を垂れ流し続けた結果ではないか。そもそも国に100年の計や
長期的な戦略がないから、企業活動がこのように野放図になってしまう
のに、そういうところは問題にせず「落ちこぼれ」や貧乏人には「甘え
るな」などと言いながら切り捨てると言うのがエリート意識過剰のエリ
ート達の考えなのだ。この程度しか考えられない日本のエリートたちこ
そレベルが低下した、国を背負うほどのレベルではなくなった、つまり
堕落したということだ。明治の気概はどこへ行った。
そもそも日本の教育とはなんだったのか。明治に年号を変えたばかり
の日本に来た外国人が街角で日本の庶民の子供たちが本を読んでいる
のに驚いたというエピソードがあるくらい、当時日本は世界一の識字率
を誇っていた。江戸時代に普及した寺子屋は多いときには1万5千箇所
を超え幕末には就学率70%~86%で、村民の就学率は91%にものぼっ
たという記録があるらしい。町民から農民に至るまで「読書き算盤」を
学び、武士に至っては藩校での学習を義務付けられていた。特にエリ
ート教育がなされていたという記録はない。このような風土の中から
明治維新を成し遂げる者達が生まれ日本の近代を築き上げてきた。
「落ちこぼれに手間ひまかけすぎた」などとそんな狭い了見で国が背
負えると思うのか?こういう文学者が文化庁長官や教育課程審議会会
長になったことがすべての間違いの元だと一言、いやくどくどと申
し上げたい。まず三浦朱門氏は「第三の新人」の仲間、遠藤周作から
「文化庁長官になって俺らに何のメリットがあるんだ」と諌め
られた経験を持っている。それでも文化庁長官の椅子が欲しかった。才
能に限界を感じていた氏にとっては渡りに船だったのだろう。おかげで
その後いろいろ役職が舞い込んできて生活が安定したということではな
いのか?
ところが氏が主張した「ゆとり教育」の方は結局10年もしないうちに
軌道修正を余儀なくされて失敗した。なぜ失敗したのか?
まず氏が文士だからだ。小説家と言うのは自己の感性を中心に物語を
たくみに表現していくのが仕事のはず。しかし教育は感性だけでは仕事
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容力に裏打ちされた忍耐強い指導力が要求される。これらを理解したう
えで教育政策をたて教育システムを造り上げる。それなのに教育に携わ
ったこともない人間がしたり顔で教育政策に関わる仕事をするなんて言
語道断だ。文学者の視点で教育の世界を見るから「エリート」不足だと
思ってしまい、また妙に「エリート」に拘るから「ゆとり教育」で子供
たちの学力を低下させ貧乏人を切り捨てる。
三浦氏が「エリート」に拘る理由をコンプレックスが原因ではないか
と指摘する向きもある。つまり「保守」にも保守本流があるように「エ
リート」にもエリート本流があるらしい。三浦氏は高知高校から東大に
入ったという「エリート傍流」意識が「エリート本流」に対するコンプ
レックスとなり「エリート」にこだわる原因になっているのではないか
というのだが。さらに氏は「第三の新人」の中で芥川賞をとっていない
者の数少ない一人だ。「限りなくできない非才、無才」の代表格の当
方でさえ遠藤周作の「沈黙」や吉行淳之介「驟雨」、庄野潤三、島尾敏
雄、近藤啓太郎、安岡章太郎、小島信夫くらいは一般教養として読んだ
記憶はあるが、なぜか三浦朱門氏の書物は読んだことはないし仲間内で
話題になったこともないのではないか、記憶が全くない。その位の存在
感しかなかったのでご本人の「エリート」に対する思い入れが激しいの
ではないかと思われる。だから一ぱし教育者然として
「ゆとり教育」の本旨は“100人に2~
3人でもいい、必ずいる筈”のエリートを見つけ伸ばすための「選民教育」
などとのたまう。
また奥様の曽野綾子氏に至っては「自分が社会に出てこれまでに二次
方程式を使ったことはない。使わない二次方程式はいらない」などと教
育国民会議で主張して学校教育から二次方程式の解の公式をなくさせて
しまったと言われている。一介の文士の発言に左右されるなんて文科省
も馬鹿だ。この程度の文士を文化庁長官や教育関係の委員にした文科省
のレベルも随分と下がってしまったということだろう。
最後に三浦朱門氏に次の言葉を進呈する。良く肝に銘ずるがよい。そ
れは世界の教育界に影響を与えたスイスの教育思想家で教育実践家の
ペスタロッチの墓碑銘の一部だ。
「人間、キリスト者、市民。
おのれを捨ててすべてを他の人のために為す!
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