東日本大震災 曾野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末1
曾野綾子氏の産経新聞のコラム「イエスマンの国」を読む
東日本大震災 曾野綾子氏の産経新聞「透明な歳月の光」の怪
東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞の「税と安心」
曽野綾子の「生活保護受給者」攻撃と「自殺のすすめ」
東日本大震災に被災された皆様に心より
お見舞い申し上げます。
亡くなられた方のご冥福をお祈りし、
ご遺族に心からお悔やみ申し上げます。
そして、一刻も早く行方の分からない方々が発見されることを
お祈りします。
今日もよろしく・・・・
曽野綾子氏の読売新聞の「識者」インタビュー「国家に頼らず自ら行動を」
の後段部分「今の子供たちは欲しいと思うものを何でも与えられて育った。
子供にも耐える体験をさせることが大切だ」から始まる「教育論」
これは曽野氏が平成12年3月に「教育改革国民会議」の委員として政
府から招聘され論議に参画してのものであろう。同会議の委員26名は曽
野綾子氏の他にノーベル賞受賞者で芝工大学長の江崎玲於奈氏、劇団
四季の浅利慶太氏、ウシオ電機の会長、ジャーナリストの大矢映子氏、
柔道家の山下さんらが名を連ねている。この会議がまとめた「教育を変
える17の提案」は発表されて今年で11年目を迎えるので、それなりの成
果は挙がっているはずだし、そう信じたい。
まず「17の提案」は今日の教育の荒廃の原因についてこう述べている。
「子どもはひ弱で欲望を抑えられず、子どもを育てるべき大人
自身が、しっかりと地に足をつけて人生を見ることなく、利己的な価値
観や単純な正義感に陥り、時には虚構と現実を区別できなくなっている。
また、自分自身で考え創造する力、自分から率先する自発性と勇気、苦
しみに耐える力他人への思いやり、必要に応じて自制心を発揮する意思
を失っている。また、人間社会に希望を持ちつつ、社会や人間には良い
面と悪い面が同居するという事実を踏まえて、それぞれが状況を判断し
適切に行動するというバランス感覚を失っている」
と教育の荒廃の一因を個人に求め、もう一方で教育システムに求
めている。
「世界規模で社会の構成と様相が大きく変化し、既存の組織や秩序体制
では対応できない複雑さが出現している。個々の人間の持つ可能性が増
大するとともに、人の弱さや利己心が増大され、人間社会の脆弱性もま
た増幅されようとしている。従来の教育システムは、このような時代の
流れに取り残されつつある。
校長や教職員、教育行政機関の職員など関係者の意識の中で、戦前の
中央集権的な教育行政の伝統が払拭されていない面がある。関係者間
のもたれ合いと責任逃れの体質が残存する。また、これまで、教育の世
界にイデオロギーの対立が持ち込まれ、教育者としての誇りを自らおと
しめる言動がみられた。力を合わせて教育に取り組むべき教育行政機関
と教員との間の不幸な対立が長らく続き、そのことで教育に対する国民
の信頼を大きく損なってきた」
不思議に思うのは、これだけの錚々たるメンバーが揃っていながら「教
育の荒廃」の原因についてこの程度の言及しかなされていないことだ。
昭和40年代の中頃だったか「カギッ子」ということが社会問題になって
騒がれたことがあった。政府も取り上げて対策を講じたはずなので「国
民会議」のメンバーが知らぬはずはない。議論の過程が詳らかになって
いないため、その話が出たのかどうか知る由もないが、この「カギッ子」
という社会問題の原因を究明せずに「教育の荒廃」を語ることは余りに
も片手落ちだ。「カギッ子」のそもそもの原因は「高度成長政策」に
よって生み出された「新たな貧困」池田内閣が「所得倍増計画」を掲げ
たものの、そのことによって起こりうるひずみには考えが及ばなかった
ということだ。国民に対するセーフティネットを構築することなく高度
成長政策を進め、企業や海外投融資には湯水のごとく財政出動して国民
の生活を省みなかったため生じたのが「カギッ子」。国民は「所得倍増
計画」の掛け声のもと豊かさを求めてカラーテレビ、クーラー、自動車
の「三種の神器」を買いあさるあまり共働きなどで家を留守にして「カ
ギッ子」を作り出した。「カギッ子」の実態調査で「○生活に困らない
が、さらに収入がほしい・・49.2%、○生活に困っている・・28.4%」
という「カギッ子」の家庭の事情が明らかになった。貧困は教育格差
と直結しているのにわが国の子供に対する公財政支出はOECD加盟30
ヵ国で下から数えたほうが早く、お隣の韓国よりずっと下というお粗末
さだ。政府は子供たちへの支出を惜しんできたと言っても過言では
ない。また貧困率(相対的貧困率)では日本はOECD加盟国で上から4
番目か5番目に位置しており経済格差はますます広がっている。昨年4
月米国ニューヨークタイムズ紙が「貧困層が拡大する日本、発展した社
会の裏側」と題して報じたとされる記事は衝撃的だ。
「長年にわたって経済が低迷している日本はすでに平等に裕福な国
ではなくなり、貧困層が拡大している。・・・日本政府は1998年以来、
貧困層に関する統計データを隠ぺいし、貧困問題の存在を否定していた
・・・政権を獲得した民主党が貧困問題に関するデータを開示するよう
強制した。・・・多くの日本人はかつて、日本人はみなが中産階級に属
すると信じていた・・・1990年代にバブルが崩壊して以来、日本人の収
入は増加するどころか減少している・・・日本は子どもの7分の1が貧困
の中で生活しており、子ども手当や高校無償化はこれが原因であると指
摘したほか、学習や進学には高額な費用が必要であり、貧困層に属する
子どもたちは競争力を獲得する機会を失い、親の世代と同じ生活を繰り
返す悪循環に陥っている」とした。
このような貧困問題を真正面から取り組まないこの教育改革は中産階級
以上の階層にしか恩恵を与えないのではないのだろうか。真の改革がで
きるか疑わしい。それなのに「国民会議」はなぜこのことに言及さえし
ないのだろう?
それはおそらく各委員の出自によることが大きいと思われる。
例えば曽野綾子氏は75年前に幼稚園に通っている。相当裕福な家
庭でなければ当時幼稚園などへは通えなかったはずだ。裕福な家庭環境
の中で教育を受け勉学に励み大学に進学しては小説を読みふけって小説
を書き芥川賞の候補になって才能を開花させた。もし家庭が貧乏だった
らどうなったであろう。中学を出、あるいは高校を卒業したら就職して
夜間の大学へ行きながら小説を書き続けて、果して大学を卒業してすぐ
に芥川賞の候補になれたであろうか?もちろん苦学の末に作家になった人
たちがいることは知っているが、曽野綾子氏の場合それが出来たとは思
えない。他の委員も東大、京大、早稲田、慶応とすばらしい大学や大
学院を出た優れた人たちばかりだ。
その人たちが「貧困」を問題にしなかったところをみると皆、裕福な
家庭で育ったものと思われる。
従って、折角の英知を集めたこの「17の提案」は教育改革論をとおり
一遍のものにしてしまったように思われてならない。
例えば「2.人間性豊かな日本人を育成する
◎教育の原点は家庭であることを自覚する
教育という川の流れの、最初の水源の清冽な一滴となり得るのは、家庭
教育である。子どものしつけは親の責任と楽しみであり、小学校入学ま
での幼児期に必要な生活の基礎訓練を終えて社会に出すのが家庭の任
務である。家庭は厳しいしつけの場であり、同時に、会話と笑いのある
「心の庭」である。あらゆる教育は「模倣」から始まる。親の言動を子
どもは善悪の区別なく無意識的に模倣することを忘れてはならない。親
が人生最初の教師であることを自覚すべきである」
このように詩的に表現されたこの部分の理念はごもっともと言う他ない
が、しかし、提言となると少し疑問符がつく。
「提言 (1)親が信念を持って家庭ごとに、例えば「しつけ
3原則」と呼べるものをつくる。親は、できるだけ子どもと一緒に過ご
す時間を増やす(2)親は、PTAや学校、地域の教育活動に積極的に
参加する。企業も年次有給休暇とは別に、教育休暇制度を導入する。
(3)国及び地方公共団体は・・・親に対する子育ての講座やカウンセリ
ングの機会を積極的に設けるなど家庭教育支援のための機能を充実する」
まず現在、子育て中の親達の大半は高度経済成長期以後に生まれ育っ
た人達。欲望耐性を持たず自由奔放に育った人達がわが子をどのように
育てることができるのだろうか。近年、幼児の虐待が増え続けているこ
とが、その一端を窺わせている。従って子供たちを教育する前に親の問
題が大きな課題の一つとして横たわっている。欲望耐性のない親達をど
う教育し支援するかという問題は実に悩ましい課題として残る。「親に対
する子育ての講座やカウンセリング」する側がそのことを如何に
認識して臨むかということが問われることになろう。
(2)の「親は、PTAや学校、地域の教育活動に積極的に参加す
る・・・教育休暇制度を導入する」と謳っていても中小零細企
業に勤めている親たちの大半は参加することも簡単ではあるまい。まし
て教育休暇制度などは公共団体や一定程度以上の企業でなけ
れば導入できないのではないか。
◎学校は道徳を教えることをためらわないの提言の(2)・・・「特に幼児期
においては、言葉の教育を重視する」。
これは先の石原都知事の言う「刷り込み教育」と同じと思われるが、そ
れだけでは学級崩壊を防ぐことは困難だ。
これでは学級崩壊のそもそもの原因を把握していないことになる。家庭
において言葉の教育ができていないということだけでは片付けられない。
刷り込み教育とあわせて欲望耐性を育成することが喫緊の課題だ。
欲望耐性は机に向かっての一定時間の忍耐をも可能にし、そこから集中
力も芽生えてくるはず。
◎奉仕活動を全員が行うようにする
提言(3)将来的には、満18歳後の青年が一定期間、環境の保全や農
作業、高齢者介護など様々な分野において奉仕活動を行うことを検討す
る。学校、大学、企業、地域団体などが協力してその実現のために、速
やかに社会的な仕組みをつくる。
この部分は曽野綾子氏のインタビューの「18歳になった若者に1年間、サ
バイバルと奉仕を体験させるべきだと私は主張してきた」と符合するこ
とから氏の主張が採用された部分であろう。しかし、18歳と言う年齢は
大学進学を控えた高校3年生も一部含んだりするので、現実的な提案で
はあるまい。まして18歳というのは参政権引き下げの議論が盛んに行わ
れている最中で世界の162カ国が18歳以上を大人と定めサミット参加国
では20歳以上を大人としているのは日本だけである。もし参政権引き下
げが決定すれば「大人」に1年間のサバイバルと奉仕を義務付けることに
なる。正に荒唐無稽の提案だ。就学前の幼児期に徹底した欲望耐性
の教育と小学生から高校2年生までに授業や課外授業で奉仕活動等を行
なっていれば、ある程度の社会性と忍耐力を身につけることができるは
ずだ。
曽野綾子氏に申し上げたい。国家観がないからこの程度の幼稚な教
育論しか展開できないのに、国民に「甘やかされた生活」などとどう
して言えるのでしょうか? だそうです
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曾野綾子氏の産経新聞のコラム「イエスマンの国」を読む
東日本大震災 曾野綾子氏の産経新聞「透明な歳月の光」の怪
東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞の「税と安心」
曽野綾子の「生活保護受給者」攻撃と「自殺のすすめ」
東日本大震災に被災された皆様に心より
お見舞い申し上げます。
亡くなられた方のご冥福をお祈りし、
ご遺族に心からお悔やみ申し上げます。
そして、一刻も早く行方の分からない方々が発見されることを
お祈りします。
今日もよろしく・・・・
曽野綾子氏の読売新聞の「識者」インタビュー「国家に頼らず自ら行動を」
の後段部分「今の子供たちは欲しいと思うものを何でも与えられて育った。
子供にも耐える体験をさせることが大切だ」から始まる「教育論」
これは曽野氏が平成12年3月に「教育改革国民会議」の委員として政
府から招聘され論議に参画してのものであろう。同会議の委員26名は曽
野綾子氏の他にノーベル賞受賞者で芝工大学長の江崎玲於奈氏、劇団
四季の浅利慶太氏、ウシオ電機の会長、ジャーナリストの大矢映子氏、
柔道家の山下さんらが名を連ねている。この会議がまとめた「教育を変
える17の提案」は発表されて今年で11年目を迎えるので、それなりの成
果は挙がっているはずだし、そう信じたい。
まず「17の提案」は今日の教育の荒廃の原因についてこう述べている。
「子どもはひ弱で欲望を抑えられず、子どもを育てるべき大人
自身が、しっかりと地に足をつけて人生を見ることなく、利己的な価値
観や単純な正義感に陥り、時には虚構と現実を区別できなくなっている。
また、自分自身で考え創造する力、自分から率先する自発性と勇気、苦
しみに耐える力他人への思いやり、必要に応じて自制心を発揮する意思
を失っている。また、人間社会に希望を持ちつつ、社会や人間には良い
面と悪い面が同居するという事実を踏まえて、それぞれが状況を判断し
適切に行動するというバランス感覚を失っている」
と教育の荒廃の一因を個人に求め、もう一方で教育システムに求
めている。
「世界規模で社会の構成と様相が大きく変化し、既存の組織や秩序体制
では対応できない複雑さが出現している。個々の人間の持つ可能性が増
大するとともに、人の弱さや利己心が増大され、人間社会の脆弱性もま
た増幅されようとしている。従来の教育システムは、このような時代の
流れに取り残されつつある。
校長や教職員、教育行政機関の職員など関係者の意識の中で、戦前の
中央集権的な教育行政の伝統が払拭されていない面がある。関係者間
のもたれ合いと責任逃れの体質が残存する。また、これまで、教育の世
界にイデオロギーの対立が持ち込まれ、教育者としての誇りを自らおと
しめる言動がみられた。力を合わせて教育に取り組むべき教育行政機関
と教員との間の不幸な対立が長らく続き、そのことで教育に対する国民
の信頼を大きく損なってきた」
不思議に思うのは、これだけの錚々たるメンバーが揃っていながら「教
育の荒廃」の原因についてこの程度の言及しかなされていないことだ。
昭和40年代の中頃だったか「カギッ子」ということが社会問題になって
騒がれたことがあった。政府も取り上げて対策を講じたはずなので「国
民会議」のメンバーが知らぬはずはない。議論の過程が詳らかになって
いないため、その話が出たのかどうか知る由もないが、この「カギッ子」
という社会問題の原因を究明せずに「教育の荒廃」を語ることは余りに
も片手落ちだ。「カギッ子」のそもそもの原因は「高度成長政策」に
よって生み出された「新たな貧困」池田内閣が「所得倍増計画」を掲げ
たものの、そのことによって起こりうるひずみには考えが及ばなかった
ということだ。国民に対するセーフティネットを構築することなく高度
成長政策を進め、企業や海外投融資には湯水のごとく財政出動して国民
の生活を省みなかったため生じたのが「カギッ子」。国民は「所得倍増
計画」の掛け声のもと豊かさを求めてカラーテレビ、クーラー、自動車
の「三種の神器」を買いあさるあまり共働きなどで家を留守にして「カ
ギッ子」を作り出した。「カギッ子」の実態調査で「○生活に困らない
が、さらに収入がほしい・・49.2%、○生活に困っている・・28.4%」
という「カギッ子」の家庭の事情が明らかになった。貧困は教育格差
と直結しているのにわが国の子供に対する公財政支出はOECD加盟30
ヵ国で下から数えたほうが早く、お隣の韓国よりずっと下というお粗末
さだ。政府は子供たちへの支出を惜しんできたと言っても過言では
ない。また貧困率(相対的貧困率)では日本はOECD加盟国で上から4
番目か5番目に位置しており経済格差はますます広がっている。昨年4
月米国ニューヨークタイムズ紙が「貧困層が拡大する日本、発展した社
会の裏側」と題して報じたとされる記事は衝撃的だ。
「長年にわたって経済が低迷している日本はすでに平等に裕福な国
ではなくなり、貧困層が拡大している。・・・日本政府は1998年以来、
貧困層に関する統計データを隠ぺいし、貧困問題の存在を否定していた
・・・政権を獲得した民主党が貧困問題に関するデータを開示するよう
強制した。・・・多くの日本人はかつて、日本人はみなが中産階級に属
すると信じていた・・・1990年代にバブルが崩壊して以来、日本人の収
入は増加するどころか減少している・・・日本は子どもの7分の1が貧困
の中で生活しており、子ども手当や高校無償化はこれが原因であると指
摘したほか、学習や進学には高額な費用が必要であり、貧困層に属する
子どもたちは競争力を獲得する機会を失い、親の世代と同じ生活を繰り
返す悪循環に陥っている」とした。
このような貧困問題を真正面から取り組まないこの教育改革は中産階級
以上の階層にしか恩恵を与えないのではないのだろうか。真の改革がで
きるか疑わしい。それなのに「国民会議」はなぜこのことに言及さえし
ないのだろう?
それはおそらく各委員の出自によることが大きいと思われる。
例えば曽野綾子氏は75年前に幼稚園に通っている。相当裕福な家
庭でなければ当時幼稚園などへは通えなかったはずだ。裕福な家庭環境
の中で教育を受け勉学に励み大学に進学しては小説を読みふけって小説
を書き芥川賞の候補になって才能を開花させた。もし家庭が貧乏だった
らどうなったであろう。中学を出、あるいは高校を卒業したら就職して
夜間の大学へ行きながら小説を書き続けて、果して大学を卒業してすぐ
に芥川賞の候補になれたであろうか?もちろん苦学の末に作家になった人
たちがいることは知っているが、曽野綾子氏の場合それが出来たとは思
えない。他の委員も東大、京大、早稲田、慶応とすばらしい大学や大
学院を出た優れた人たちばかりだ。
その人たちが「貧困」を問題にしなかったところをみると皆、裕福な
家庭で育ったものと思われる。
従って、折角の英知を集めたこの「17の提案」は教育改革論をとおり
一遍のものにしてしまったように思われてならない。
例えば「2.人間性豊かな日本人を育成する
◎教育の原点は家庭であることを自覚する
教育という川の流れの、最初の水源の清冽な一滴となり得るのは、家庭
教育である。子どものしつけは親の責任と楽しみであり、小学校入学ま
での幼児期に必要な生活の基礎訓練を終えて社会に出すのが家庭の任
務である。家庭は厳しいしつけの場であり、同時に、会話と笑いのある
「心の庭」である。あらゆる教育は「模倣」から始まる。親の言動を子
どもは善悪の区別なく無意識的に模倣することを忘れてはならない。親
が人生最初の教師であることを自覚すべきである」
このように詩的に表現されたこの部分の理念はごもっともと言う他ない
が、しかし、提言となると少し疑問符がつく。
「提言 (1)親が信念を持って家庭ごとに、例えば「しつけ
3原則」と呼べるものをつくる。親は、できるだけ子どもと一緒に過ご
す時間を増やす(2)親は、PTAや学校、地域の教育活動に積極的に
参加する。企業も年次有給休暇とは別に、教育休暇制度を導入する。
(3)国及び地方公共団体は・・・親に対する子育ての講座やカウンセリ
ングの機会を積極的に設けるなど家庭教育支援のための機能を充実する」
まず現在、子育て中の親達の大半は高度経済成長期以後に生まれ育っ
た人達。欲望耐性を持たず自由奔放に育った人達がわが子をどのように
育てることができるのだろうか。近年、幼児の虐待が増え続けているこ
とが、その一端を窺わせている。従って子供たちを教育する前に親の問
題が大きな課題の一つとして横たわっている。欲望耐性のない親達をど
う教育し支援するかという問題は実に悩ましい課題として残る。「親に対
する子育ての講座やカウンセリング」する側がそのことを如何に
認識して臨むかということが問われることになろう。
(2)の「親は、PTAや学校、地域の教育活動に積極的に参加す
る・・・教育休暇制度を導入する」と謳っていても中小零細企
業に勤めている親たちの大半は参加することも簡単ではあるまい。まし
て教育休暇制度などは公共団体や一定程度以上の企業でなけ
れば導入できないのではないか。
◎学校は道徳を教えることをためらわないの提言の(2)・・・「特に幼児期
においては、言葉の教育を重視する」。
これは先の石原都知事の言う「刷り込み教育」と同じと思われるが、そ
れだけでは学級崩壊を防ぐことは困難だ。
これでは学級崩壊のそもそもの原因を把握していないことになる。家庭
において言葉の教育ができていないということだけでは片付けられない。
刷り込み教育とあわせて欲望耐性を育成することが喫緊の課題だ。
欲望耐性は机に向かっての一定時間の忍耐をも可能にし、そこから集中
力も芽生えてくるはず。
◎奉仕活動を全員が行うようにする
提言(3)将来的には、満18歳後の青年が一定期間、環境の保全や農
作業、高齢者介護など様々な分野において奉仕活動を行うことを検討す
る。学校、大学、企業、地域団体などが協力してその実現のために、速
やかに社会的な仕組みをつくる。
この部分は曽野綾子氏のインタビューの「18歳になった若者に1年間、サ
バイバルと奉仕を体験させるべきだと私は主張してきた」と符合するこ
とから氏の主張が採用された部分であろう。しかし、18歳と言う年齢は
大学進学を控えた高校3年生も一部含んだりするので、現実的な提案で
はあるまい。まして18歳というのは参政権引き下げの議論が盛んに行わ
れている最中で世界の162カ国が18歳以上を大人と定めサミット参加国
では20歳以上を大人としているのは日本だけである。もし参政権引き下
げが決定すれば「大人」に1年間のサバイバルと奉仕を義務付けることに
なる。正に荒唐無稽の提案だ。就学前の幼児期に徹底した欲望耐性
の教育と小学生から高校2年生までに授業や課外授業で奉仕活動等を行
なっていれば、ある程度の社会性と忍耐力を身につけることができるは
ずだ。
曽野綾子氏に申し上げたい。国家観がないからこの程度の幼稚な教
育論しか展開できないのに、国民に「甘やかされた生活」などとどう
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