曽野綾子氏の産経新聞のコラム「イエスマンの国」を読む
東日本大震災 曾野綾子の産経新聞「透明な歳月の光」の怪
東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞の「税と安心」
東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞「編集手帳」
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「許せない曽野綾子氏の傲慢」シリーズで行くのかなと思っ
たら、「曽野綾子氏の論理的破綻」にしたいそうで・・・・
ネットを見ていて曽野綾子ファンの、あるブログに5月27日の産経新
聞に掲載されたという氏の「『安心病』の特効薬は」と題したコラムが
紹介してあったので読んでみた。「
ニュースに出てくる・・・人たちが
『安心して仕事を始めたい、安心して子供を遊ばせたい』と言ってい
るのを聞いて、私はおかしな気分にとらえられた」
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・・・相変わらず
の論調だ。「文化功労者」たる者がこんなことにいちいち反応して言
辞を労するなんて情けない。想像力が枯渇して思うように小説が書け
ない為に小言ばかりを言うようになったのではないのですか?
こちらも年寄りの戯言に反応せざるをえないのは、その辺のお年寄り
が縁側で誰かを相手に将棋を指しながら小言を言うのとは訳が違うか
らです。氏は「有識者」で歴とした「文化功労者」。それを十分に意
識して計算した上で発言しているとしか思えないから尚更放ってはお
けないのです。
そもそも「安心」という言葉は「不安」という言葉の裏返しの概念で、
不安がなくなった状態を指すわけだから、「安心」を口にする人はな
んらかの不安を感じているはずです。アナウンサーは、それらの人々
の心情を慮っての発言だ。安心や不安の感じ方はその人の環境や学問
の量によって異なると思う。ましてニュースに出てくる被災地の人た
ちは着の身着のままで避難して来た人が大半で、働く場所もなく生活
資金も底をついて不安な思いから「安心」を口にすることは至極当然
のことだ。
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原発事故で公園の土や幼稚園、小学校の校庭の土の放射
線量を気にして「安心して子供を遊ばせたい」いうのが、どこがおか
しいのだろうか?
氏曰く「
私は私の人生で、かつて一度も、安心して暮らしたことはない。
今一応安全なら、こんな幸運が続いていいのだろうか。電気も水道も止
まらない生活がいつまでできるのだろうか、私の健康はいつまで保つだ
ろうか、と、絶えず現状を信じずに暮らしてきた。何度も書いているの
だが、安心して暮らせる生活などというものを、人生を知っている大の
大人が言うものではない。そんなものは、地震や津波が来なくても、も
ともとどこにもないのである。」
これをよく読むと
氏は大きな過ちを犯していることが解る。
つまり
「不安の概念」という哲学的な命題を追求する視点で実生活で
吐露される一般市民の言葉を直ちに定義している。
「安心」を口にする人たちの現況を分析する視点と哲学的な命題を追求
する視点を分けて考え論ずることが必要だと思いますがいかがですか?
そして次の記述、「
安心して暮らせる生活を、約束する人は嘘つきか詐欺師。求める方は物知らずか幼児性の持ち主である。前者は選挙中の
立候補者にたくさん発生し、後者は女性か老人に多い」
こういう短絡的な断定の仕方自体が幼児性の現れで、ここでも同じ
手法で解析する。「安心して暮らせる生活」を標榜する政治家達に
とっては、それが理念であり目標でもある。
政治目標という日常生活
の観念や哲学的根拠を曽野綾子氏は「不安の概念」という哲学的命
題を追求する視点のみで定義付けるから「嘘つきか詐欺師」呼ばわ
りすることになる。
全く子供じみているというほかない。
自治体の首長になり自治体を立て直す為、懸命に働いている政治家も数
多くいる。最近では大阪の橋本府知事。大阪府下の自治体の首長の前で
涙ながらに訴えていた姿は今も目に浮かぶ。彼は府民に約束したから苦
渋の涙を流し、そして今は府の財政を立て直してきている。また以前に
も述べたが、とっくに故人となった元京都府知事の蜷川虎三は府民の生
活向上のため自らを犠牲にして生涯を借家で過ごした清廉潔白の士もい
る。今回の被災地の首長たちも良く見るがいい。「嘘つきや詐欺師」な
どでは断じてない。また選挙に立候補した人たちの多くは立派な志を持
った人たちばかりと信じたい。たとえ議員になってから変節する人が居
てもだ。とにかく政治家が掲げる理念や目標という日常生活の観念や哲
学的な根拠を哲学的な命題を追求する視点で断定するから、ついには暴
走することにもなる。
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「
しかしこれほど多くの人が『安心して暮らせる生活』なるものが現世
にあるはずだ、と思い始めているとしたら、それは日本人全体の精神の
異常事態だ」などと叫んでしまう。
だから
「
ことに、これだけの天災と事故が起きた後で、まだ『安心して暮らせる
状況』があると思うのは、不幸な事態から何も学ばなかったことになる」
などと一方的に断定してしまうことにもなる。
被災地の人たちができるだけ早い復興を願い、「安心して暮らせる生活
が欲しい」と口にしながらも生活の建て直しに懸命になっている。ただ
瓦礫の処理などは国家の関与なしにはなす術がなく、津波に流された自
宅の跡地に勝手に家を再建することも国や自治体の都市計画が確定する
まではできないので個人の動きには限度がある。それでも仕事のない被
災地の人たちの為に「キャッシュ・フォー・ワーク」という新しい労働形態
をNPOを中心に行ないながら、なお希望を捨てずに一日も早く「安心
して暮らせる状況」を追い求める、その思いが強ければ強いほど復興へ
の活力も、より強くなるというものだ。それを「不幸な事態から何も学
ばなかったことになる」などと見当違いも甚だしい。
それもこれも実生活の庶民の思いを租借することなく表出された言葉だ
けに囚われて、だだ哲学的な命題を追求する視点で決め付けるから珍
妙な結論となってしまう。氏こそ哲学的な考察について学び直す必要が
あろう。
さらに「
国民の方は昔から原発を『絶対に安全なのか』という言い方で
追いつめてきた」なんということを・・・
「文化功労者」が原発推進派の
意見を代弁するなんて、どういう了見なのだろうか
ご自分が言っ
ていることがどういうことか解らずに仰っているのではないのですか?
「
追いつめてきた」とは誰を追い詰めてきたと言いたいのですか?
これは由々しき発言ですぞ。東電を追い詰めてきたと仰りたいのですか?
追い詰めてきたから東電は隠蔽体質を形成したと・・。逆でしょう。
東電の隠蔽体質が国民の不安を駆り立ててきた。
1979年のアメリカのスリーマイル島原発事故、チェルノブイリ原発事故
以来、国民は「原発は絶対安全だ」とは思ってもいないし、原発推進
派と反原発派の論争はそんな低レベルの論争ではない。今回の福島原
発事故を拡大させた一因に政府の中の推進側と規制する側が同居する
馴れ合いの組織「原子力ムラ(村)」があるとされ、その「原子力ムラ」
に守られ胡坐をかいてきたのが東電だ。今回IAEAのアドバイスを受け
て原子力安全・保安院を経済産業省から切り離して総理府直轄とした。
「原子力ムラ」を解体する第一歩だろう。「文化功労者」だから原発
関連の知識も習得した上で発言しておられるのでしょうが、読売新聞
の7回にわたって連載された「検証3ヵ月原発危機」を是非ご一読く
ださい。
「(安心して暮らせるとか絶対安全でなければと言って追い詰めたり
する)
こんな子供じみたやり方では政治はもちろん、経済も文学も成り
立ち得ない」・・・「追い詰めてきた」などという言辞を弄すること自体
が子供じみているでしょう?
「
それは世の中に、完全な善人も悪人もいないのに、幼稚な人道主義
者が、自分は善人でそうでない人は悪人と分けることと似ている」
このくだりもまた子供じみているし、この前後を読む限りこの部分は蛇
足と思われるが、氏に反駁する論調を暗に牽制したかったのだろう。台
風で被災した人たちが避難指示に従って豪雨の中を避難するとき、中に
は濁流に飲まれて何人かが亡くなっているというのに、
「
学校その他に避難した人たちは、ラベルのついた新しい毛布を
支給されていた。一晩のことに何でそんなに甘やかさねばならないか私
はわからない。避難したら新聞紙を床に敷いて、何枚も重ね着をして眠
って当たり前だ。それがいやなら、早めに毛布や蒲団(ふとん)を背負っ
て避難するだけの個人の才覚の訓練が要る」
新聞さえも用意できない状況なのに、それとも予め避難場所の体育館に
古新聞を持ち寄って保管しておけと?豪雨の中を毛布や布団を背負って
行けと?それとも台風の進路が分った時点で避難所に各自の毛布や布団
を持ち込めと仰っているのか?それでは台風が来るまでは子供たちは体
育館を使えなくなってしまうが、どうするのですか?ご自分が避難所で
体験した上で発言するならまだしも、埒外にあってテレビのニュースを
見ながらの、為政者側に立ったかのような理不尽な物言いに対し国民の
多くが反発し反駁している。反駁する私たちを「幼稚な人道主義者」と
言いたいのだろうが、残念ながら私たち庶民は「人道主義」などという
高邁な思想は持ち合わせてはいない。氏の理不尽な物言いに、ただ単に
反発しているだけだ。それと人を安易に「幼稚な人道主義者」と決め付
けるところなどは、およそ「文化功労者」にあるまじき言質。
「自分は善人でそうでない人は悪人と分けることとにている」なんて
余りに子供じみている。世の大人達は「自分を善人」などと思い込ん
でいるおめでたい人はいない。今の世の中は善人、悪人の尺度で図れ
ないほど「複雑」ではなかったのですか?曽野綾子殿!
「
国民全体が知らず知らず感染している「安心病」をまともな感覚にま
で引き戻す特効薬はないものか」
思い上がりもいいところだ。日本人のことをもう少し勉強しては如何
ですか?今回の大震災に引き続き、東海地震の今後30年以内に発生す
る確率が87%といっているのに、のほほんとはしていませんよ。
次の震災や災害を警戒しながら、しかし希望を持って頑張っているのが
日本人です。その希望さえも持つなと仰るのですか?希望を抱いている
から「安心して暮らせる生活が欲しい」と庶民は口にするのです。とこ
ろが、その庶民の言葉だけに拘って、それ以上見ようとしないから洞察
力にも欠けるし自己撞着も甚だしくなる。とにかくあなたの言っている
ことは論理的にも破綻しているのですから・・・。
こうなってくると曽野綾子氏はドンキホーテさながらで、どこか痛々しい。
病気なのはあなたですよ!
「文化功労者」曽野綾子殿!・・・・だそうです。
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