非才無才の雄叫び

つぶやくこと、叫ぶこと、すべてボケ防止だ!

東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞の「税と安心」

2012-03-06 13:38:35 | 日記
曾野綾子氏の産経新聞のコラム「イエスマンの国」を読む
東日本大震災 曽野綾子氏と産経新聞「透明な歳月の光」の怪
東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞の「編集手帳」
東日本大震災 曽野綾子氏と文芸春秋「日本はどこで間違えたか」
曽野綾子の「生活保護受給者」攻撃と「自殺のすすめ」
前出しが多くてすみません。なでしこジャパンが
アメリカを破って決勝進出。ぜひ優勝して欲しいです。
では・・・・・・・・。
 2月24日の読売新聞の朝刊の一面のトップに「消費税25% 北欧は納
」の大見出し。次に「安い保育料 育休8割補償 大学無料」の小見
出し。読売新聞は「税と安心 一体改革の行方」と題した論説をレポー
ト風にしてキャンペーンを始めた。記事は第一面の大半を占め、2面
では5段15行を費やして「生まれてくる子供のために」と題した社会保
障部長の論説を掲載し、第3面はそれらの記事でほぼ一色だ。「社会
保障恩恵乏しい若者たち」「世代間格差1億円に」「消費増税で縮小急
務」「国の財政を家計に例えると」「介護・医療サービス充実5%上げで」
「高齢者含む全国民負担」の見出しがひしめく。そして社説までもが
安心を『未来の高齢者』たちへ」と題して消費税引き上げを主張して
いる。実に異例の紙面で読売新聞の危機感がひしひしと伝わってくる。
 記事は、まずスウェーデンのレポートを伝えながら日本の実態と比較
していているが、あまりの差に読むものを愕然とさせる。

上の比較表は標準的な4人家族の比較だが、スウェーデンの家族は二人
合わせた平均月収が約84万円。日本は二人合わせて約64万円。スウェ
ーデンは表のように高福祉高負担だが「子供の未来に、特に不安はない。
この国では男女が共に働き、子育てするのが普通。とてもいい環境」と
スウェーデンの夫婦は口を揃える。一方日本の家族は子供の教育費・
保育費に月11万円以上かかって「将来のことを考えると不安」と答え
ている。
ついこの間まで世界第二位の経済大国が、この程度の負担でも高福祉
は実現できないのか?ならば高負担でも良いから高福祉をもっと早く実
現できなかったのか?G 7になって先進国づらしてもこの体たらくか?日
本政府は恥ずかしくないのか?これではスウェーデンの方が先進国では
ないか。今から30年くらい前は北欧諸国というと後進国のようなイ
メージしかなく貧乏な国と思っていたが、今や一人当たりのGDPは世界
で2位がノルウェー6位デンマーク、8位スウェーデン、14位フィン
ランドの下に16位日本となっている。相対的貧困率もOECD加盟30カ国
中、日本はトップ3あたりに位置して、わが国の平均年収の1/2以下の
人たちの割合が世界で三番目くらいに多い国になっているが、一方北
欧はスウェーデンが29位、ノルウェイが26位、アイスランド23位、フ
ィンランド22位と貧困率は低い。つまりそれだけ豊かだということだ。
 先の当ブログでも取り上げた文芸春秋のアンケートのタイトル「日
本はどこで間違えたか」の言葉通り慨嘆せざるをえない。そして衝撃
的なのは「世代間格差1億円」だということだ。現在、年金を受給し
ている70歳以上の世代は実際の積み立て額より受給する年金額が4875
万円多いのに、28歳以下の世代は逆に負担の方が4585万円多くなって
いるらしい。つまりこの開きが9460万円で約1億円ということになる。
これはおかしいではないか。いくらなんでもこれは酷すぎる。
 ところで、読売新聞のこのキャンペーンに対して「弱きを挫き強きに
おもねて」、安心病節を唱えるわれ等が曽野綾子氏
は、読売新聞の
社説「安心を『未来の高齢者』たちへ」を読んで「そんなの詐欺だ」と
読売新聞に抗議したのだろうか?「安心病」の持論を展開した以上は読
売新聞に噛み付いて当然だが「弱きを挫き強きにおもねる」曽野綾子
氏は、おそらくは、だんまりを決め込んで素知らぬ顔をしているだろう。
 そこで、もう一度、曽野綾子氏の「安心病」節を窺ってみよう。
昨年5月27日に産経新聞に掲載された「安心病の特効薬は」というコラ
ム。このコラムに対して当方は以前反論しているが、再度反撃を試み
たい。東日本大震災 曾野綾子氏の論理的破綻?!
ある日の夕方、NHKのニュースを見ていて、私はおかしな気分にとら
えられた。そこに出てくる、たくさんの人たち―校長先生、保母さん、母
親たち、視力障害者、漁港の人、アナウンサー―などが流行語のように
「安心して…したい」と言うのである。
安心して仕事を始めたい。
安心して子供を遊ばせたい。
安心して昔と同じように暮らしたい。
私は私の人生で、かつて一度も、安心して暮らしたことはない。
今一応安全なら、こんな幸運が続いていいのだろうか。
電気も水道も止まらない生活がいつまでできるのだろうか、私の健康は
いつまで保つだろうか、と、絶えず現状を信じずに暮らしてきた。
何度も書いているのだが、安心して暮らせる生活などというものを、人
生を知っている大の大人が言うものではない
。」
 何度も反論してきたが、「安心して…したい」という言葉を聴くと通
常は「なにか不安なことがあるのではないか」と、言った人の置かれて
いる状況や背景に人は想いを馳せる。それを「おかしな気分にとらえら
れる
」?「私は・・・・安心して暮らしたことはない。私のような生き方が人
生を知っている大の大人の生き方だ。
」氏はこう言って憚らない。
「安心して」という言葉の裏には、「不安な思い」がある。その思い
の背景には「不安定な状況」があり、被災地では「被災」という物理
的に不安定な状況がある。そのことに曾野綾子氏は全く理解を示さな
い。津波で伴侶を亡くし子供を亡くし親を亡くし、そして家を無くし
家のローンは残ったまま、職場も津波で流され再建の見通しも立って
いない。また福島原発事故の放射能汚染が、どこまでどのように深刻
なのか解らない等々の物理的経済的に不安定な状況に置かれている
からこそ、それらの人々は「安心して…したい」という言葉を発する。
ところが曾野綾子氏は「安心して…したい」という言葉にのみ反応し
て、人々の背景に全く思いを馳せようとはしない。いや思考が及ばな
いと言ったほうが良い。なぜか?それは即ち人々の物理的経済的に
不安定な状況
自らの精神的に不安定だった状況同一視若し
くは混同したうえでの強い思い込みがあると推察する。曾野氏の場
合、夫の三浦朱門氏が相当の収入を得ていたはずなので、ご本人が
働かなくても経済的に不安定という状況にはなかったはず。むしろ不
安定だったのはご自身の内面的な問題で、即ち「ウツ病」だ。つまり
「才女時代」の片割・有吉佐和子が次々と話題をさらい賞を総なめに
していくのに、曽野綾子氏は世間から忘れ去られようとしていた。自
らの才能に対する絶望感にさいなまれて「ウツ」になられたと推察す
る。有吉佐和子の女流文学賞受賞から遅れること13年目の同賞受賞
を氏が辞退したのは、その辺の経緯と無関係ではあるまい。自信喪失
からくる不安定な精神状態の中で安心出来る状況を希求して、開き直
るかのように得た諦念が「安心などというものはこの世に存在しない」
ということだったのではないか。つまりそれは「不安の概念という哲
学的な命題を追求する」心境に近かったものと思われる。では、なぜ、
このような状況の違いを同一視もしくは混同するのか?「大先生」に
向かって甚だ僭越だが氏の生い立ちが影響していることは十分に考え
られるが、曾野綾子氏は考察を重ねて文章を書き表す職業作家をもう
何十年もなさっておられる。しかも「文化功労者」だ。生い立ちによ
る影響などと言い訳することはもはや言える立場ではない。では、そ
れを解き明かす手立てはあるのか?こうなると、曽野綾子氏の文章か
ら、その謎を解明する以外に方法はない。
では氏の文章を見てみよう。
当方の先のブログ
東日本大震災 曽野綾子氏の間違いだらけの文書作法
でも指摘しているが週刊ポストのコラム
近年落ち込んでいると言われる日本の凋落に、決定的な追い打ち
をかけるか、それとも、長い間の物心両面の沈滞を打破するきっ
かけになるか

最近では、新年号の文芸春秋のアンケートの一文。
今では教育は国民の権利だから教科書は1969年までにはす
べて無料になり
、その後若者の登校拒否、ひきこもり、自殺も増えた
。」
「勉強の出来ない非才・無才」の代表格の当方でさえ、自分の考えを文
章として書き表す場合、先ずセンテンスが間違っていないか、誤った
文章表現になっていないか、論理の飛躍がないかなどなど必ず読み直し
推敲するのは当然の作業だ。その作業によって自分の考え方が正しいの
か、評価に堪えるものなのかどうか再考しチェックすることも出来る。
ところが曽野綾子氏は自分の文章を推敲したようには思えない。
先のブログでも指摘したように「近年落ち込んでいると言われる日本の
凋落
」などと、およそ文章とは言えない文章表現だからだ。即ち「凋落
というのは平たく言えば「落ち込んでいる」の意味。同義語を重ねるなん
て「文章」になっていない。それと「長い間の物心両面の沈滞」も国民の
状況を説明するには意味不明の文章だ。更に文芸春秋の「今では教
育は国民の権利だから教科書は1969年までにはすべて無料になり
…」。
だから」を入れたことによって文脈がぼやけたものになっている。
文化功労者」がこの程度では話にならない。どうしてこうも駄文を
披露して恥じないのか。どうして推敲も検証もしないのか不思議だ。
およそ60年に及ぶ文筆活動は生易しいものではないだろう。その歳月
は、正に老練な作曲家がキーボードなしで音の確認もしないまま頭の
中に浮かんだ音を楽譜にしていき、ほぼ完璧な楽曲を書き上げる作業
に似ていて、原稿用紙にそのまま書き連ねる文章は既に推敲の必要も
なく、余人の横槍など許さないものであるはずだ。ところが60年にな
んなんとする文筆活動の歴史を有する曾野綾子氏の文章能力は中学生、
高校生の作文にも及ばない。摩訶不思議と言うほかないが、曽野綾子
氏は大学を卒業して間もない時期に芥川賞の候補になっているのだか
ら天賦の才能に恵まれていたはず。邪推になるが若くして文壇に華々
しくデビューし、「才女」とまで謳われ、持て囃されたことが曾野綾
子氏の驕りとなり推敲等の文章修行を疎かにしたのに加え出版界から
「書き直し」等で原稿を突き返された経験がないのだろう。加えてそ
の後の「ウツ」の後遺症から、自らが書き表した文章を反芻すること
は自分のなかにある「不安」を増幅させるかもしれないという恐怖心
のために、書いたら投げ捨てるようにして編集者に原稿を渡していた
のかもしれない。それが、いつの間にか習慣になって今日に至ってい
るということだ。つまり曾野綾子氏は出版界から「甘やかされて
自らも「甚だしい甘え」に浸っているということだ。そして、20年ほど前、
笹川財団の理事になり会長になった辺りから「日本財団」の言論界、
出版界の囲い込みをやる中で「日本財団ムラ」などの出版村を形成
して、のうのうと女王気取りで生きていける状況になったものと思わ
れる。これが曾野綾子氏の甘えの構造だ。この構造故に人々の背
景など省みる必要などないのだ。だから自分の思っていること、考
えていることがすべての社会の基準であり規範だと錯覚する。従っ
て自分本位の極めて軽い珍妙な言説を繰り返すことにもなっている。
そんなものは(安心できる生活)地震や津波が来なくても、もともと
どこにもないのである。アナウンサーにも、最低限それくらいの人
生に対する恐れを
持たせないと、お子さま放送局みたいになって、
聞くに堪えない軽さで人生を伝えることになる
。」と読むに耐えない
軽さだ。ここでも個人の内面的な問題と仕事の場面での言動を混同し
ている。アナウンサーが「人生に対する恐れ」を持っているかどうか
は個々人の内面的な問題だ。ましてNHKのアナウンサーや記者など
は社内の倫理規定等で取材等の仕事の場面で、NHKの倫理規定を
逸脱して、インタビューや取材が出来るわけがない。そのことを考慮
もせず「それくらいの人生に対する恐れを持たせないと、お子さま放
送局みたいになって、聞くに堪えない軽さ
」とこれまた読むに堪えな
いほどの軽い言説
を曽野氏は繰り返す。
安心して暮らせる生活を、約束する人は嘘つきか詐欺師。
求める方は物知らずか幼児性の持ち主である。
前者は選挙中の立候補者にたくさん発生し、後者は女性か老人に多
い。・・・・しかしこれほど多くの人が『安心して暮らせる生活』な
るものが現世にあるはずだ、と思い始めているとしたら、それは日本
人全体の精神の異常事態だ。ことに、これだけの天災と事故が起
きた後で、まだ『安心して暮らせる状況』があると思うのは、不幸な事
態から何も学ばなかったことになる。・・・・
。」
曽野綾子氏は冒頭のノルウェーの福祉の実例には見向きもせず、ひ
たすらアフリカなのに人様には「精神の異常事態だ」と仰る。先のブロ
グでも述べたが、氏は自らの「精神の異常事態」には気付いておられ
ない。明らかに病気に罹っておられる。つまり安心病だ。精神に異
常をきたしながら叫ぶ姿は、正にドンキホーテそのものだ
。従って、
このコラム全編が「幼児性」一色で珍妙この上ないものになっている。
次も当方の先のブログ
東日本大震災 曽野綾子氏が原発推進派の意見を代弁」で
反論しているが、この頑迷なご老人には波状攻撃をかけるしかない。
一方、国民の方は昔から原発を『絶対に安全なのか』という言い方
で追いつめてきた。『いや、物事に絶対安全はありませんから、事故
の場合を想定して避難訓練もいたします』と原発側が言ったとすると
『事故がおきる想定の下で、原発建設をやるのか!』とやられるから、
『原発は絶対に安全です』という子供じみた答になる。しかし物事に
『絶対安全』ということはないのである。・・・・国民全体が知らず
知らず感染している『安心病』をまともな感覚にまで引き戻す特効薬
はないものか
。」この幼稚なロジックは東電が使ってきた自己弁護
の論理そのものを曽野綾子氏が使っていて「東京電力擁護」「原発
推進派擁護
」の姿勢をあきらかにしている。いづれにしてもこの程度
なのだ。曽野氏の「安心病」節がいかに馬鹿げたものかお解り頂けた
と思う。
さて、冒頭の読売新聞のキャンペーン記事に戻ろう。社会保障と税
の一体改革のためには消費税増税は必至だというのが、このキャン
ペーンの論調だが、ここまでメディアが「安心社会」を目指すことに舵を
切ったことは大いに歓迎すべきことだ。日本国民は生まれながらにし
て700万円の借金を国債等によって背負わされている。記事中には
将来世代にツケを負わせる状況を、米国の経済学者、ローレンス・
コトリコフ氏らは『財政的幼児虐待』と呼んだ
。」と紹介している
が、このような国にしてしまった我々大人の責任は重い。曽野綾子氏
のようにアウグスティヌスの「この世に起こることには意味がある」と
いう言葉を引用して気取るばかりで人々の痛みを感じない姿は白痴そ
のものだ。ろくな文章も書けず「文化功労者」を矮小化させ続ける
病的な「文化功労者
」曾野綾子氏にこそ「特効薬」が必要だ。
読売新聞の社説「安心を『未来の高齢者』たちへ」は、曽野綾子氏の
安心病」節を見事に打ち砕いた
そもそも文章もまともに書けない曽野綾子氏の「安心病」節など
人助けにならないだけでなく余計な混乱を招くだけ


世の失笑を買う「文化功労者」曾野綾子氏よ
「不安」に苛まれて、
避難先で1300人に上る人々が
自殺や病死をしていることを知っているか。
少しは自重せよ
・・・だそうです。


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