非才無才の雄叫び

つぶやくこと、叫ぶこと、すべてボケ防止だ!

東日本大震災 曽野綾子氏の産経新聞「透明な歳月の光」の怪

2012-05-04 17:55:34 | 日記
曾野綾子氏の「人間にとって成熟とは何か」の欺瞞!
曾野綾子氏の透明な歳月の光「悪女の深情け」を知らないなんて!
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末2
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末1
曽野綾子氏の産経新聞のコラム「イエスマンの国」を読む
東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞「税と安心」
曽野綾子の「生活保護受給者」攻撃と「自殺のすすめ」
3月は零細不動産会社なのに、かなり忙しかった。きっと
よその会社も同じだったでしょう。4月もそこそこ・・・・なのに曽野
綾子さんに対する夫の手は緩む気配がない。

 東日本大震災や福島原発事故のことを産経新聞のコラム「透明な
歳月の光」で曽野綾子氏はいろいろと開陳なさっておられるようだ。
曽野綾子のキーワードでネットを眺めていたら、「曽野綾子『東電
に責任はない』」の表示があったのでクリックすると2ちゃんねるの
スレッドだった。去年の5月のテーマをまだ引っ張っているなと思っ
て嬉しくなった。曽野綾子氏は先の当ブログ「東日本大震災 曽野
綾子氏と読売新聞『税と安心』」でも指摘した通り、色々なことを
同もしくは同一視
して「論じる」御仁だから、このコラムでも遺憾なく
それを発揮しておられる。被災者の物理的な状況からくる不安と自ら
の不安定だった精神的状況を同一視して「安心して暮らせる生活など
というものを、人生を知っている大の大人が言うものではない
」と言
ってみたり、このスレのようにダムと原子力発電所を同レベルと判
して「東電に責任はない」と言い放ったりと実に忙しい御仁だ。ここ
まで当該のスレが続いているということは、皆さんの怒りが収まらな
いということ。おまけに次から次とつまらんことをのたまうからネ
ットは格好のストレス解消の場となっている。
このスレの中に曾野綾子氏のコラム「透明な歳月の光」について
告発しているレスがあったので読んでみると今までとは違った腹立
たしさを覚えた。それは曾野綾子氏が産経新聞の読者を小馬鹿
にしている
ところがあって読み進むうちに、だんだん腹が立って
きたということだ。どういうことかは後ほど明らかにする。
先ずはこれをお読み頂きたい。
地震雷火事名無し(神奈川県):2012/04/21(土) 15:27:12.88
「9月11日(2011年)は東日本大震災から半年の記念日である。
 この日、どこの放送局かも分からないまま見たTVのある番組の内
容は、昨今のマスコミの幼児性を典型的に表したものだった。
小学校の高学年と見える生徒が、被災者にインタビューをしている。
『支援物資は公平に渡りましたか?』という質問に私は唖然(アゼン)
とした。」・・・・・・ 子供の言葉には、公平でないことが大きな
悪で、徹底的に糾弾しなければならない、という語調が込めら
れているように見える
。・・・・・公平などというものは非常事態の
中では行われ得ないものだ。・・・小学生の幼稚な正義感を簡単に認め、
『物資が公平に配れましたか』などという質問を、いかにも人道的と
するような気風が、社会や学校で認められるから、若者はいつまでも
大人にならないのである。 」
「土地の古老さえ記憶にないほどの、想定外の巨大な地震と津波が
起きたのだ。数か月経っても、被害の大きさや地理的な状況で、復旧
の度合いは違う。そんな中で、どうして救援物資が「公平に」配られ
ることなどあろうか。少し考えてみれば誰にでも分かることだ。
A町への道は通じている、B町へ行く道は橋が決壊し、C町へ行く道
は津波につかったままだ。そういう場合、A,B,Cの町が、同じよ
うに公平に支援物資が受取れるというのか?

(曽野著、透明な歳月の光、『子供の「公平か?」インタビュー』より)

 どうして曽野氏は人の言葉に、こうも過剰に反応するのか不思議だ。
言葉に拘るあまりに大事な「視点」が欠落している。
この前はNHKの記者かキャスターの被災者への「安心して・・・しまし
たか」というインタビューに対し「そんなものは(安心できる生活)地震
や津波が来なくても、もともとどこにもないのである。アナウンサー
にも、最低限それくらいの人生に対する恐れを持たせないと、お子さ
ま放送局みたいになって、聞くに堪えない軽さで人生を伝えることに
なる
」と頓珍漢な記述。
 今度は小学生のインタビューに対する過剰反応だ。「子供の言葉
には、公平でないことが大きな悪で、徹底的に糾弾しなければならな
い、という語調が込められている
」という気違いじみた言辞には辟易
する。おとな気ないでは済まされない。曽野氏のこの言葉をその小学
生が聞いたらどれほど傷つくかと思うとやりきれない。小学生は学校
で習った言葉を素直に表現したに過ぎないはず。勿論、教師や大人た
ちが「支援物資は公平に渡りましたか?」と質問するように指導はしな
かったはずで、子供が自ら考えて、そのようなインタビューになった
と思われる。その小学生が、まだ目の前に残されていた支援物資を
見て、これが皆さんにちゃんと届いているだろうかと思ったとしても
不思議ではないし、その小学生は大人へのインタビューなど初めてで
あったはずだ。子供は当然の如く背伸びしようとして学校で習ったす
べての知識を動員して大人へ質問する、素直に・・・・。
その時のテレビのニュースなり番組を見ていないので、どういう趣旨
の番組かニュースの意図かは知る由もないが、子供が大人の被災
者にインタビューする部分だけを見るなり聞いただけでも大人だった
ら考えればすぐにどういうことか解ることだ。つまり小学生に、大人へ
インタビューさせることによって子供たちの主体性、社会性等々を培わ
たいという教育的な目標があったのではないかと容易に想像できる。 
ここで大切なことは、その小学生が大人の被災者と接して何を思い、
何を得たかということで、当然、教師達はそれが狙いだったはずだ
。 
ところが曽野綾子氏のこの言葉は問題意識が高いというよりも単に
底意地が悪いということに尽きる。第一、小学校で「公平でないことが
大きな悪で、徹底的に糾弾しなければならない
」という教え方を教師
がするはずがないではないか。
 従って、このような曽野氏の発言は国の「教育改革国民会議の
委員
」になった経験を持ちながら教育に関する知識や理解が極めて
低いこと
を表している。曾野綾子氏のこのような病的な発言にレスのほ
とんどが「唖然」としたと思われ、更に憤りを露にしていて、
その中の一つに「小学生だから幼児性があって当然ではないか」
というのがあるが、むべなるかなだ。まして小学生だから「公平」
についての概念やその概念がもたらした弊害などを演繹的に思考す
る能力も習慣もないはずだ。
にもかかわらず「小学生の幼稚な正義感を簡単に認め、『物資が
公平に配れましたか』などという質問を、いかにも人道的とするよ
うな気風
が、社会や学校で認められるから、若者はいつまでも大
人にならないのである
。」
 何を仰るかと言いたい。幼稚であろうとなかろうと小学生の頃から
「正義感」に目覚めることは情操教育の大切な目標の一つだ。子供の
ことは切り離しても被災者への支援は人道的見地からなされているこ
とは言うまでもないし、その質問になんら違和感はない。そして、そ
ういう「気風が・・・あるから、若者はいつまでも大人にならない」。
そうかな
ここまで読んできて、ふと、一つの疑問が湧いた。一見まともなよう
に聞こえるが、どうも釈然としないのだ。曽野綾子氏は「公平」と
「人道的」という言葉の意味をどこまで理解しているのだろうか?本
当は良く知らないのではないか、あるいは誤解しているのではない
かと思った。
 それで早速ネットで「公平」と「人道的」について調べてみた。曽
野綾子氏のお陰でネットで調べたりして色々勉強させて頂くので、あ
る意味、当方にとっては曽野氏は有り難い御仁ではある。
 そこで先ず「公平」ということだが、例えば3人の兄弟にお年玉をあげ
る時、高1の長男に一万円、小6の次男に六千円、小1の三男に三千円
をあげたとする。これは「公平」か否かということになると、一般的に
これで年相応に「公平」に配ったということになる。小1の三男にだけ
はお金ではなくお菓子をあげたとなると、これは「不公平」だし、逆に
三男に二万円あげたとすると、これも「不公平」となる。曽野氏の記述
の後段の「A町への道は通じている、B町へ行く道は橋が決壊し、
C町へ行く道は津波につかったままだ。そういう場合、A,B,Cの町が、
同じように公平に支援物資が受取れるというのか
」の部分。
文化功労者」「職業作家」が、この程度の理解力しかないというのは
驚きだ。「公平」についての明らかな勘違い。ABCのそれぞれの状況を
無視して、同量、同質、同時に支援することが「公平」とは必ずしも
言わない。兄弟たちに金額の差があっても「公平」であるように、被
災した地域への物的支援が同量、同時刻に行なわれなくても支援の中
身によっては「公平」と言える。様々な障害があって届けられるのに
時間差があろうが、またよしんばある被災地への支援物資の一部が途
中で、雨に流されたとしても必死に届ける物資とその行為に変わりは
なく、それはそれで「公平」に支援したと言える。まして、これを良
しとする「気風」が若者の成長を阻害している、大人にならない原因を
作っていると曽野綾子氏は壮語するが、「公平」についての曽野氏の
理解が誤っている以上、氏のこの手の「若者未発達論」は空論に
過ぎない
。いづれ、このことに関しては触れる機会があるだろうから、
割愛するが・・・・。
 いずれにしても曽野綾子氏のこの記述は、これは正に幼児性を
超えた病的な精神状況を表ている
。前のNHKの記者のインタ
ビューの「安心して・・・しましたか」の言葉にだけ反応して深く考
えもせずに「人生に対する恐れを持たせないと、お子様放送局
みたいになって、聞くに堪えない軽さで人生を伝えることになる

と聞いただけで吹き出してしまいそうな事を真顔で論じているところ
は正にドンキホーテそのもの
なのだ。「人生に対する恐れ」は個々
人の内面的な問題
。NHK記者のインタビューは社内の倫理規定に
沿った仕事上の問題
。それを混同して実しやかに論ずるのが曽野
綾子氏の病的な特徴だ。まして後段の「A町への道は通じている、
B町へ行く道は橋が決壊し、C町へ行く道は津波につかったままだ。
そういう場合、A,B,Cの町が、同じように公平に支援物資が受取
れるというのか
」などチンプンカンプンな必要もない解説
をするなんて産経新聞の読者を愚弄しているのか?。そこまで解説
しないと産経新聞の読者は理解できないと思っておられるのか?
「唖然」もそうだ。ルビをふらないと読めない読者が多いと思ってお
られるのか?人を馬鹿にするのもほどほどにして欲しい。
 
次のレスの告発も曽野氏の馬鹿さ加減に辟易とした様子が伺える。
地震雷火事名無し(神奈川県):2012/04/25(水) 21:35:52.01
基地や原発ができると、その土地は開発され、村は町に変貌する、基
地や原発がさらに事故の原因となれば、当然補償が支払われる対象に
なる。しかしその時、補償を受ける家族がいつからそこに住んでいた
かということは、補償額にはっきりと反映されるべきだろう。何もな
かった時代から住んでいた人にとっては、こうした施設の新設は確か
に「降ってわいた環境破壊」と「思わぬ発展による経済的効果」とい
う、明暗二つの結果をもたらした。』『しかし基地や原発ができると
いうことがわかった時点、あるいは既にできた後で移住してきた人た
ちは、その存在を承認した上でやってきたのだから事故の結果につい
て応分の責任を持つのも致し方ない、と私は思う。補償はいらないと
言っているのではない。村に住めなくなったという厳しい現実に対し
て援助をすればいいのだが、前からいた人と後から来た人に同じ額を
支払うというのは「時代錯誤」(アナクロニズム)というべきで、
むしろ不平等と考えるべきなのである
。』
(曽野綾子「透明な歳月の光”迷惑施設”の補償」 より)

:地震雷火事名無し(神奈川県):2012/04/27(金) 11:06:31.86
自分が書いたことが理解できていれば、10年も20年もサンケイみ
たいな大新聞に駄文を書かない。年を追って、厚顔無恥の婆さんにな
ってきた。この婆さんの主張する補償額の差別化は、前から住んでい
た人達への補償をもっと増やせという考えではない、建設後に移住し
た新参者の取り分をもっと減らせと言いたいのだ。
何で、そんなにまでして東電の負担を軽減させようとしているのか?
よくわからない。


 ここでも言葉に対する理解が間違っている。「時代錯誤」の後にわざわざ
括弧書きで(アナクロニズム)何を気取るの?「時代錯誤」を英語でなん
というか産経新聞の読者に教えたかったのですか?それとも私は知っ
ているよと披露したかったの?
だったら言わせて頂くが、折角、英語を披露したのに「時代錯誤」の意
味を理解していないではないか

 通常、原発が設置されてきた地域は、どちらかというと田舎で過疎地だ。
田舎は概ね保守的で排他的な所が多い。後から転居して来た者を「よそ
者」呼ばわりしたり、場合によっては「村八分」にすることもあり得る。
そういう原発のある地域で、現代の民主主義を徹底しようとしている社会
政策の中、「原発が出来てから転入してきたのだから、原発が出来る前か
ら住んでいる住民と同じに扱うな、補償に差をつけろ」という保守的で排
他的な主張を通常、「時代錯誤も甚だしい」と言ったりする。ところが曾野
綾子氏の言説は、「田舎は昔から進歩的で排他性もなく他地域から転入
してきた人たちにも差別もなく平等に扱ってきたわけだから、補償につ
いては原発設置以前とそれ以後に転居して来た者には差をつけるべき」
というものだ。支離滅裂で、言ってみれば曾野氏の言説こそ「時代錯誤
そのものなのだ。ここは「時代錯誤」を削除して「不平等」のみにす
れば論旨はすっきりするところなのに、それでも「作家」かと言いたい。
こういう書き方で10年もこの「透明な歳月の光」というコラムを書き続け
てきたというのは産経新聞175万の読者を馬鹿にして来たと言う証だ。
産経新聞の読者は、産経新聞の保守論調に賛同して購読している人た
ちが圧倒的に多いだろう。国を思い、国を憂う人たちも多いはずだ。
そういう産経新聞の購読者に対して、あまりにも失礼な執筆態度。国
を憂う人たちに対しては真摯で真剣な執筆態度こそが要求される。曾
野綾子氏にその覚悟があるとはとても思えない。
 ただ理解できないのは産経新聞社が、この程度のコラムニストをな
ぜ10年も使い続けているのかということだ。曾野綾子氏を使って読者
を洗脳しているつもりなのだろうか?それとも産経新聞のレベルは曾
野綾子氏と同程度ということなのか?理解に苦しむ

曽野綾子氏よ

サンケイ新聞の読者に

支えられていることを忘れるな

支えられていることを忘れて、

惰性で書くから

間違いだらけなんだよ。

いい加減にしろ
・・・と言うことです。


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