東日本大震災曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末5
東日本大震災曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末4
大津市の中2の男子生徒の自殺のことで、ようやく警察が
動いて、教育長も関連性をしぶしぶ認めた。世間が騒がないと一時
が万事、この程度なのッ。おかしいでしょッ
話は少し変わるが、読売新聞が日曜日毎に約2ページに亘って掲
載している「書評欄」を当方はいつも心待ちにしている。お目当ての
人がいるからだ。女優の「キョンキョン」こと小泉今日子氏。月に1度
あるかないか、ない時には2~3ヵ月ほど間が開く。そういう時はドラ
マ等できっとお忙しいのだろうと思いながら「書評欄」に眼を通してい
る。先週の日曜日は彼女の名前があった。小泉氏の書評はご自分
の体験を重ね合わせて作品を評される場合が多いようだが、文章
は滑らかでスーと引き込まれるように読み進めてしまい、最後には必
ずといっていいほど「なるほど」と合点させられる。小説も書いておら
れるのではないかと思うほどの文達である。相当の読書量と若い頃
からの読後感を書く習慣があるのではないかと思う。かといって彼
女の出演したドラマを見たことはない。テレビのコマーシャルの溌剌
とした姿を時折、見かける程度だが、つい氏の「書評」と重ね合わせ
て彼女に微笑んでしまう。
人を比較することはあまり良いこととは思わないが、ついつい比較
してしまう。女優と「職業作家」である曽野綾子氏を比較すると曽野
氏のプライドを傷つけてしまうが、弱者に対して執拗に攻撃を繰り返
す以上止むをえない。「会えなかった恩人たち」ほどのコラムであれ
ば全く遜色もないし問題もないが、このレポートのように論理性を要
するものには辟易する。文章の良し悪しだけではない。先の当ブロ
グでも述べたが曾野綾子氏の、氏の世代の責任には一切触れずに
現象だけを追求していく姿勢こそ問題だ。次の記述は正にその通り。
「実に教育を骨抜きにしたのは、皮肉にも戦後日本の幸運と政治
の成功にありました。現在の日本に、望ましくない要素が多くある
ことは事実です。それにもかかわらず日本は今なお、世界で「夢の
お国」です。
1) 清潔な水が飲める。
2) 餓死するような人も、乞食も、行き倒れも(例外的にしか)い
ない。つまり社会保障の制度があ る。
3) 医療は誰にでも比較的すみやかに受けられる。
4) 弱者の悪口は言えないが、強者の悪口は言える。
5) ほとんどの人が雨の漏らない、電気、水道、暖房、浴室、炊事
場などが屋内にある家に住み、テレ ビや電話などを使える。
6) 行きたいところに行くことができ、親の出身が何であろうと、
子供は自分の才能次第で、いかなる 職や地位に就くこともできる。
7) 誰もが税金を納めている。
8) すべての不正な人は、(地位や財力に関係なく)罰される。
9) 誰もが教育を受けられる。
10) 条件をやかましく言わなければ、働くところがある。
11) 血を流すような内乱や部族の抗争がない。」
という記述で、曽野氏はこのレポートの冒頭部分に戻ってしまうと
いう離れ業をやってのける。いや戻ってしまったのではないかと思
われる。レポートの冒頭部分では「戦後の教育の荒廃」としている
が、ここでは、「教育を骨抜き」と表現している。別の意味合いなの
か同じ意味合いのか不明だが、曽野氏はご自分だけが納得して、
読む者の理解を得にくい記述を時折なさるので、注意が必要だ。
例えば先のブログでも取り上げた「近年落ち込んでいるといわれる
日本の凋落」の記述もその一つだ。なんとなく云わんとすることは
理解できそうだが、丹念に読むと、はたと立ち止まってしまう。「教
育を骨抜きにした」という記述もその一つ。もちろんここでは「日本
の家庭教育及び学校教育を骨抜きにした」と仰りたいのだろうが
「教育」という概念を単一の目的語として「骨抜き」という文言を使
うのは、果たして適当だろうか。「教育」という概念には、いくつか
の定義があるので「骨抜き」という文言を用いるのは不適当では
ないか。通常「戦後の教育の荒廃が日本人を骨抜きにした」とは
言うし、「教育基本法」という確定された内容を持つ言葉であれば
「骨抜き」という言葉は文章として的確で有効な表現だと思ってい
るが、この「教育を骨抜きにした」は果たしていかがなものか。
当方がなぜ、ここまで執拗に攻めるか?それはいわずもがなで、曽
野氏が「職業作家」であり「文化功労者」でありながら、弱者に「甘
えるな、甘やかすな」と辛辣だからだ。これがブロガーだったら何
も問題にすることはない。前にも述べたようにこの種のレポートの
表現は厳密で的確でなければならない。引き続き逆らって述べると
曽野氏の言を借りれば「教育を骨抜き」にした「戦後日本の幸運
と政治の成功」。「日本の幸運」というのは朝鮮戦争によって日本
の産業が活性化し、いち早い復興をとげ政治の力も相俟って経済
の高度成長を成し遂げたことを指しているのだろうが、そうなる
とレポートの冒頭部分「戦後の教育の荒廃は、・・・・その原因は、
長い年月、民主主義の名を借りた安易な『自由放任』の姿勢にあ
りました」という記述との整合性はどうなるのだろうか。つまりはこ
れも「戦後日本の幸運と政治の成功」がもたらしたものなのだろ
うか。であるならば「戦後の教育の荒廃は『戦後日本の幸運と政
治の成功』によって教育が骨抜きにされた」ことに加え「長い年月、
民主主義の名を借りた安易な『自由放任』の姿勢によるものだ」と
いう表現をなぜ冒頭の部分で記述しなかったのだろうか。要は曾
野氏は書きたいことが多すぎて結局まとまりに欠けるレポートに
なってしまうようだ。更に「戦後日本の幸運と政治の成功」によって
「日本は今なお、世界で『夢のお国』です」と記述した後に列記され
た11項目の内容は曾野氏の唱える安心病節とは相容れないもの
ばかりだ。「政治家も公務員も『国民の皆さんが安心して暮らせる
社会』などというものを約束して平気でした。今回の選挙でも津々
浦々で、立候補者がこの手の見え透いた嘘の表現をつき続けて
いることでしょう。しかし現世には、安心して暮らせる場所も時間も
どこにもありません。そういうものをあると信じ、要求し、約束する
人々の精神からは、真の教育は生まれるわけがありません」と記
述しながら、ここに列記されたものは曾野氏の言う「夢のお国」の
状況で後進国よりも少なくとも「安心して暮らせる社会」の状況だ。
日本の政治家たちは「安心できる社会を約束」して、一定程度成
功させてきたということではないか。「現世には、安心して暮らせる
場所も時間もどこにもありません」という言説とは明らかに矛盾す
るが曾野氏はどう言い繕うつもりだ。加えて「2) 餓死するような人
も、乞食も、行き倒れも(例外的にしか)いない。つまり社会保障
の制度がある。」このように弱者に対する大雑把で調査もしない記
述の姿勢こそが、曾野綾子氏の本質を表しており、その後の弱者
攻撃に拍車を駆ける元になっている。(例外的にしか)いないどこ
ろか、曾野氏のレポートの3年前の1997年の調査では無縁死、孤
独死、行き倒れが年間約3万2千人だったとある。「行旅死亡人法
」という法律があって、それに基づく集計らしい。また乞食は差別用
語で軽犯罪法の対象なので今はホームレスしかいないが、これも
年間2万人に近いのだ。曾野綾子氏は弱者に関心がないから調査
もしないで記述するという寓を犯す。嘆かわしい限りだ。次も
「4) 弱者の悪口は言えないが、強者の悪口は言える」と記述した
にもかかわらず、その後、弱者に対する曾野氏の攻撃が熾烈を極
めたのはなぜだ。これも、曽野氏の性格に由来すると思われる。そ
して、この11項目は曽野氏が「今までに108カ国を歩いた私の、それ
が実感です」と日本の表層だけをみて深層を見極めることの出来な
い自らの浅薄さを露呈し、図らずも「安心できる社会」の特徴を列記
したことになった。
続けて曰く「それにもかかわらず、日本は悪い国だ、という人がい
て、殊にマスコミがそうした空気を後押ししまし た。私たちはもっと子
供たちに厳しい現実を教えるべきでありました」。「日本は悪い国だ、
という人がいて」誰がそんなことを言っているのだと問いただしたくな
るではないか。再三述べているが、とりわけレポートは傍証を与えな
がら記述するのが当然の作業なのに曾野氏はそれも知らないのか?
「マスコミがそうした空気を後押ししました」。どのメディアがいつ、ど
こでどのように報道したのか?これらを正確に記述した上で「子供た
ちに厳しい現実を教えるべきでありました」でなければなるまい。い
ずれにしても「夢のお国」というアフリカに軸足を置いた視点で
なければ子供たちに厳しい現実を教えることができないのだろうか。
そして、そのような厳しい現実を教えなければ子供たちは自らの教
育を責任もって行なうことができないのだろうか?更にまた親や周り
の社会も曾野氏の言う「夢のお国」の現実を認識しなければ教育に
は責任をもてないのだろうか。先の数値目標を挙げた曽野氏の珍
説「教育責任論」からの論旨の流れを当方は、このように理解する
がいかがであろうか。
しかし、「夢のお国」という認識を根拠とした「教育責任論」で果た
して健全な子供は育つのだろうかという疑問をどうしても払拭できな
い。なぜなら「夢のお国」の認識を根拠とした曽野綾子氏は「安心
病」節を唱えながら、弱者への攻撃を熾烈に行なっているからだ。
もしも曽野氏の薫陶を受けた子供たちが現れたら、曽野氏を習っ
て弱者への攻撃的性格を形成するのではないかと思うと身の毛
がよだつ。
曾野綾子氏よ
教育の責任の12.5%から25%が
社会にあると言ったからには
自らの責任を棚上げにすることは
許されない。
なぜ、自らの責任に言及しない。
子供たちのいじめは
大人社会の縮図だ。
大人が弱者を攻撃し、いじめている。
子供たちは、それを真似ているだけ。
曾野氏よ
いじめている子供たちは、
あなたの真似をしているのだ。
責任をとれッ・・・・だそうです。
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「実に教育を骨抜きにしたのは、皮肉にも戦後日本の幸運と政治
の成功にありました。現在の日本に、望ましくない要素が多くある
ことは事実です。それにもかかわらず日本は今なお、世界で「夢の
お国」です。
1) 清潔な水が飲める。
2) 餓死するような人も、乞食も、行き倒れも(例外的にしか)い
ない。つまり社会保障の制度があ る。
3) 医療は誰にでも比較的すみやかに受けられる。
4) 弱者の悪口は言えないが、強者の悪口は言える。
5) ほとんどの人が雨の漏らない、電気、水道、暖房、浴室、炊事
場などが屋内にある家に住み、テレ ビや電話などを使える。
6) 行きたいところに行くことができ、親の出身が何であろうと、
子供は自分の才能次第で、いかなる 職や地位に就くこともできる。
7) 誰もが税金を納めている。
8) すべての不正な人は、(地位や財力に関係なく)罰される。
9) 誰もが教育を受けられる。
10) 条件をやかましく言わなければ、働くところがある。
11) 血を流すような内乱や部族の抗争がない。」
という記述で、曽野氏はこのレポートの冒頭部分に戻ってしまうと
いう離れ業をやってのける。いや戻ってしまったのではないかと思
われる。レポートの冒頭部分では「戦後の教育の荒廃」としている
が、ここでは、「教育を骨抜き」と表現している。別の意味合いなの
か同じ意味合いのか不明だが、曽野氏はご自分だけが納得して、
読む者の理解を得にくい記述を時折なさるので、注意が必要だ。
例えば先のブログでも取り上げた「近年落ち込んでいるといわれる
日本の凋落」の記述もその一つだ。なんとなく云わんとすることは
理解できそうだが、丹念に読むと、はたと立ち止まってしまう。「教
育を骨抜きにした」という記述もその一つ。もちろんここでは「日本
の家庭教育及び学校教育を骨抜きにした」と仰りたいのだろうが
「教育」という概念を単一の目的語として「骨抜き」という文言を使
うのは、果たして適当だろうか。「教育」という概念には、いくつか
の定義があるので「骨抜き」という文言を用いるのは不適当では
ないか。通常「戦後の教育の荒廃が日本人を骨抜きにした」とは
言うし、「教育基本法」という確定された内容を持つ言葉であれば
「骨抜き」という言葉は文章として的確で有効な表現だと思ってい
るが、この「教育を骨抜きにした」は果たしていかがなものか。
当方がなぜ、ここまで執拗に攻めるか?それはいわずもがなで、曽
野氏が「職業作家」であり「文化功労者」でありながら、弱者に「甘
えるな、甘やかすな」と辛辣だからだ。これがブロガーだったら何
も問題にすることはない。前にも述べたようにこの種のレポートの
表現は厳密で的確でなければならない。引き続き逆らって述べると
曽野氏の言を借りれば「教育を骨抜き」にした「戦後日本の幸運
と政治の成功」。「日本の幸運」というのは朝鮮戦争によって日本
の産業が活性化し、いち早い復興をとげ政治の力も相俟って経済
の高度成長を成し遂げたことを指しているのだろうが、そうなる
とレポートの冒頭部分「戦後の教育の荒廃は、・・・・その原因は、
長い年月、民主主義の名を借りた安易な『自由放任』の姿勢にあ
りました」という記述との整合性はどうなるのだろうか。つまりはこ
れも「戦後日本の幸運と政治の成功」がもたらしたものなのだろ
うか。であるならば「戦後の教育の荒廃は『戦後日本の幸運と政
治の成功』によって教育が骨抜きにされた」ことに加え「長い年月、
民主主義の名を借りた安易な『自由放任』の姿勢によるものだ」と
いう表現をなぜ冒頭の部分で記述しなかったのだろうか。要は曾
野氏は書きたいことが多すぎて結局まとまりに欠けるレポートに
なってしまうようだ。更に「戦後日本の幸運と政治の成功」によって
「日本は今なお、世界で『夢のお国』です」と記述した後に列記され
た11項目の内容は曾野氏の唱える安心病節とは相容れないもの
ばかりだ。「政治家も公務員も『国民の皆さんが安心して暮らせる
社会』などというものを約束して平気でした。今回の選挙でも津々
浦々で、立候補者がこの手の見え透いた嘘の表現をつき続けて
いることでしょう。しかし現世には、安心して暮らせる場所も時間も
どこにもありません。そういうものをあると信じ、要求し、約束する
人々の精神からは、真の教育は生まれるわけがありません」と記
述しながら、ここに列記されたものは曾野氏の言う「夢のお国」の
状況で後進国よりも少なくとも「安心して暮らせる社会」の状況だ。
日本の政治家たちは「安心できる社会を約束」して、一定程度成
功させてきたということではないか。「現世には、安心して暮らせる
場所も時間もどこにもありません」という言説とは明らかに矛盾す
るが曾野氏はどう言い繕うつもりだ。加えて「2) 餓死するような人
も、乞食も、行き倒れも(例外的にしか)いない。つまり社会保障
の制度がある。」このように弱者に対する大雑把で調査もしない記
述の姿勢こそが、曾野綾子氏の本質を表しており、その後の弱者
攻撃に拍車を駆ける元になっている。(例外的にしか)いないどこ
ろか、曾野氏のレポートの3年前の1997年の調査では無縁死、孤
独死、行き倒れが年間約3万2千人だったとある。「行旅死亡人法
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年間2万人に近いのだ。曾野綾子氏は弱者に関心がないから調査
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「4) 弱者の悪口は言えないが、強者の悪口は言える」と記述した
にもかかわらず、その後、弱者に対する曾野氏の攻撃が熾烈を極
めたのはなぜだ。これも、曽野氏の性格に由来すると思われる。そ
して、この11項目は曽野氏が「今までに108カ国を歩いた私の、それ
が実感です」と日本の表層だけをみて深層を見極めることの出来な
い自らの浅薄さを露呈し、図らずも「安心できる社会」の特徴を列記
したことになった。
続けて曰く「それにもかかわらず、日本は悪い国だ、という人がい
て、殊にマスコミがそうした空気を後押ししまし た。私たちはもっと子
供たちに厳しい現実を教えるべきでありました」。「日本は悪い国だ、
という人がいて」誰がそんなことを言っているのだと問いただしたくな
るではないか。再三述べているが、とりわけレポートは傍証を与えな
がら記述するのが当然の作業なのに曾野氏はそれも知らないのか?
「マスコミがそうした空気を後押ししました」。どのメディアがいつ、ど
こでどのように報道したのか?これらを正確に記述した上で「子供た
ちに厳しい現実を教えるべきでありました」でなければなるまい。い
ずれにしても「夢のお国」というアフリカに軸足を置いた視点で
なければ子供たちに厳しい現実を教えることができないのだろうか。
そして、そのような厳しい現実を教えなければ子供たちは自らの教
育を責任もって行なうことができないのだろうか?更にまた親や周り
の社会も曾野氏の言う「夢のお国」の現実を認識しなければ教育に
は責任をもてないのだろうか。先の数値目標を挙げた曽野氏の珍
説「教育責任論」からの論旨の流れを当方は、このように理解する
がいかがであろうか。
しかし、「夢のお国」という認識を根拠とした「教育責任論」で果た
して健全な子供は育つのだろうかという疑問をどうしても払拭できな
い。なぜなら「夢のお国」の認識を根拠とした曽野綾子氏は「安心
病」節を唱えながら、弱者への攻撃を熾烈に行なっているからだ。
もしも曽野氏の薫陶を受けた子供たちが現れたら、曽野氏を習っ
て弱者への攻撃的性格を形成するのではないかと思うと身の毛
がよだつ。
曾野綾子氏よ
教育の責任の12.5%から25%が
社会にあると言ったからには
自らの責任を棚上げにすることは
許されない。
なぜ、自らの責任に言及しない。
子供たちのいじめは
大人社会の縮図だ。
大人が弱者を攻撃し、いじめている。
子供たちは、それを真似ているだけ。
曾野氏よ
いじめている子供たちは、
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