中国の六場戦争計画を知った以上、黙っては
いられない。
発表されてから1年が過ぎるのに、政府や各政党、軍事
評論家、政治評論家等々のインテリジェンスは、
なぜ黙して語らない。
公式発表ではないという受け止め方なのか?
それとも「祟らぬ神に障りなし」という心境なのか?
国連で取り上げろ
APECで取り上げろ
いろいろな国際会議で取り上げろ
韓国の「告げ口外交」を真似して
二国間の交流の場でも取り上げ
そして多くの国の意識を高めて
「環太平洋条約機構」創設と
同機構軍創設の重要性を説け!
政府に、そういう気骨のある者はいないのか
国会議員の中に命がけで、
中国の六場戦争計画を阻止しようとする者は、
いないのか
せいぜい河野談話見直しの署名程度か?
国会議員だったら国を守ることに命を張れ
総理府に電話をしたら広報担当者が電話に出て
「中国の六場戦争計画」など知らないし、何を絵空事を言うか
というような対応だった。
そもそも日本政府というのは目先の事と、経済活動のことしか
眼中にない。
例えば「北方領土」のことにしても吉田茂などの時の政権担当者
たちはサンフランシスコ講和条約のこと以外、念頭になかっ
たようだ。
ウィキペディアに、政府のテイタラクが記録されている。
「1951年、サンフランシスコ講和条約で、日本は千島列島を
放棄する。平和条約国会で、政府はヤルタ協定のいう千島列
島の範囲に、国後島・択捉島が含まれると説明している 。
この説明は1956年2月に取り消された」
返還運動の始まりについてウィキペディアは
「北方領土返還要求運動は、終戦の年(昭和20年)の12月1日、
当時の安藤石典(あんどういしすけ)根室町長が、連合国
最高司令官マッカーサー元帥に対し「歯舞群島、色丹島、国
後島及び択捉島は、古くから日本の領土であり、地理的にも
歴史的にも北海道に附属するこれらの小諸島を米軍の保障占
領下に置かれ、住民が安心して生業につくことのできるよう
にしてほしい」という旨の陳情書を取りまとめたことが始ま
りとされています。
このように終戦直後に、北方領土の元居住者をはじめ、四
島と隣接する根室の人々によってあげられた領土返還要求の
声は、やがて北海道全域、さらに全国各地へと展開していき
ました」
このように国民の間から「北方領土返還要求」運動が起こって
から重い腰を上げるという始末だ。
また国境の問題でも尖閣諸島を巡る中国との軋轢が生じて
から最近、ようやく国境に接する無人島に名前をつけたり、
自衛隊を駐留させようという方向で取り組み始めた。40年前
の1970年に中国が尖閣諸島の領有権に言及した時、その中国
の主張に鈍感で40年後の今日の状況が見通せなかったから、
今は中国にいいようにやられている。しかも40年前の日中平
和条約締結時に、大平正芳が40年後の日中を懸念したにも関
らずにだ。
50年や100年先のことを考えて政策を立てるのではなく
ほとんど目先のことでしか日本政府は動いていない。
それこそ「行き当たりばったり」のすべて場当たり的だ。
今回の中国の六場戦争計画も2040年になって中国の動きを
見て初めて、日本政府は慌てふためくのだろう。
情けない限りだ。
いられない。
発表されてから1年が過ぎるのに、政府や各政党、軍事
評論家、政治評論家等々のインテリジェンスは、
なぜ黙して語らない。
公式発表ではないという受け止め方なのか?
それとも「祟らぬ神に障りなし」という心境なのか?
国連で取り上げろ
APECで取り上げろ
いろいろな国際会議で取り上げろ
韓国の「告げ口外交」を真似して
二国間の交流の場でも取り上げ
そして多くの国の意識を高めて
「環太平洋条約機構」創設と
同機構軍創設の重要性を説け!
政府に、そういう気骨のある者はいないのか
国会議員の中に命がけで、
中国の六場戦争計画を阻止しようとする者は、
いないのか
せいぜい河野談話見直しの署名程度か?
国会議員だったら国を守ることに命を張れ
総理府に電話をしたら広報担当者が電話に出て
「中国の六場戦争計画」など知らないし、何を絵空事を言うか
というような対応だった。
そもそも日本政府というのは目先の事と、経済活動のことしか
眼中にない。
例えば「北方領土」のことにしても吉田茂などの時の政権担当者
たちはサンフランシスコ講和条約のこと以外、念頭になかっ
たようだ。
ウィキペディアに、政府のテイタラクが記録されている。
「1951年、サンフランシスコ講和条約で、日本は千島列島を
放棄する。平和条約国会で、政府はヤルタ協定のいう千島列
島の範囲に、国後島・択捉島が含まれると説明している 。
この説明は1956年2月に取り消された」
返還運動の始まりについてウィキペディアは
「北方領土返還要求運動は、終戦の年(昭和20年)の12月1日、
当時の安藤石典(あんどういしすけ)根室町長が、連合国
最高司令官マッカーサー元帥に対し「歯舞群島、色丹島、国
後島及び択捉島は、古くから日本の領土であり、地理的にも
歴史的にも北海道に附属するこれらの小諸島を米軍の保障占
領下に置かれ、住民が安心して生業につくことのできるよう
にしてほしい」という旨の陳情書を取りまとめたことが始ま
りとされています。
このように終戦直後に、北方領土の元居住者をはじめ、四
島と隣接する根室の人々によってあげられた領土返還要求の
声は、やがて北海道全域、さらに全国各地へと展開していき
ました」
このように国民の間から「北方領土返還要求」運動が起こって
から重い腰を上げるという始末だ。
また国境の問題でも尖閣諸島を巡る中国との軋轢が生じて
から最近、ようやく国境に接する無人島に名前をつけたり、
自衛隊を駐留させようという方向で取り組み始めた。40年前
の1970年に中国が尖閣諸島の領有権に言及した時、その中国
の主張に鈍感で40年後の今日の状況が見通せなかったから、
今は中国にいいようにやられている。しかも40年前の日中平
和条約締結時に、大平正芳が40年後の日中を懸念したにも関
らずにだ。
50年や100年先のことを考えて政策を立てるのではなく
ほとんど目先のことでしか日本政府は動いていない。
それこそ「行き当たりばったり」のすべて場当たり的だ。
今回の中国の六場戦争計画も2040年になって中国の動きを
見て初めて、日本政府は慌てふためくのだろう。
情けない限りだ。